長谷川摂子と絵本作家

【第9回】長新太さん|(1)大きい動物が好き

1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと13名の絵本作家の対話の記録を、再録してお届けします。第9回は、『ごろごろにゃーん』『ぞうのたまごのたまごやき』をはじめとする絵本のほか、漫画、挿絵など、幅広くご活躍された長 新太さんです。

大きい動物が好き


長谷川 長さんは動物をよく描かれますが、何かそこにこめる気持みたいなものは?
 ぼくの場合は、動物を描くという意識はあんまりなくて、ある程度擬人化してるっていうか、人間と同等というか、そういう形で描いているのが多いわけ。ちゃんと、お互いにしゃべり合ったりすることもあるしね。
長谷川 幼い子どもというのも、動物と、そういうつき合い方をしますね。
 そうでしょうね。
長谷川 長さんは幼いときに、動物とどういうつき合い方をしてたんですか。
 ぼくは普通の子どもでね。カエルとかトカゲとか、かなり虐待したりね。ある意味では、同等でつき合ってたと言えるかもしれないけど。今よりもっと生活の中に動物がいたしね。
長谷川 東京ですか?
 東京でも、はずれの方で、蒲田の六郷川っていうか、多摩川っていうか、あの辺りに生活してた。蒲田とか羽田とか、あの辺は昔、もうほんとの田舎って感じだったんですよ。田んぼや畑があって、いろんな動物がいっぱいいましたね。ゾウアザラシはいなかったけど。(笑)
長谷川 動物園とか水族館とかには、よく行かれましたか。
 それはもう、大好きなのね。いまだに好きですけど。それから、サーカスなんてのにも、動物がいたし。ぼくは割合、大きい動物が好きなの。ゾウアザラシも巨大でしょう。特に、オスは、よけい大きいわけよ。ゾウとかクジラとか、地平線とか水平線とか大草原とか、そういう巨大なもの、広大なものが好きなのね。
長谷川 「母の友」に連載なさっている『なんじゃもんじゃ博士』という漫画、私も子どもたちも大好きなんですけれど、ゾウアザラシが印象的ですね。私は大学に入るときに、田舎から東京に出て来て、上野動物園で初めてゾウアザラシに出会ったときのショックというのは、すごく大きかったんですね。そのころサルトルなんかはやりで、私ものめりこんでいて、サルトルのいう“存在”っていうのは、このゾウアザラシみたいなもんじゃないかなんて考えたりしたことがありました。(笑) でも、長さんのあの漫画、茫洋としたゾウアザラシと、なんかたいして知恵も力もなくて、純粋なだけのなんじゃもんじゃ博士の組合わせがおもしろい。
 なんじゃもんじゃ博士とゾウアザラシは、一緒に冒険して旅を続けてるんだけど、特別深いつき合いでもなく、主従という関係もない。なんとなく、くっついて歩いているということでね。
長谷川 ふたりが旅をしてる世界というのは、不思議に広漠とした世界なんですよね。
 超現実主義的なものがあるわけですよ。漫画の世界って、割合シュールなものがあるでしょう。
長谷川 ええ。大草原に突然ビルが現われたりする、ああいう自由な、とんでもない世界って、どこか自分の中でパカッと違うドアが開くみたいで、ちょっとぞくぞくするんです。
 ただ、おとなの中には、ゾウアザラシをこんなふうに連れ歩いたら、呼吸もできないとか言う人がいるんですよね。(笑)ぼくはだいたい漫画の方でやってきているから、どうしてもナンセンスとか、ユーモアとかが根底にあるのね。

ナンセンスを楽しむ

長谷川 子どもというのは、全然、そういうことに異和感を感じないで、楽しんじゃうんですよね。長さんのエッセイには、サン・テグジュペリの言葉の引用が何度か出て来ますね。“おとなはだれも初めは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない”
 ナンセンスっていうのを、不まじめだってとらえるおとなが多くて、『ごろごろにゃーん』なんかも、「これはどういう意味か」なんて聞いてくるおとながいる。ナンセンスを描いたのに、どういう意味かって言われても、ちょっと困るわけでね。(笑)
長谷川 なんでもすぐに意味を探ろうとして、現実べったりの説明を要求する人がいる。
 現実からちょっとでもずれると、もう理解できないというか、安心できないというか……。
長谷川 自分の日常的な位置との違いが大きくなりすぎると、子どもとつながりにくいという不安感なんでしょうか。確かに子どもは、生活の枠組としての現実感覚はおとなより希薄でシュールなものに、わっと心開いちゃうところがあるみたい。私は保育園によく行って、子どもたちに絵本の読み聞かせというのをしているんですけど、『ごろごろにゃーん』とか『にゅーっするするする』なんか、すごくおもしろがるんですよね。『にゅーっするするする』で、あのこわい手が土の中から、にゅーっと出て来て、自動車や飛行機、お母さんやお父さんを地下に引っ張りこんでしまう。読んでやると、みんな「キャーッ、キャーッ!」。そして、最後に「しいーっだれにもしゃべってはいけない」っていうところを、みんなで一緒になって言うんですね。
長 ところが、子どもがなんでこういうものをおもしろがるのかわからないっていうおとなも多いのね。ナンセンスの世界というのは、このごろはまあ割合、テレビなんかで、質の問題は別としても、いろいろ多くなってきてるけど、ぼくなんか、これまでずーっと冷遇されてきて、いばらの道を歩んできた。(笑)
長谷川 でも、小さい子どもっていうのは、長さんのナンセンスな世界に簡単に入って楽しんじゃってる。言葉やイメージに対する自由な感覚っていうのは、子どもにかなわないって感じします。子どもとつき合っているとき、子どもが持っている独得の感じ、現実からちょっと離れて浮いていて、いつでも右や左にゆれているみたいなところとつき合うことが、すごく楽しいんですね。
長 ぼくもそう思うんだけど、親としては、自分の子どもがあんまり夢想というか、空想癖みたいになると困るという人もいるみたい。もっと現実を踏まえ、直視しなきゃいかん。(笑) 漫画の定義っていうのがあるんですよ。大根を横に切って、その断面を見せるっていうのが普通だとすると、漫画の場合は、斜めに切って、断面を見せる、それが漫画の定義であるっていうことがあるわけ。子どもっていうのは、いろんな視角から物事を見てるのに、おとなになると、それが非常に狭い一方向だけになってしまうという感じがしますね。
長谷川 子どもがおもしろがるのと全く同じようなおもしろがり方は、多分、残念ながら私にはできないと思うんですが、子どもと一緒に読んでみたら、どんなふうかなっていう気持で、すごく食欲をそそられるというか、そういう感じで、いろいろな絵本を見ることが多いんですけど、実際に子どもたちと一緒に読んでみると、子どもの方がよっぽどすごいのめりこみ方をするから、それにつられてこっちも、何倍もの楽しみ方ができるんですね。長さんは、どんなお子さんだったんですか。小学校なんかで、どんな感じだったんですか。
長 ぼくは割合目立たない、いわゆる普通の人だったですけどね。
長谷川 でも、自分では目立たないと思っていても、まわりから見ると…?
長 それは、わかんないもん。(笑)

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2017.04.09

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