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ありがとう!だるまちゃん誕生50年 『だるまちゃんとてんぐちゃん』が発表されてから2017年に50周年を迎えます。

だるまちゃんのご紹介

どんぐりまなこに太いまゆげとりっぱなひげ、赤い衣のずんぐりボディからはかわいい手足がにょっきり。日本の伝統玩具だるまをモチーフにしています。

だるまちゃんとその友だちがくりひろげる豊かな「遊び」の世界が絵本になった「だるまちゃん」シリーズ。子どもたちが友だちとの遊びの中で、経験するだろう出来事や気持ちが、だるまちゃんをはじめとしたユニークな友だちの姿を通じて描かれていきます。

かみなりちゃん とらのちゃん てんぐちゃん におうちゃん うさぎちゃん やまんめちゃん だいこくちゃん てんじんちゃん

だるまちゃん50周年記念 新しい本のご紹介

だるまちゃん50周年記念 新しい本

だるまちゃん50周年 全国開催書店一覧

作者かこさとしさんエッセイ

『だるまちゃんとてんぐちゃん』がうまれた日

だるまちゃんとてんぐちゃん

昭和24年頃から、僕は、会社に勤めてもらっていた給料のほとんど半分を使って、外国の子ども向けの雑誌をとっていたんです。そういう雑誌には、戦争の間、作品を発表できなかった作家たちの、書きためてあったものが、うわぁーっと載っていて、みずみずしい作品がたくさんありました。

そんな中に『マトリョーシカちゃん』のお話もあったんですね。それを見てびっくりしました。子どもを出さずに子どもの本になっていて、おもちゃでありながら、出てくるキャラクターそれぞれに性格があって、ストーリーになっている。うまい。うまいというより小憎らしい(笑)。

それで僕は、自分の国のおもちゃでも、おもしろいものを作ろうとして、いろいろ考えたんです。で、ぱっと目立つのがいいなあと思って、だるまにしました。赤いですしね。  相方も、かっぱにしようか、きつねにしようか、と考えたあげく、てんぐにしました。ストーリーは、最初のうちわと最後の鼻は、すぐに浮かんだんですが、その途中ができなくて、七転八倒しました。ただ「ほしい、ほしい」っていうおねだりの本だと、編集部に怒られてしまうし(笑)。それで、だるまちゃんが自分で解決するために、お父さんには悪いけど、お父さんはとんちんかんで空振りに終わってばかり、ということになりました。

僕自身の父は、子煩悩でありすぎたんですね。子どもの僕の願いとは、ちがうことばかりするんです。僕は小学生の時、模型飛行機が大好きだったんですが、そうすると、父は値段の高い三角胴の飛行機を買ってくれるんです。安いのは、角材の一本胴なんですが、そっちの方がよく飛ぶんですね。買ってもらった三角胴は、案の定飛ばない(笑)。

そんなわけで、父には欲しい物を気取られないようにしてました。縁日の夜店でも、おもちゃをのぞきこんでいると「買ってやろうか」って言われてしまうのでね、欲しい物を横目でちらちら見て形を覚えては、まねして作っていました。失敗して手を切ったりしたことも、いい経験になりました。

家族で北陸から東京に出てきて、長屋住まいをしていたんですが、そこの長屋のあんちゃんを、今でもよく思い出すんです。6歳ほど上の人だったんですが、よく手品を見せてくれて。紙をちょんちょんとやって広げてみると、「ほら、なくなっちゃった」とかね。とてもうまい。特別な道具なんか使わなくて、そこらへんの紙とか石とかでね。

あんちゃんがまた、絵が上手で。武者修業のおさむらいのひとコマ漫画だったりするんですが、どこかまがぬけてて、刀がめったやたら長かったり、短筒を撃ってるんだけど玉がポトンと落ちてたり。いろんなところにユーモアがありました。そのあんちゃんが、僕に絵を教えてくれた最初の先生なんです。それで絵が好きになったんですが、父には怒られるんですね。絵描きになっても、とても生活できない、と。見つかると怒られるので、隠れて描いていました。長屋を出て、家で風呂に入るようになっていたので、風呂を焚きながら、焚き付けの雑誌や新聞にこちょこちょ描いては燃やす。証拠隠滅ですよ。(笑)

