長谷川摂子と絵本作家

【第12回】瀬川康男さん|(3)好きな絵とか、今後やりたいこと

長谷川 前回は、人間が存在の恐怖感を埋めようとする話で終わりましたが。
瀬川 浦上玉堂の点景人物なんかの持っているすごさにも、同じようなものがありますね。玉堂には、空間の恐怖感、生存の恐怖感というものが、根本にあると思うのね。それがあんまり恐ろしいんで、絵を見る人と、その恐ろしい空間との間に、点景人物を置いて、仲立ちをしてるんだと、おれは見てる。
長谷川 わたしは、村上華岳の絵に、そういう恐怖感というのを、感じましたけど。
瀬川 同系列だから。
長谷川 あ、そうですか。華岳はもっとドロドロと、不安が露骨に出てて、これは苦しいと思いました。
瀬川 特に、晩年のやつね。
長谷川 六甲山の絵なんか。
瀬川 うん、やだね。
長谷川 でも、その不安を転化というか、昇華した言葉が、瀬川さんの〝悉皆荘厳〟という言葉じゃないですか。ほら、『虫のわらべうた』の折り込みで言ってらした。わたしは、あれが瀬川さんの絵にぴったりだなと思ったんです。普通、荘厳というのは、仏をほめたたえて、仏像の周囲を美しく飾ることを言うと思うんですが、瀬川さんの文様の世界には、中心に仏様がいるんでしょうか、いないんでしょうか。
瀬川 仏様は、おれはあんまり信用しないな。
長谷川 ああ、やっぱり、不安と背中合わせなんだ。古今東西、好きな絵かきさんは誰ですか。
瀬川 いっぱいいるな。このごろ好きなのはね、西洋では、カルロ・クリベルリっていう人。
長谷川 どういう人ですか。
瀬川 ルネッサンスのちょっと前期の、イタリアの人だけどね。金箔をバックにする祭壇がはやったことがあったでしょう、あの時分の人。
長谷川 瀬川さんがお持ちの美術全集かなんかにのっていますか。
瀬川 ああ、あるよ。これこれ。
長谷川 この本は……?
瀬川 前に、新潮社から出た〝人類の美術〟というシリーズの『イタリア・ルネッサンス』という巻。ほら、これがクリベルリの絵。マグダラのマリアの顔を見てください。
長谷川 うわあ、なんて皮肉な顔。ボッティチェルリの絵に毒気を含ませたみたい。いやな薄笑いを浮かべて……。なんか、すご味がありますね。
瀬川 すごいでしょ。一種の神秘主義みたいなところがあって。ぼくは好きなんだ。日本じゃ、しつこいから、いやがられるだろうな。
長谷川 「清らかな」なんて言葉がふっとんじゃいそうな迫力。
瀬川 この人のかいたピエタ、マリア様が磔になったキリストの死体を抱いている図、それは西洋美術じゃ、最高のでき。
長谷川 日本じゃ、あまり知られていませんよね。
瀬川 だと思う。西洋じゃ、大事にされてる人だけどね。
長谷川 これを見せていただいてて思い出したんですけど、ドーミエがお好きだそうですね。なんか、ドーミエとも通うところがあるような気がする。
瀬川 ドーミエの、無茶苦茶に線を重ねたようなデッサン、あれにいたく感動してね、日本画、勉強してる時。
長谷川 わたしも、ルーブルに行って、ドーミエはすごいなと思った。ぎゅっと握って、奥にある物を容赦なく全部引っ張り出してくるというか。
瀬川 ああいうやつをかきたいなと思って、洋画の勉強をし始めたの。洋の東西を問わず、そういうふうに、つかみ取って来る人が好きなの。
長谷川 汚ないところも、きれいなところも、それがなんであるかということには頓着なく……。
瀬川 うん。わたしゃ知らんって言ってね。そこにあるから仕方がない。(笑)いやな人間だね、おれも。
長谷川 絵本のジャンルで、これからこういうものだったら作りたいと思ってるのはありますか。
瀬川 今ね、かっぱの絵本を作ろうと思ってね、考えてるんです。


長谷川 伝説かなんか?
瀬川 伝説ね、なにかおもしろいのありました?
長谷川 あまりないです。
瀬川 ないでしょう。自分で作らないと、だめですね。
長谷川 それはいい。瀬川さんが自分で絵も文も。
瀬川 気がそろっていいやね。やっぱり、自然に出て来るのを待つ形で生きてるからね、今。だから、四六時中ボルテージを上げて考えてると、なんか突然パッと出て来るでしょう。そういうことしか信用できないんでね。だから、なにができるか分かんないけどね。かっぱは形が好きでね。昔から、しよう、しようと思ってて、なかなかできないの。
長谷川 スケッチブックに、幻獣というのを、たくさんかいていらっしゃるとか。文様をかいていると、幻獣が浮かんでくることがあるでしょうね。
瀬川 うん、あるのね。
長谷川 そういうのは、ある構想があってじゃなくて、文様を埋めていく過程の中で浮かんで来るんですか。
瀬川 うーんとね。よく分からないんだね、そういうとこは。ただ、ある衝動があって入れる時は、すぐ入って、ただ筆にまかせて動かしていると、なんとかなるんだね。たいていだめになるけど。
長谷川 『虫のわらべうた』の編集担当の人から聞いた話では、実際に筆を持ってかかれている時は、なんか頭の中で構想しながらかいていくというより、もっと……。
瀬川 うん。オートマティックにいく。
長谷川 筆を持つ手が、自然に動いていく状態ですか。
瀬川 そういう時間をたくさん持ちたいと思って、こういう人里離れた所で、静かに暮らしてるのよ。
長谷川 絵をかかれている時は、楽しいですか。
瀬川 楽しくないね。体が疲れて来るからね。毎日、なんにもできなくても、集中はしてるわけでしょ。そうするとね、だんだん疲れて来るの。それで、疲れの頂点ぐらいで、そういう状態になるね、ポコッと入れる。因果な商売、ほんとに。言葉で考えるのをやめた因果が報いてんのね。(笑)
長谷川 じーっと集中して、巫女が神がかりになるのを待っている感じ。(笑)
瀬川 やだね。もう少し楽しくかきたいな。
長谷川 でも、『犬棒かるた』とか、ほかの絵本見てても、どこかすごくユーモラスなところがあるんですよね。何事もないような感じでかいてるんだけど、よく見ると、おっかしい。(笑)瀬川さんはつらいっておっしゃるけれども、絵にはどこか、つきぬけたような楽天性があるように見えますね。
瀬川 そうかな。おれは苦しい。(笑)
 

終わり

※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。



瀬川康男(せがわやすお)1932年〜2010年
1932年、愛知県生まれ。『ふしぎなたけのこ』で第一回世界絵本原画展グランプリ、数々の絵本で国内外の賞を受賞。『ぼうし』『ことばあそびうた』(以上、福音館書店)、『いないいないばあ』(童心社)など多数。



インタビューを終えて-長谷川摂子

信州の瀬川さんのお宅は山寺の庫裡のような趣きで、庭には紺青のとりかぶとの花が咲き乱れていました。瀬川康男は成仏したようだという風のうわさを耳にして悟りの境地にいられる住職様に、俗世の私がどう話を切り出せばいいのか、迷いに迷って出かけましたが、意外、瀬川さんは意気軒昂、舌鋒鋭く、毒気のある芸術論を楽しく聞かせていただきました。
その夜、いたずらそうな目をしながら酒杯を傾ける瀬川さんは、戸隠山の鬼女ならぬ酒呑童子と見えました。



◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち

【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん

2017.04.13

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