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いつか再び、共に平和に暮らせる日まで『太陽と月の大地』

16世紀スペイン・グラナダを舞台に、宗教・民族の違いによってひきさかれ、運命に翻弄される人々を描いた『太陽と月の大地』。スペインで読みつがれてきた児童文学が第64回・青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選出されました。この作品の見どころを、担当編集者がお届けします。

いつか再び、共に平和に暮らせる日まで

太陽と月の大地

ヨーロッパの南西の端に位置するスペインは、古くからイスラム文化と深くかかわってきました。物語の舞台となるグラナダは、世界遺産にも登録されたイスラム建築、アルハンブラ宮殿があることでも知られています。

長い間この地を支配してきたイスラムの王朝が、キリスト教(カトリック)の王によって倒されたのは15世紀の末でした。その後しばらくは、イスラム教徒もキリスト教徒もゆるやかに共存する時代があったのですが、やがてキリスト教徒によるイスラムへの締めつけがどんどん強くなっていき、ついにはイスラム教徒たちは完全に追放されてしまいます。

この物語は、その締めつけがどんどん強まっていった時代のお話です。ちなみにタイトルの「太陽」はキリスト教、「月」はイスラム教を意味しています。

主人公はエルナンドという少年で、代々グラナダで畑を耕してきたイスラム教徒の農民の家の子です。もともとはイスラム教徒だったのが、カトリックに改宗させられた人たちのことをモリスコといい、エルナンドの家族はモリスコです。

彼の幼なじみがマリアといって、キリスト教徒の伯爵の娘です。ふたりはとても仲良しで、成長するにつれて淡い恋のようなものが芽生えます。ところがキリスト教徒とイスラム教徒の関係が悪化し、ふたりの家族も争いに巻きこまれていきます。

このお話に、翻訳者の宇野和美さんがスペインで出会ったのは1988年で、今から30年も前のことだったそうです。いつか日本で出したいと思いながら、「日本の子どもたちには難しい」などの理由で、なかなかその機会に恵まれなかったそうです。巡り巡って筆者がこの本を宇野さんから紹介していただいた時、「この本を出すのは今だ」と思いました。なぜならこの物語は、今も世界中でおきている出来事とつながっているからです。

宇野さんによるあとがきにも「この歴史物語の舞台は16世紀のスペインですが、国や政治権力が、宗教や民族の対立をあおって敵と味方をつくりだし、結局罪もない多くの人が傷つき、友情や信頼、愛情、故郷など、かけがえのないものが失われていくというのは、今も世界でおきていることです。歴史物語ですが、現代性を多分に持った作品といえるでしょう」とあります。
 

挿画にもぜひご注目ください。

エルナンドとマリアが、月の照らす道を馬を並べて歩く表紙。裏表紙には、ふたりの少年が海辺で、太陽にむかって手をつないで一緒に走っています。この少年たちは、エルナンドとマリアの祖父たちです。かれらは、宗教も民族も違いますが、親友でした。そして、海。本文の中に、ふたりが一緒に遊んだ夏の日の回想シーンが出てきます。

 夏の夜明けのことだった。ひとにぎりの干しイチジクと、パンのかけらとチーズだけを携えて、ふたりでシエラネバダの山の頂にのぼった時のことだ。持ってきた食べ物を山の上で羊飼いたちと分け合い、おかゆと羊の乳をもらった。
 人けのない頂の美しかったこと! 城も塔も家もはるかかなたにある。
 人が豆つぶのように小さく見える。遠くから見れば、キリスト教徒もモリスコも区別がつかない。みんなただ、人間というだけだ。(略)明け方、まだうんと早くにゴンサロがうきうきした顔でディエゴをゆり起こした。空が白みはじめていた。月が消えていき、朝日が遠い山々のむこうに顔を出している。山は金色のもやに包まれて、空は濃い紫色から赤みをおびた明るい色に変わっていく。
 その時、ふたりの目の前にアフリカの海岸が見えはじめた。
「見ろよ、ハクセル、海だ。休みなく波が打ち寄せては返して、おなじ水が両側の海岸を洗っている。アフリカの海、そしてグラナダの海だ」
 ゴンサロ少年は、ディエゴの肩に手をかけて語りかけた。


世界地図で見ると、グラナダからアフリカ大陸までは、本当に目の前です。イベリア半島とアフリカ大陸の間にあるジブラルタル海峡は、一番幅が狭いところは14キロメートル、広いところでも45キロメートルしかないそうです。

彼らが見た夜明けは、現代の世界に生きるわたしたちに、なにを語ってくれるのでしょうか。


『太陽と月の大地』の訳者・宇野和美さんが、作品の持つ魅力を語ったエッセイ「太陽と月のある世界で」はこちらからお読みいただけます。

2018.07.09

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