学生の頃から、川崎で紙芝居を見せていました。「これをおもしろがらない子どもなんていない」と張り切って見せにいっても、目の前で子どもたちが、どっかいっちゃうんです。 当時の川崎では、ザリガニ釣ったり、トンボをとったり、おもしろいことがたくさんありましたから。ザリガニよりもトンボよりもワクワクするもの、子どもたちにピタッとするものを作ろうと、懸命になりました。「子どもとぐらいは遊べるだろう」と、たかをくくっていたんですが、「相手はすごいぞ」と思い直しました。ぼくもてんぐになっていたんですね(笑)。

(「こどものとも年中向き」2000年6月号折込み付録掲載
「絵本誕生の秘密 作家訪問インタビュー」より一部を抜粋し再録)

かみなりちゃんと未来社会

だるまちゃんとかみなりちゃん

(1968年8月号こどものとも折り込み付録より一部抜粋)
さて、以上のような自然天候現象としての「雷電」と、伝承説話が生みだした「雷神」のイメージの上にたって、「だるまちゃん」の相手にふさわしい「かみなりちゃん」の創出が私の宿題となりました。

そこで「だるまちゃん」を現在の日本の子どもの代表とし、「かみなりちゃん」に遠い国−すなわち未来性と外国のイメージをもたせ、古くから伝わった雷の姿の未来形で表現しようとしてできたのがこの絵本です。その中に出てくる未知な未来都市にお迷いになるといけませんから、ちょっと観光をかねてご案内することといたします。

第10場面(p.20-21)におこしください。正面中央遠くにみえるのが指向性をもった放電塔です。ここからすべての動力源がかみなりの国すみずみに供給されています。それを受けて、すべての建物や照明や時計器械などが作動するシステムをとっています。そういえばラジオアンテナと見えた雲車(これをウンカーと命名いたしましょう)の細い柱は、受電ポールであったことにお気づきでございましょうか?

大きな放電のため、あたりはイオン化され、地上の色彩にくらべ、あたかもカラーテレビの色のようにけいこうめいた色彩が、ここでは基本色となっています。

この放電光と走りさる軌道車=雷車(ライカーと呼びましょう)の超音速音が、雲間をもれて時おりみなさまに達することもあるかと存じます。

そういえば、第9場面(p.18-19)にみられるように、いつも裸でいることや、とら皮の衣類は昔のこと、発達したいまのかみなりの国では、柄や色彩にその伝統がみうけられますが、合成化学品の衣類が広くゆきわたっているようです。

ご専門の方がおられると恐縮ですが、プール底の接着工法や強弾性浮袋と考え合わせ、高度の化学工業水準にあるものと考えられます。また第9場面(p.18-19)の振動上昇装置や、第5場面(p.11)のにじが、テレビ画像の遠隔撮影光として第12場面(p.24-25)に映出されたり、きわめて小型の無線電話装置や配膳移送機などからも、電子工業、電動機械もなかなかすぐれて発達しているとみうけられます。

このように進歩した生活と社会でありながら、カミナリ形ともいうべき二つの突起を各種の形象化にやたらに使いたがることと、第11場面にみられるように、かつて衣服をつけなかった裸の「黄銅時代」を忘れまいとしてか、記念像をたてている態度に、深く考えさせられるものがありました。特にロダン作のこの像は、別に「目ざめる人」と題されていたことを申しそえてご案内をおわります。

―――暗き、暗き、曠野にも似たる
   わが頭脳の中に
   時として、電のほとばしる如く、
   革命の思想はひらめけども

   あはれ、あはれ、
   かの壮快なる雷鳴は遂に聞え
   来らず―――。        石川啄木「呼子と口笛」

(1968年8月号こどものとも折り込み付録より一部抜粋)

