長谷川摂子と絵本作家

【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん|(3)とにかくいっぱい人をかこう

いろいろな人間を観察する

長谷川 『やこうれっしゃ』の本をかかれる時は、やっぱり行って、見て、見て、見まくって?
西村 それは、何回も取材に行きました。あしかけ3年ぐらい。
長谷川 私は学生時代、一番安いから、3段の寝台車の一番上をとって、田舎に帰っていたんですが、この絵本を見たら、あのころの旅の感じがまざまざと……。
西村 いろんな人を、とにかくいろんな仕草をしている人をかこうとしたんですよね。多様性を楽しみながら夢中でかいた。自分がその中に入ってというより、客観的に見て楽しんでいる。ぼくは、これは、観察絵本だと思っているんです。
長谷川 『にちよういち』もそうですね。
西村 そうね。実際の生身の人間関係が好きな人なら、市のおばあさんと会話をするのでしょうが、ぼくは、じいーっと観察していて、ああ、この感じいいなと思う光景を全部メモしてくる。人間というのを、ぼくは好きなんだと思うけれど、実際に関係を作ることができない分だけ、絵でやってるという気がする。
長谷川 そういう西村さんの、人間に対する観察的なアプローチの仕方は、どういうところからきているのかしら。
西村 長男で割と人の顔色を見ながらやってたところがあるし、人見知りが強かったみたいな……。本当はもっと実際に人間関係を持ちたいとも思うんだけど。市には、小学生のころ、おふくろが買物に行く時についていったんだけど、すごく楽しかった。

市で、見聞きしたこと

西村 市には名物おじさんがいっぱいいてね。いつ行っても、誕生日のおじさんがいて、「今日はわしの誕生日じゃから、まけちゃおう」というのが売り物でね。(笑) それから、何でもエレガント、エレガントって言うおじさんもいた。果物を売ってるんだけど、「このブドウはエレガントじゃ」(笑) 市の端から端まで、ただ歩くだけでも楽しかった。
長谷川 いろんな人間が愛されて描かれてるんだけど、その辺の角度というのが皮肉だったり、おかしかったりね。
西村 それは、やはり、観察というところでかいてるからだと思う。

『絵で見る日本の歴史』について

長谷川 こういう本になると、上野駅に行って、全部観察するというようなわけにはいかない。
西村 そう。面白いと思って、かくのをひき受けたけれど、どうしていいか分からずに、2年半たってしまった。歴史の勉強から始めたんだけど、方針がね、どうやっていいか分かんないので、悩んで悩んで……。
長谷川 結局、四年ぐらいかかったそうですが、大きな問題としては、どういう問題があったんですか。
西村 学校で習ってきた歴史というのは、何年に何がありましたとか、英雄が出てきて歴史を動かしていくみたいなことで、それが頭の中に入っちゃってて、抜けきらないんですね。部分ができても先へ進めなくて、自分でも違うな違うなと思いながらもラフをかくと、編集者があまりいい顔しないで見てるわけね。それで、ちょっとここへ取材に行ってみましょうとか、こんな本がありますとか、のせてくれて、そういう中で考えつめていって、結局、『おふろやさん』『やこうれっしゃ』『にちよういち』と、今までやってきたところに戻った。これは、庶民と言われる人たちをかいてるんだけどね。
長谷川 そこへ戻るきっかけは?
西村 迷ったから。迷った時は戻れと。誰かに言われて戻るんじゃなくて、必然的に戻ったと思う。貴族の時代とか、武士の時代とか言われていても、庶民はいつでもいっぱいいた。とにかくいっぱい人をかこうと思ったら、スーッと道が開けた。そこに気がつくのに、2年半かかったんですよ。

