小風さち 絵本の小路から

文庫のお雛様|『三月 ひなのつき』石井桃子 さく 朝倉 摂 え

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第11回は、石井桃子さん作、朝倉摂さんが絵を手がけた『三月 ひなのつき』です。

文庫のお雛様

『三月 ひなのつき』石井桃子 さく 朝倉 摂 え


 私は自分のお雛様を持っていない。実家はそういう祝い事をしない家だった。小学生になった頃、さびしく思って尋ねると近江商人の出の父は、商人は質素堅実が大事、そのような贅沢はしないでよいと一蹴。
 桃の節句が近づくと、私はそこらの箱をかき集めて自分で雛壇を作った。赤い色の布を敷き、お内裏様は熊、お雛様は鼠の縫いぐるみという具合。これが結構楽しかった。だが友達の家にあるような、ちゃんとしたお雛様に憧れる気持ちはやはり拭いきれなかった。
 そんなこともあって、当時通っていた文庫にお雛様が飾られる日は、本当に待ち遠しかった。いよいよ飾られると、もう本を借りに行くのかお雛様に会いに行くのかわからない。国鉄の荻窪駅から"かつら文庫"までの道を走った。むろんそれは自分のお雛様ではなく、文庫の主である、石井桃子先生のものに違いなかった。だが石井先生は桃の節句が近づくと、毎年そのお雛様を本の部屋に飾ってくださった。『三月 ひなのつき』に登場する、あの一刀彫の寧楽雛(ならびな)である。だから私の記憶の順番は、かつら文庫の寧楽雛が先で、『三月 ひなのつき』のお話が後にくる。

 『三月 ひなのつき』は、よし子という女の子が自分のお雛様を選ぶ中で、様々な気付きを経験してゆく物語である。よし子の母親は自分の大事なお雛様を空襲で失っている。それこそが一刀彫の寧楽雛なのだが、その面影が心に刻まれているため、娘にも本当に良いお雛様を持たせてやりたいと願っている。だが、よし子の希望とそぐわない。お雛様選びを通して、母親の気持ちや物を尊ぶ心に気付いてゆくよし子。そのよし子が、その年の三月に手に入れたお雛様は、母親が内緒で心をこめて折ってくれた、紙の折りびなだった。


 はじめてこの物語を読んだ時、小学生だった私はすっかり混乱してしまった。なぜこの本の中に、あのお雛様がいらっしゃるのか。朝倉摂氏の絵がまた実直で、文庫のお雛様の雰囲気が実によく伝わってくる。本をゆすったらカタカタとこぼれ落ちてくる気さえした。そうであったらどんなに嬉しいだろう。いったいぜんたい誰があのお雛様を描いたのか。誰かが夜中にそっと文庫に忍び込み、描いていったのか。父はその時、絵描きさんの役割と作者の役割を何度か私に説明した。だが、そんなことでは納得がゆかぬ。さらに桃の節句に興味がないはずの父が、ある日おずおずと私に差し出したお雛様。それがまた、よし子のお母さんが娘に折ったあの折りびなときては、謎はますます深まるばかりであった。
 もとより子どもにはフィクションとノンフィクションの区別がない。その境界線は後々ひかれるもので、これは作られた話だとか、これは本当の話だと考えてお話を読む子どもはあまりいない。子どもにとっては全ての物語は本当の話で、そう感じられない本から見放してゆくわけだが、この『三月 ひなのつき』のお話は私には明らかに本当の話と思えた。が困ったことに、文庫のお雛様も、手元の折りびなもまた、現実なのであった。

 あれから50年も経ったつい先日。届いたばかりの「母の友」を繰っていると、その折りびなの記事があった。初めて知る創案者や伝え手のこと。石井先生と折りびなの出会い。私は長年入り組んでいた糸のもつれがすっかり解けて、全てが腑に落ちた気持ちがした。
 かつら文庫のお雛様。それは本当に温かい佇まいの寧楽雛だった。凛として清楚。大袈裟なところは一つもない。隅々まで何が何と子どもの目にわかるように造られており、仕組みの見事さにも心を奪われた。あのお雛様の前にたたずむ時間は、本当に夢のようだった。お雛様も文庫の南に面した場所で、とても居心地が良さそうだった。当時のかつら文庫に通った者で、あのお雛様の記憶のない者は一人もいないだろう。それは石井桃子先生のお雛様であり、私達の大切なお雛様でもあったのだ。昭和三十年代のことである。




小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2018.01.09

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