『だるまちゃんとうさぎちゃん』について

だるまちゃんとうさぎちゃん

① ヤレヤレ ニャニャ

早いもので、わたしがこの「だるまちゃん」シリーズの第一作「だるまちゃんとてんぐちゃん」を皆さん方にお目にかけたのは、1967年ですから、もう5年も前のことになってしまいました。さいわい多くの方々によんでいただきましたが、その中でたとえば松岡享子先生のように「残念なことに、外国の人にこの本のおもしろい所を翻訳しても伝えることができない」という過分なおほめ(?)のことばをいただきました。それはたとえば「鼻」と「花」というようなまちがいの所などが該当するのだと思いますが、そのことを聞いたとき、わたしはひそかに「ヤレヤレ」と思い「ニヤリ」としたものです。なぜならそれまで外国のすぐれた絵本を読むたび、かならずといってよいくらい、その中にあふれている民族性がうらやましくてならず、それに引き換え日本で作られる絵本が、ごく小数を除いて、まるでその国籍がどこでもよいような、よくいえば汎世界的国際性というのでしょうが、きびしくみれば立脚点のない無国籍的浮浪性が残念でなりませんでした。それでまずは日本の子どもたちが喜びおもしろさをじゅうぶん満喫してもらえるもの―という意図をこめていたからで、それを鋭く指摘されたことへの、いつわりのないわたしの感じが「ニャリ」であったわけです。

② KAMINARI・CHAN

第2作の『だるまちゃんとかみなりちゃん』は翌1968年の夏、お目にかかることとなりました。この作品は第1作のような日本以外には翻訳できないという欠点(?)を持たなかったせいか、「ラボ教育センター」という所で英語になおされ、会話を学ぶ小さいお友だちやおかあさん方にも読んでもらうという思わぬ発展をしていただきました。わたしの小さなオイが「いま、ぼくラボで、おじちゃんの作ったかみなりちゃんの本を読んでいるんだよ。少し教えてあげようか―
Daruma-chan is mad.
Kaminari-chan is mad
What can they do?
わかる?」と、まわらぬ舌で読んでくれたとき、わたしは驚きと同時に、こんな形でさらに多くの方々に喜んでいただいていることに大変感謝した次第です。

③ まごこの代まで

さてこうした第一作第二作はさいわいにも多くの読者をえたというわけですが、その間「その後のだるまちゃんはどうしたの?」「もっとたくさん書いてほしい」という励ましや希望が、編集部や、わたしの所に寄せられていました。ごく最近も6才の女の子からかわいい文字で「だるまちゃんのほんは、わたしがけっこんして、わたしのこどもによますまでだいじにとっておきますから、もっとかいてください」という、大変広遠で長期にわたるおすすめをいただきました。実をいうと第1作のおりこみに書いたように、「…郷土玩具の中の代表者たち―とら・きつね・きじ・うま・うさぎ・たか・たい・しか・さる・ふぐ・しし・うし・だいこく・えびす・天神・ぼっこ・あねさま・かっぱ・ねこ・おに・てんぐ・うずら・龍・ねずみ・だるま・くじら・なまず・へび・せみ・くま・ばけもの・ふくろう・入道など―の性格と活躍の場を求めて、いろいろな作品を試作し、組立てて」きていたのですが、わたしの作業時間と才能のため、それらはまだ推敲不十分の素稿であったり、ごく少人数の子ども会のための私家版のままいたずらに時間がたっていきました。他の仕事に追われていたためとはいえ、皆様のご要望にこたえることができなかったことを申訳なく感じていたのですが、ここに第三作目を見ていただけるはこびになりました。

④ 慧眼なうさぎちゃん

さて今回は、だるまちゃんの相手役に、いろいろ自薦他薦(?)の候補があった中からうさぎちゃんを、季節性から考えて選ぶことにしました。童画的に擬人化して描いてありますが日本にいちばん多くすんでいるノウサギやユキウサギをモデルとしましたので、耳の先が黒くなっている冬毛の様子や足跡の形などを見ていただければさいわいだと思います。

しかしこの第三作は、だるまちゃんとうさぎちゃんを登場させてはいますが、慧眼な読者の方々は、いち早く見抜かれたように、なにをかくそう、その主役は「遊び」であり、それが主題となっているのです。自分の作品について説明を加えたり、解説をトクトクと述べるのはあまり好まないのですが、第三作をこんな形にしたことについては、二つのひそかな理由に基づいています。

