あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|朽木祥さん『バレエシューズ』

今回ご紹介するのは、2月の新刊『バレエシューズ』。ある変わり者の学者の家庭に引き取られた三人の少女が、自らの生きる道を模索しつつ成長してゆく様子を生き生きと描いた物語です。1936年にイギリスで刊行されて以来、世界中で愛され、翻訳されてきたこの名作児童文学を、このたび福音館から、完訳版でお届けすることになりました。エッセイでは、訳者の朽木祥さんが、自身のイギリスでの下宿生活の思い出とともに、本書の魅力を語ってくださいました。

少女たちに会えるところ

朽木 祥


物語のなかで大好きになった友だちは、いつまでも心に住んでいるものです。幼い日や若い日にめぐりあっていたら、なおさら忘れがたいことでしょう。
『バレエシューズ』のなかにも、『ピーターラビットのおはなし』にまつわる素敵な場面があります。
「文学を教えるようなえらい人には、ピーターラビットなんて、つまらないんじゃないかと思ってた」とポーリィン(物語の主人公、フォシル三姉妹の長女)が言うと、ジェイクス先生(下宿人のひとり、三姉妹を教えることになる文学博士)が「それどころか、ピーターとは幼なじみ、愛読書よ」と答えるのです。
私にとっての「幼なじみ」、フォシル三姉妹と再会したのは、一九八〇年代のことでした。ロンドンで築二百年のお屋敷に下宿して、少女時代の愛読書『バレエシューズ』と重なるあれこれを見聞きすることになったのです。
物語の設定と同じく、家主は経済的な事情から何人も下宿人を置いていて、その小さな娘は二人とも養女なのでした。しかも、『バレエシューズ』の時代からおよそ半世紀が過ぎていたのに、少女たちの暮らしぶりはフォシル三姉妹とそっくりでした。
日課に沿ってきちんと勉強し、雨の日も必ず散歩に行って、夕方早めに軽食をとります。そして三つ編みをほどいてブラシをかけてもらってから、可愛いナイトキャップをかぶって七時にはベッドに入るのです。
たいそう大切にされているのも同じで、家計は厳しくとも夏には避暑やキャンプに行かせてもらい、クリスマスには山ほどプレゼントをもらうのでした。
そして、これまた三姉妹の一家と同じく、食事は恐ろしく質素でした。なにしろメインディッシュがスペアリブ一本など。それを立派な食堂でいずまいを正し、フォークとナイフで戴くわけですが。
物語と違ったのは使用人がいなかったことです。家主夫人はインド生まれで「少女時代は王女様みたいに暮らしていた」とか。まさに『小公女』から抜け出てきたような育ちだったのに、当時は家事を一人でこなしていたのです。それでも誕生日などにはバレエを観に行くのですが、ポゥジー(三姉妹の末っ子)と同じく必ず「バレリーナの足が見える席をお願い」と言うのでした。
ロイヤルオペラハウスでの公演にご一緒した日、コヴェントガーデン(*)を二列に並んで歩いて行く少女たちに出会いました。
きれいにひっつめた髪と、まっすぐな背中、爪先を外に向けた歩き方から、すぐにバレリーナの卵たちだと知れました。研鑽を積んできた人だけが持つ、きりっとした雰囲気が愛らしさに特別な輝きを加えていて、思わず見とれたものです。
この少女たちの姿にも、児童ダンス演劇アカデミーに通っていたフォシル三姉妹が重なりました。
逆に、なつかしい面影にめぐりあえなかった場所もあります。(雨の日には三姉妹が決まって連れて行かれた)ヴィクトリア&アルバート博物館には散々通ったのに、三人が「うんざりするほど見る羽目になった」というドールハウスは見あたらなかったのです。くだんのドールハウスは既にベスナルグリーンの子ども博物館に移されていたのでした。結局いまだに、子ども博物館には行きそびれたままです。
しかし、あのころからさらに半世紀近く過ぎた今もー雨の日を選んで出かけて行きさえすれば、ドールハウスをのぞきこむ三人の少女たちにきっと会えそうな気がしています。
そう、物語のなかで得た友だちは、いつまでも心に住んでいるからです。
『バレエシューズ』を読んで下さるみなさまにとっても、フォシル三姉妹がどうか、大好きな友だちとなりますように!

*:コヴェントガーデンは、映画『マイフェアレディ』(原作はバーナード・ショー『ピグマリオン』1912年)で花売り娘が登場する青果市場としても有名。1970年代に市場はテムズ南岸に移転、跡地は再開発されておしゃれなショッピングモールとなり、一帯はにぎやかな商業地域に生まれ変わった。ロイヤルオペラハウスは18世紀からこの地にあり、世界有数のロイヤルバレエ団のホームシアターでもある。
 



朽木 祥(くつき・しょう)
広島市生まれ。被爆二世。上智大学大学院博士前期課程修了。Postgraduate diploma course of Trinity College, Dublin 修了。著書に『かはたれ』(児童文芸新人賞、日本児童文学者協会新人賞ほか受賞/福音館書店)、『風の靴』(産経児童出版文化賞大賞/講談社)、『光のうつしえ』(小学館児童出版文化賞、福田清人賞/講談社)、『彼岸花はきつねのかんざし』(日本児童文芸家協会賞/学習研究社)、『あひるの手紙』(日本児童文学者協会賞/佼成出版社)、『オン・ザ・ライン』(全国青少年読書感想文コンクール指定図書/小学館)、『たそかれ』(福音館書店)、『引き出しの中の家』(ポプラ社)、『八月の光 失われた声に耳をすませて』(小学館) など多数。鎌倉市在住。

2019.02.06

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