学校で教える歴史は、おだんご方式

学校の先生に話を聞いたんだけど、小学校で教える歴史というのは、時代が流れていくという教え方じゃなくて、英雄と時代があって、次の時代も主な事件なり人物がいて、それらを串に通せばいいというおだんご方式が子どもには分かりやすいということらしいのね。図鑑っぽい歴史の本は殆んどカード的なんだけど、ぼくは絵本にしたい、流れたい流れたいって通したんです。
長谷川 この本を一ページごとに、ゆっくり見ていくと、いろんな人たちの声が聞こえてくる感じで、楽しいのね。1回で全部を通して見るというのは、小さい子どもには重たいかもしれない。家に置いておくと、子どもたちは好きなところを開いて結構見てるんですよ。
西村 ぼくは通史として作ったけれど、子どもたちは、そんなのと関係なく見ちゃうのかもしれない。
長谷川 年齢によって、いろいろな見方ができるだろうと思う。原始時代のところが好きな子が多くて、熱心に見ている。のめりこんでずーっと見ていると、イメージがわいてくるみたいね。
西村 ぼくは受験用の歴史しか学校で教わってこなかったから、自分が見たいなというような歴史の本を作ろうと、まず思ったんですよね。これを入れよう、これも入れようと思うと、自分が楽しくなれる。
長谷川 学校の授業に、この本を使っている先生もたくさんいるようですね。
西村 北海道の、ぼくは知らない小学校で、先生が二人に1冊ずつゆきわたるように、この本を用意して、こうやって教えてますというありがたい手紙をもらった。
長谷川 普通、学校で歴史を教えるというと、細かい年号を暗記させたりする先生もいるけれど、平安時代とか鎌倉時代とか、時代そのもののイメージというか、全体の漠然とした雰囲気が感覚として入っていない。だから、流れも分からない。
西村 自分もこの本の中にいるみたいに思って、見てもらえれば、一番いい。
長谷川 感覚的に歴史が分かるのね。あっ、鎌倉時代にも布の洗い張りに伸子張があったんだなんて発見して、この絵本、ていねいに見ていくと、ほんとに面白いの。何回も見るたびに、見落としていたことが次々と出てきて楽しい。絵をかく時の資料のことですけど、絵巻とか、ごらんになりましたか。
西村 ぼくはもともと絵巻が好きだったけれど、伴大納言とか信貴山とか。一番最初に絵本をやろうと思った時、上野の国立博物館で絵巻物展があって、見に行って、それがすごいショックで。誰がかいたか名前が残っていないけれど、今の時代に持ってきても、こんなにすごいのをかいているということがね。それから、ぼくは全然日本画の技法で絵をかいたことがなかったから、まず紙屋さんに行って和紙を買ってきたり、筆を買ってきたりして始めてみた。日本画の正式なやり方だと、すごく手はずが大変なので、泥絵具でやってみようと思ってね、それで『くずのはやまのきつね』をかいてみたんです。その後、技法は自分流に工夫して、いろいろ変わってきましたが、その延長でずっとやってきた感じです。
 

終わり

※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。


 

いまき みち 1944年〜 
1944年生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒業。絵本に『あがりめ さがりめ』(福音館書店)、『とちのき』(そうえん社)、刺繍絵本に「ヒコリ」シリーズがある。

西村繁男(にしむらしげお) 1947年〜
1947年、高知県生まれ。中央大学商学部、セツ・モードセミナー卒業。『やこうれっしゃ』『おふろやさん』『ぼくらの地図旅行』『絵で読む広島の原爆』(以上、福音館書店刊)など、多くの絵本を手がける。



インタビューを終えて-長谷川摂子

人間の生活は人それぞれにダサいもの。だからといって、そのダサさを見つめて皮肉ぬきに人間を愛するのはたやすいことではないと思います。でも、西村さんの絵本は人の暮らしのダサさを見つめてこの上なくあたたかい。私はそんな西村さんが好きでしたから、お会いする時もどこかでほっと安心している自分を感じました。案の定、やわらかな誠実さ溢れる西村さんの笑顔に、私はすっかりうちとけて、「あのダサい絵が好きで」などと、面と向かって口走ってしまいました。



◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち

【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん

2017.04.08

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