その第一の理由は、わたしにとって最近の子どもの本が、どうもその当の対象である子どもをさておいて、作家や画家や、親や先生や編集者や出版社、ときによると審査員や評論家たち――要するにおとなの考えのまにまに、主張の波のゆさぶりや論争の潮流につれて、花々しく刊行され虚名を博しているのではないかという傾向がどうも気になって仕方がなかったからです。

たくさんの子ども向けの本が、数多く、そして家庭や学級では買い切れないほど出版されていますが、子どもたちが求めている本を、子どもたちが手に入れられる範囲の限界の中で実現しようという試みは、多くの読書運動の中で、まだまだ発展していかないのはなぜなのでしょうか? これがわたしをして、このような形の本をつくらせた一つの理由です。

いま一つの理由は、一度読んだり見てしまったら、それっきりというのでなく、子どもたちが何度となく必要になったり思いかえしたり、そしてそのたびごとにひっくりかえしたり、ひとりだけでなく友だちや家族を交えた中で実際的に試みたり討論や意見や、さらには次の段階へ読者をひきあげていくような、そんな積極性を持たせたい、そういう渦の震源地の本でありたいと念じたからです。さてその結果は、きびしい子どもたちの面接的な批判を待つほかはありません。

四冊目のだるまちゃん≠ノついて

だるまちゃんととらのこちゃん

とらのこちゃんと虎・寅・トラ

これまでこのシリーズでは、だるまちゃんをはじめとしててんぐちゃん、かみなりちゃん、うさぎちゃんなどの登場者からわかっていただいたように、日本の子どもたちに親しい昔話や民俗玩具の人気者たちが活躍することとなっています。ですからこれからも皆さんがたの知っているいろいろなキャラクターが出てくることと思いますが、今回はとらのこちゃんがお目にかかるめぐり合わせとなりました。

虎は日本にはいない動物なのに、龍虎と並び称せられ、豪華な縞模様の毛皮が珍重され、特に十二支の一つでもある関係もあって、「とら」が名前についている方が多いことなど、日本人に畏敬をもって愛好されているようです。庶民映画の主人公やプロ野球のチームの愛称となっているのも御承知のとおりですが、特に地域の人々や子どもたちには、いわゆる民族玩具の細工物や寺社のお守りとして各地で親しまれていることが私の興味をかきたてます。たとえば張り子虎(福島三春)、横向き虎(茨城那珂湊)、虎ずぼんぼ(東京浅草)、吊し虎(東京亀戸)、虎ぐるま(静岡市)、首ふり虎(新潟今町)、びしゃ門天虎(京都山科)、粘土虎(京都伏見)、神農虎(大阪道修町)、魔除け虎(島根出雲)、ヒゲ虎(福岡博多)などをもてあそんだり、ながめたりするとき、発生や伝承流布した当時の人や子どもたちのさまざまな思いを知ることができるように思います。その目玉や歯にあらわれる情感、尾の形や長さにこめた考え、ヒゲや縞に託した願望などが、伝わってくるからです。

それらの種々な姿態や表情を集約して、今回の絵本とらのこちゃんととらのまちの面々になってもらいました。できうるなら、前記した先人たちの願いや思いを伝えたいと念じたわけです。

だるまちゃんとペンキぬり

さてこの絵本のシリーズには、民俗玩具や昔話の登場者が出てくるというほかに、もうひとつの性質があります。それはまねしっこ、ままごと、虫とり、石けり、鬼ごっこ、かくれんぼ、折り紙、雪遊びなど、子どもたちが楽しんでいる遊びの世界を絵本の展開に使っているということです。

