あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|八百板洋子さん『いのちの水 ブルガリアの昔話 』

みなさん、ブルガリアといえばどんなイメージがありますか?ヨーグルト? 元大関・琴欧洲の出身地?
今月の新刊『いのちの水』は、ブルガリアの昔話の絵本です。タイトルの通り、「水」をめぐる物語なのですが、「再話者」としてお話を書かれた八百板洋子さんによれば、ブルガリアは「水の国」でもあるとか。八百板さんがこの昔話に出会ったときのエピソードや、ブルガリアという国の文化的な背景について、エッセイを寄せてくださいました。

水の国で出会った昔話

八百板洋子



ブルガリアの昔話との出会いは、1970年代、まだ、わたしがソフィア大学の学生だった頃です。友人のヴォルガの家がバルカン山脈の山あいの町、ベルコーヴィッツァにあったので、誘われて冬や夏の休暇をすごしました。『いのちの水』は、そのとき、そこで、ヴォルガのおばあさんが近所のおばあさんたちと糸つむぎをしながら語ってくれた話の一つです。留学二年目で、長い昔話の語りを聴きとれる力もなく、ただ話の大筋がつかめただけでしたが、ふしぎな話だと記憶に残りました。
その後、帰国して松谷みよ子さんたちと共に東北の民話を採訪し、採録のしかたを学び六年後にふたたびベルコーヴィッツァの町を訪れました。この『いのちの水』は、その時の語りをテープに録音し、国立民俗博物館のターニャに手伝ってもらって文字におこし、翻訳・再話したものをもとにしています。本からではなく、語り手から聴きとったものを絵本にしたのは初めてです。
ベルコーヴィッツァの町は、広場も時計台も、共同浴場まで大理石ででき、いたるところから鉱泉が湧きでていました。ブルガリアは水がゆたかで、首都の街かどにも水くみ場があり、そのまま飲めましたが、このうす紅の大理石にうずもれた町の水は、浸みとおるような清涼感がありました。かつて、炎天下のもと、山みちを登っていたときにめぐりあった湧き水とおなじ若やいだ草の香りがしました。ブルガリアはバラの国といわれていますが、はるか昔より、水の国でもあったのかもしれません。


さて、この絵本を開くと、ここはヨーロッパのどこだろうというような荘厳なお城を見て、おどろかれるかもしれません。わたしも初めてソフィアの街に立ったとき、「ここはどこだろう」と思ったのです。ロシア正教の教会とイスラムのモスクが並び、地下には古代ローマの遺跡が混在しているのですから。
ブルガリアは、バルカン半島にあるスラブ人の国です。古くからオリエントとヨーロッパをつなぐ東西文化の接点でした。そうした地理的に有利な条件はゆたかな文化を生みますが、たえず他の民族に侵略されてきました(古代ローマに150年、オスマントルコに500年)。昔話にも東西文化の様々な要素が混じりあい、他のヨーロッパのものとはひと味ちがいます。このお話も、スラブ人らしい自然と闘って生きるがまん強さや素朴さがにじみでていますが、それにオリエントの要素が混じって、幻想的な魅力をかもしだしています。金や銀の国のドラゴン、いのちの水の精、ふしぎな指輪、空とぶ馬――。
このお話が三人兄弟の心の闇や裏切りなども含みながらも、どこかさわやかなのは、壮大で熱情的な異文化の香りが漂うからかもしれません。本を開くと、バルカノフさんのみずみずしい絵がはるかな世界に誘ってくれます。彼は海外でも数々の賞をうけ、ブルガリアを代表する画家です。
バルカンのさわやかな風が、あなたのもとにとどきますように!

八百板洋子 (やおいたようこ)
●1946年、福島生まれ。ソフィア大学大学院に留学。『ふたつの情念』(新読書社)、『吸血鬼の花よめ』(福音館書店)でそれぞれ日本翻訳文化賞を受賞。『ソフィアの白いばら』(福音館書店)で産経児童出版文化賞、日本エッセイストクラブ賞を受賞。『猫魔ヶ岳の妖怪』(福音館書店)で産経児童出版文化賞美術賞、『金の鳥』(BL出版)で日本絵本賞を受賞。2011年、ブルガリア共和国文化省より文化功労賞をうける。

2022.04.06

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