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もりのひなまつり

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「わたしは、人形が嫌いな子だったらしいんですよ」

-どんな発想からこの絵本は生まれたのか、という質問へのお答えです。

 「物心ついた時には、まわりに人形というものがなかった。それで母に『人形がほしい』と言ったんですよ。そうしたら、『あなた、ちっちゃい時に人形が嫌いで、買ってやろうとしても嫌がったのよ』という話で。そう言われてみると、人形って気持ちが悪かったのかなあって、後で思うんですけど。
 市松人形のすごく立派なのを、隣のきょうちゃんていうお姉さんが疎開するんで、自分の身代わりという形で私にくれたんです。ところが、私がとっても悪い持ち主でね(笑)。顔は汚れるし、髪はぐしゃぐしゃになるし。そうしたら、ある夜、きょうちゃんがやって来て、人形を返してくれって言うんですよ。母も驚いて、『すごく汚しちゃったから』って言ったから、それでもかまわないから返してほしいって。それで返したんですけど。ほっとしたから、やっぱり、人形は嫌いだったんですね。
 でも、嫌いなんだけど、嫌いなものって見ずにはいられない。興味をそそられるじゃないですか。三月に飾られるお雛様もね、なんかこう、動いてるんじゃないかという気がする。目をちょっとそらした隙に動いているとかね。
 それと育ったのが田舎の古い家で、鼠が多かったんですね。ちょろちょろ出てきていて。お雛様を飾った夜、鼠が天井からおりてきて、母の寝床にもぐりこんだ事件があったんです。本当に大きな鼠だった。年寄り鼠だって、父が言うんですけどね。母の足にさわって、とっても冷たい手だったそうです。鼠は廊下の暗闇に消えてしまっ たけど、何かやっぱり、お雛様に用があったんじゃないかと。ひょっとすると、鼠と人形が友だちというかね、なんかあやしいんじゃないか、と思って。

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例えば道を歩いてても、風もないのに葉っぱが一枚だけ揺れてたりすると、それは何か印でね、何かそこにちっちゃなものがいるんじゃないか、って思うんです。そんな小さなものの世界が好きで、そういう世界を知りたいと思っていて。そのひとつの方法で、お雛様と鼠の話になったんだと思います。
 お雛様はすましてるけど、実は毎年、鼠たちとこっそり何かしているんじゃないか。そう考えてワクワクしてしまって。お雛様と鼠たちは、代々こんなことをしてきたんじゃないかと思えてくるんですね。
 去年だったか、小学生から手紙が何通か来て。『もりのひなまつり』が楽しかった、という手紙。その中に『私は雛人形が大嫌いです』とう女の子がいたんです。『やっぱりこういう子、いるんだ』って、ほっとしたんですけど。その子も、嫌いだったんだけど好きになった、と言ってくれて。ちょっとはよかったかな、って思いました。それと、男の子がけっこう楽しかったって言ってくれて、すごくうれしかった」

 -小出さんの作品は、故郷での体験が基になっていることが多いですね。

 「作品を作る時に、自分の中に何か、とっかかりになる記憶があると、その作品の世界を引き寄せることができるみたい。必ず、自分が子どもの時の何かを探っていって。自分がいた場所で、自分が子どもだったとして、『こういうことが起きたら、それはどういう世界だろう?』って考えるわけです。
 子どもの時の、『あれは何だったのかしら?』ということがたくさんあって。うんと小さな時なんだけど、どぶ川のような小さな川を、とてもきれいなものが流れていくんですよ。きらきらきらきら、七色に光ってね。ひょうたん型や、花みたいな形で流れていって。きれいでいいな、と思って手ですくうと、ないんですよ。それは何だったんだろうってずっと思ってて、大人になって、それが油だってわかるんです(笑)。でもその頃は、こんなにきれいなものがあるのか、って。自分はすくうのが下手だから、とれないんだろう、何とか上手にとりたい、って思うんですよ。
 母の野菜畑でね、朝露が葉っぱに丸くのってる。毎朝、缶カラを持って、その朝露を取りに行くんです。それが、丸いまんまで欲しくて。それで、ポロンって缶カラに集めるんですが、どうしてもうまくいかない。丸くならないんですね。やっぱりその時も、私は取るのが下手だなって思って。そういうことが、作品の入り口とか、種になっているのかな。

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 でも、絵本を描き始めた頃は、そういうことも生かせないし、どうしたらいいかわからなかったんですね。とにかくやみくもに描いて、小出(注:夫の淡さん)が文章を書いてくれて。『みみながねずみ』という作品とか、いろいろ福音館書店に持っていくんですけど、だめだだめだ、って言われて。『私たちって、才能ないんだー』と落胆して、町の中をふたりでさまよって(笑)。いい絵本というものが、わからなかった。子どもからかけ離れたところでk、空回りしていたんです。そういう時は、気づくまで、いくらやってもだめなんですね」

 -何に「気づく」ということですか?

 「……お話というものが、頭で考えるものではない、ということでしょうか。『こんな世界、こんな世界』と入りこんでいって、『本当にこの世界はどうなっているんだろう』って、自分がものすごくその世界で楽しまなければ、きっと誰も感動しない、ということが、いくらかわかったんです。『みみながねずみ』は、耳が長くなりすぎてしまって、ゆわえてもブランコにしても、という発想の仕方。それは羅列で作り物だったんだと思います。ねずみは何でそうなったのか、どうして満足していったのか、というところがなかった。その後『とんとんとめてくださいな』(福音館書店刊)は、みんながベッドに寝てる、というイメージを私が描きたくて、そうしたら小出が『じゃ、書く』と言ってくれて。あの中でひとり、鼠が眠っていますが、それは甥が、花火大会を楽しみにしてはりきってたのに、花火が上がったら寝ちゃってる、ということがあって。そんなふうに、お話は流れていくんだけど、登場する人の中では、それぞれが勝手なことしながら進んでいくっていうのが、好きなんです。
 だから私、電車の中とか、好きです。叱られてる子どもとか、子どもが変なこと言ったりとか。そういうの聞くのが、すごく好きです」


(こどものとも(年中向き)2001年3月号 通巻180号 折り込みふろくより)


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