そこで今回は泥んこ遊び、いたずらがきをとり上げました。子どもたちはその成長のある時期、どろどろのものをこねまわしたり、ぐちゃぐちゃする所へわざわざ入っていったり、ぴちゃぴちゃはねとばしたり、ぺたぺたぬったりかいたりすることを、たいへん好みます。汚いとか、危ないとか、後始末がいやだとかいう大人の心配や危惧もものかは、じかに肌にふれ体に感じる接触のよろこび、満足、解放感、そしてそれを表現する擬態語擬声語からもわかる独特な生命のリズムに心躍らせることは、既に『どろんこハリー』の泥まみれや『長靴の三銃士』の水合戦、そして『トム・ソーヤー』のペンキの塀にみごとにえがかれています。

特に家主さんにしかられるからとさせなかったペンキぬりや、日曜工作のお父さんの仕事となってしまったペイント塗装を、思う存分だるまちゃんたちにやってもらい、一度はやってみたいとひそかに思っている子どもたちに少しお裾分けしたということです。

これまでの絵本では「おかげで、リンゴのうさぎちゃんを何個も切らされた」とか「雨がさをもってとびおりてしょうがない」などという苦情や訴えを頂きましたが、今回は美観汚染教唆罪(?)にならぬよう念じる次第です。

『だるまちゃんととらのこちゃん』(「こどものとも」1984年2月号折込付録より)

あたらしい友だちご紹介します

だるまちゃんとだいこくちゃん

だるまちゃんのあいてとして、こんどは、庶民に愛される七福神の息子(?)に登場してもらうことになりました。七福神は時代やところによってメンバーにちがいがあるようですが、ふつう、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、大黒天、恵比寿(えびす)という混合七人チームをさしています。混合というのは前の三人が中国の福徳円満の神で、次の三人がインドの法と財宝の守護神、最後のエビスだけが日本古来(学者によっては先住民族)の神という、国際連合の、多国籍から成っているからです。そしてそれぞれの特長・性格が剛勇峻厳とか、また守備分野も、健康長寿や福徳、弁説会話、歌舞音曲や海魚交易というようにちがっています。

こうした中で、大黒天は暗黒世界の自然神で、穀物や果物・食品を司るものとインドでは考えられていましたが、日本に渡米してからは、大きな袋をもつ大国主命と混合して、米俵の上に座る「大黒さま」となり、それまで手にしていた蓮の巻いた葉が内出の小づちに変り、庶民の台所の守り神、飢えの救い主となってゆきました。その日本人に迎えられ、変貌愛好定着してゆく様子は、インドの高僧「達磨」が日本に渡来し「だるま」に定着してゆく経過と対応していて、とても興味あるところです。

そうした故事来歴は別にして、だるまちゃんのともだちに、この大黒さまの児童型の「だいこくちゃん」を出現させ、特に想像や憧憬の実現器具として打出の小づちに大いに活躍してもらうことにしました。

なまじ魔術などには何の興味も示さなくなった現在の子どもたちが、この暗黒神の変り身であるだいこくちゃんにどんな反応をしてくれるのでしょうか? ブラックホールのように、ただ消えてしまうのではと恐れています。

『だるまちゃんとだいこくちゃん』(「こどものとも年中向き」1991年4月号折込付録より)

てんじんちゃんと天神について

だるまちゃんとてんじんちゃん

今度のだるまちゃんのお相手はてんじんちゃんです。天神とは天満宮の祭神菅原道真のことです。右大臣に任ぜられてすぐ、九州に左遷されたといいますが、道中は従者1名のみで馬も食も給せられず、着いた所は床はぬけ雨漏りの廃屋で、実際は流罪だった訳です。

その天神をまつる社は、稲荷神社と首位を争うほど全国に広がり、千年の月日を超えて敬愛を集めているのは何故なのかを知りたく、20年位前たずね回った事があります。

無実の罪に対する同情や、上層政治権力者に対する反感、沈黙敗者に対する憐びんなどにより、1.信義を重んじ礼節を守った人格 2.簡素清廉な気質と温厚な態度 3.逆境にあっても学問や文化、書や詩歌を失わぬ信念と意欲 4.幼児、梅菊、鳥獣を愛した高い品性―の4点が人々の共感をよび、心をとらえ、全国150をこす素朴な土人形や木彫の郷土玩具にもなっているのを知り、たちまち「天神ちゃん」のファンになりました。

