あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|斉藤 倫さん『クリスマスがちかづくと』

今月の新刊エッセイを寄せてくださったのは、『クリスマスがちかづくと』の作者である、詩人の斉藤 倫さん。詩作の他にも、初の長篇となった『どろぼうのどろぼん』など、独特な世界観をもった物語を手がけています。今回の作品は、子どもたちの大好きなクリスマスがテーマですが、主人公セロはクリスマスに対して複雑な思いを持っていて……。斉藤さんのエッセイとともに、お楽しみください。

サンタクロースがいなかった頃

斉藤 倫


 ぼくがちいさかった頃、まだサンタはいなかった。
 いないわけではなかったろうけど、起きると枕もとにプラスチックのブーツにはいったお菓子があって、それでおおよろこび。とくべつ、サンタがもってきた?とは、おもわなかった。

 この『クリスマスがちかづくと』を書いているとき、あたまにあったのは、ディケンズの名作『クリスマス・カロル』だった。とはいっても、クリスマスということ以外は、どこも似ていない。あのように耐久性のある物語を書けるといい、と、ばくぜんとおもっていただけだ。 
  『クリスマス・カロル』は、強欲であわれみのないスクルージという男が、幽霊たちに出あって、改心する話。悔い改めと告白の物語で、やはりキリスト教の世界だなとおもう。
 そこに、サンタクロースは、出てこない。
 人間と神との関係性に、サンタクロースは、はいる余地がないようにおもえる。救うのは、あくまで神さまでなくてはいけないのだから、つきつめていくと、すこし、じゃまになるのだ。
 いっぽう、常緑のもみの木が、クリスマスツリーとされたり、空とぶそりを、トナカイが引くことになったり。こんなことは、いつのまにか、つくられてきたことで、しらべてみると、偶然や、なりゆきの産物だったりする。
 だけど、人間界からはみだし、こぼれてしまうものをあつかうときに、動植物が自然界から呼びこまれる、その手つきには、かならず、たしかな理由がある。サンタもそのひとつで、ぼくは、この物語で、サンタクロースをできるだけそういう〈よくわからないもの〉として描きたかった。人間とそれ以外や、家族とその外とのあいだを、いったりきたりするような。


 セロという少年は、ちょうど十歳で、ひとという生物としての変わりめに立っている。ただし人間が変化するのは、動物ほど単純ではなくて、おおきな精神構造のわかれ道をともなう。存在として折れ曲がるといってもいいくらいだ。いまのひとは、それを人間関係のなかだけで、解決しようとしている。それは、むり筋だとぼくはおもう。
 かつて、スクルージの時代には、まだ神があったので、人間関係には〈外〉があった。いま神がどこかに隠れてしまったときに、外を用意する必要がある。人間が変化するときには、かならず人間の外がないといけない。そのことがいまのひとたちには、見すごされているとおもう。
 クリスマスのプレゼントは、お父さんやお母さん(もしくは、おじいちゃんやおばあちゃん)から、あげればすむことなのだけど、いちど、サンタという〈よくわからないもの〉をつくりだして、それに、あずけるようにしていく。
 そのことのいみは、とても、美しいという直観がある。しなくてもいいことを、だれもが、だれからともなくしようとしているとき、そこにはかならず、最も大切なことが宿っている。

 ちょっとまえまで、日本に、サンタは根づいていなかったけど、いまは信じている子たちがいるから、しっかり存在している。わたしたちのなにが、サンタをつくりだしたのか。『クリスマスがちかづくと』を読まれたかたが、そんなことにおもいをはせてくださったらうれしいとおもう。
 むじゃきにその存在を信じていた子ども時代が、ぼくにはなかったけど、そんなわけで、サンタはいるか、と、きかれたら、おとなになったいまのぼくは、もちろん、と答えるだろう。




斉藤 倫(さいとう・りん)
1969年生まれ。詩人。2004年『手をふる 手をふる』(あざみ書房)でデビュー。2014年『どろぼうのどろぼん』(福音館書店)が、初の長篇物語。同作で、日本児童文学者協会新人賞、小学館児童出版文化賞を受賞。おもな作品に『せなか町から、ずっと』(福音館書店)、『とうだい』(絵 小池アミイゴ/福音館書店)、詩集『さよなら、柩』(思潮社)など。また、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)に編集委員として関わる。
WEB福音館にて、「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」を連載中。
 

2017.12.04

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