学校図書館だより

【エッセイ】ときの感覚を養う本を|松岡享子さん

ときの感覚を養う本を

松岡享子


「あったァ!」と、うれしそうな声が上がる。
 
ここは「文庫」と呼ばれる子どものための小さな図書室。
2年生のTくんが、本についているブックポケットから、貸出用のブックカードを抜き出して、これまでにその本を借りた人の名まえを調べ、そのなかにお父さんの名まえを発見したときの喜びの声である。

Tくんのお父さんは、30年ほど前、この文庫の常連さんだった。
毎週のようにやってきて、せっせと本を読んだ。
借りていった本のブックカードには、ちゃんとお父さんの名まえが、当時の筆跡で残っている。
ここは小さな文庫で、蔵書の数も、来る子どもの数もそう多くはないので、いまだに貸し出しには、文庫をはじめた50年前と同じ、カード方式を使っている。
ほとんどの図書館で、バーコードを読み取るコンピューターを使っての貸し出し方式が使われている現在では、時代遅れもいいところだが、こうしてお父さんの読んだ本を見つけて喜ぶ子どもがいるのを見ると、なかなかこの方式は捨てられない。

お父さんが読んだ本を見つける、というのは、Tくんにとってどんな意味をもっているのだろう?
お父さんも子どもだったことがあるんだ、というのは、子どもにとって、実に大きな発見ではないだろうか。
大げさな言い方かもしれないが、このとき、Tくんは、お父さんの生きてきた時間の流れの中に、自分の命も加わって、ともに流れていることを無意識のうちに感じ取ったのではないだろうか。
あの歓声のなかには、そのうれしさがあるように思える。
わたし自身憶えがあるが、子どもから見ると、大人は、はじめから大人であって、大人という別人種だと思っていたふしがある。
大人もはじめから大人だったわけではなく、赤んぼうのときがあり、子どものときがあり、ずうっとつながって今日がある、ということを理解できたのは、かなりあとのことであった。

脳の研究によってもたしかめられたというが、子どもの時間の概念の発達は、空間のそれよりあとだと聞いている。
たしかに、生まれてまだいくらも経っていない子どもに、時間や、歴史の感覚をもてといっても無理であろう。
ときに関することばを口にしていても、どれだけその感じをつかめているだろうか。
文庫で、5、6歳の子が、自分より小さい子が手にしている本を見て、「ぼくも、昔、その本が好きだった」などというのを聞いて、ほほえましく思うことはあるが。

子どもにとって、時間や歴史の感覚をもつのはたやすいことではないにしても、その感覚を育てることは、とても大事なことだと思う。
なぜなら、自分という存在が、連綿とつづく命のつながりのひとつであること、自分が生きている場所でこれまで大勢の人が生きていたこと、その人たちが生み出し、時間をかけて育ててきた文化、社会の仕組みのなかで今自分が生きていることを知ることは、存在の根を深くし、生を安定させると信じるからである。
 
築100年の家に、三世代、四世代の家族が住み、一歩外へ出れば、何千年も変わらぬ姿を見せる山や川があり、あの山城で500年前に合戦があったんだよ、といった物語を始終耳にしている子どもたちと、都市開発で一夜にして、まわりの景色が一変してしまうようなところに、核家族で暮らしている子どもとでは、おのずとときの感覚は違ってこよう。
そして、今、後者の子どもがどんどん増えているのではないだろうか。
 
自分が掌握している時間のスパンがあまりにも短いと、人はどうしても刹那的になる。
気持ちも不安定になるし、将来への希望や計画ももてない。
1ミリの線の先にこれからそれがどう動くかを予想することはむつかしいが、10センチの線の先には、ある筋道が見えてくる。
古いことを知っていることは、これから先を見通せることでもある。
 
子どもたちには、ぜひ年齢に応じて時間の感覚を育て、長い歴史のなかに自分を位置付けて、心の根を深くおろし、安定した気持ちで生きていってもらいたいと願う。
そして、何よりもそれを助けてくれるのは、本だと思う。
遠い昔から伝わる物語の本、遠い昔の出来事を記録した本、何年も前に生きた人が書いた本、
何年も前に生きた人について書かれた本、出版されてから長い時間を経て今も読み継がれている本……。
これらの本をたのしんで読むうちに、自然に備わってくるときの感覚、時間の厚み、それが大切だ。

岩波書店、福音館書店の子どもの本には、こうした時間を感じさせる本が数多く含まれている。
心ある大人の口添えがなければ、今の子どもがすぐには手を出さないかもしれない、いわゆる「古典」を揃えておいてくれるのもありがたい。
お父さんが読み、そのまたお父さんが読んだ本を、子どもたちが、大好きなお父さん、おじいちゃんとつながる喜びを味わいつつ、同じようにたのしんで読む姿をこれからも見つづけたいと願う。

松岡 享子(まつおかきょうこ)

1935年、神戸に生まれる。神戸女学院大学英文学科、慶応義塾大学図書館学科を卒業したのち、渡米。ウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルチモア市の公共図書館に勤めた。帰国後、大阪市立中央図書館小中学生室に勤務。その後、家庭文庫をひらき、児童文学の研究、翻訳、創作に従事。1974年、石井桃子氏らと財団法人東京子ども図書館を設立し、長年、同図書館理事長を勤めた。
絵本の文には、『おふろだいすき』(福音館書店)、絵本の翻訳には、『しろいうさぎとくろいうさぎ』、お話の翻訳には「くまのパディントン」シリーズ(福音館書店)、「ゆかいなヘンリーくん」シリーズ(学習研究社)などがある。

「2019年度岩波書店・福音館書店 児童図書目録図書館用」より転載

2020.06.22

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