実際の道真は幼い二人の子だけを伴った単身生活でしたが、この絵本では天神一家にだるまちゃんをまじえ、前記の4点を生かし自然と詩心と労働い包まれた新しい生活を描こうと努めました。出てくる小鳥は天神ゆかりのウソ鳥です。

日本の児童文化が品位を失ったといわれる昨今なので、自らの低俗な育ちを省みず特に4項に力を入れたつもりなのですが、結果はどうだったか、ただもう天神さまに祈るばかりです。

『だるまちゃんとてんじんちゃん』(「こどものとも」2003年7月号折込付録より)

赤い頬のマタギの少女

だるまちゃんとやまんめちゃん

こんどのだるまちゃんのお相手は、やまんばの娘「やまんめちゃん」です。昔話に出てくる山婆、山母、山女、仙女は恐ろしい妖怪が多いのですが、それは古代の私たちの先祖が畏敬していた山神が垂迹堕変(すいじゃくだへん)したものといわれています(確かに当家の山神も恐怖の存在なのは事実です)。しかし山々の鳥獣草木に依存して生活していた山家(さんか 本来は山窩)やマタギと呼ばれた人々は、常に敬虔な態度で自然に接し守護し、利用や採取狩猟の際は夫々の神に許認の手続きと丁重細心の配慮と行動で臨んでいました。そうした山家の人々の思念や行為がやがて里人に伝授伝承されて各種の行事風習に残り、山姥ものと言われる芸能に影響した跡を見ることができます。

しかし最も重要で不可欠な、自らの生命も自然の一部である自覚や、共存共生の生活精神が次第にうすれ、単なる奇妙古風な祭祀風俗や異境の怪奇惨虐説話となっているのは残念の極みです。

古代山間での貧弱過酷な生活ゆえ、自然との共存とか鳥獣もまた神とか唱えたので、広い田畑での農作生産や、漁猟牧畜の収穫によって得た多数の利便生活や近代社会には、そんなもの不必要という向きもあるでしょう。

だが資本経済の効率追求、科学技術の乱使誤用、過飾な消費欲求は、山地どころか地球全域の自然を消耗壊滅する域に達し「循環持続可能な生活と社会」といいながら今なお最大の環境破壊、資源浪費である武力紛争が続く状況です。

50数年前若年の私は長野と新潟の県境の山家で数日お世話になりました。その折、現在の私と同年の古老から、珍しい山の話や、厳とした自然に対する態度と清々しい心を教えてもらいました。その時、毎日渓谷をこえて老人の食事の世話にくる赤い頬の少女の面影をやまんめちゃんに重ねて描きました。どうぞだるまちゃん同様に可愛がってください。

『だるまちゃんやまんめちゃん』(「こどものとも」2006年7月号折込付録より)

新作「だるまちゃんとにおうちゃん」について

だるまちゃんとにおうちゃん

だるまちゃん絵本の初出は昭和42年(1967)でしたが、その後、国際性と日本的な郷土玩具だるまと、相手役を二百ほど選び、夫々の筋書きをノートに溜めていました。その中の「におうちゃん」は、東京で戦災後、各地を転々、敗戦混乱の中、宇治市の黄檗山萬福寺に辿りついたものの、生活も人生の目途も失い、萬福寺の隅で腰を下ろし茫然としていた折、浅ましい大人と異なり、嬉々と遊ぶ子の生命力に触れ、特に食料難で町から消えていた子犬をつれた女の子の姿に強く励まされた印象が基底になっています。半世紀後ようやくお目にかける訳ですが、前記二百の組合せの中、たった8作しか上梓できないのは、誠に慚愧の至り、努力不足をお詫びする次第です。

『だるまちゃんとにおうちゃん』(「こどものとも」2014年7月号折込付録より)

  • かこさとし公式webサイト
  • だるまちゃんに“会える場所” かこさとし ふるさと絵本館「石石」(らく)
  • だるまちゃんおんどができました だるまちゃんおんどダウンロード


Illustrations (C) Satoshi Kako 1967,1968,2003,2006

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