あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|宇野和美さん『太陽と月の大地』

4月の新刊『太陽と月の大地』の訳者・宇野和美さんは、『日ざかり村に戦争がくる』(福音館書店)、『ふたりは世界一!』(偕成社)など、スペイン語圏の本を多く翻訳しています。バルセロナへの留学経験もある宇野さんが、スペインの歴史にも触れながら、作品の持つ魅力を語ったエッセイです。

太陽と月のある世界で

宇野和美


 本書『太陽と月の大地』の原書を初めて手にとったのは1988年のことでした。会社勤めをしながら、いつか翻訳の仕事をできたらと思っていた私は、旅先のマドリードで「スペインの子どもによく読まれている作品10冊」を本屋さんに選んでもらいました。その中の1冊がこの本でした。夜を思わせるアルハンブラ宮殿の左に太陽、右に月が描かれた雰囲気のある表紙にひかれてページを開くとぐいぐい物語にひきこまれ、一気に読みました。私にとって翻訳者としての出発点ともいえるこの本が、30年近い時を経てこうして翻訳出版されるとは夢のようです。

 舞台であるグラナダは大学時代、初めてスペインを1人旅したときに訪れた町のひとつです。もちろん目的はアルハンブラ宮殿でした。外から見ると素朴な箱のような建物の内部の壁一面に刻まれた、信じられないほど精緻で壮麗な幾何学模様やアラビア語の文字、水と光の調和、眼下に広がる市街の眺望。今は住む者もない、イスラム教徒の栄華の名残をとどめた城はさまざまな夢想を誘いました。
 そんなグラナダで繰り広げられるというだけでも魅力的なこの物語で、私が何よりおもしろいと思ったのは、知識としての歴史だけでは見えてこない、その時代に生きた人々の姿が浮かびあがってくることです。


 スペインにイスラム教徒が侵入した8世紀から15世紀まで、キリスト教徒は征服された土地をとりかえそうという戦いを続けますが、キリスト教徒とイスラム教徒はその間ずっと対立していたわけではなく、13世紀はスペインの歴史の中でも最も寛容な時代だったとも言われています。この物語を読むと伯爵とエルナンドの家族の関係から、そういった共存のようすが伝わってきます。そして「1492年、カトリック両王によりイベリア半島統一」という歴史上の事実が、当時の人々にどのような影響を与えたのかも見えてきます。年号や史実の後ろには必ず「民」、すなわち一般の人がいること、そして民は常に理不尽にも時代にふりまわされることを改めて気づかせてくれます。

 宗教や民族は、今も国家や権力の対立の大きな原因となっています。この物語では対立をめぐってさまざまな人が登場します。武力で抵抗しようとする人、身の危険を感じて故郷を離れて逃げまどう人、なんとか対立を避けようと奔走する人、暴力の犠牲となって理不尽に死んでいく人、悲しみのうちに亡くなる人、難民となって苦労する人……。人々に心の平安を与えるはずの宗教が災いの種になり不幸が不幸を呼んでいくとはなんと皮肉なことでしょう。この物語は、シリアやパレスチナなど世界各地で今も起こっている問題を考えるにも、新たな想像力を与えてくれるようです。物語のラストに出てくる「わたしは平和ごっこがしたい」という登場人物の言葉は、数々の苦難の果てだからこその重みがあります。
 スペインは1936年から1939年の内戦のあと1975年まで独裁下にあり、その間、厳しい言論統制がしかれていました。1939年生まれの著者ロペス=ナルバエスは、人間として大切なことは何か、どうすれば対立を越えていけるのかなどを、独裁時代にずっと考えてきたのでしょう。

 読者のみなさんが自分自身や社会のこれからを考えていくときに、エルナンドとマリアの物語を思い出してくれるようになったならとてもうれしいです。


 



宇野和美(うの・かずみ)
1960年大阪生まれ。出版社勤務を経て、スペイン語圏の本の翻訳に携わる。バルセロナ自治大学大学院修士課程修了。訳書に『ふたりは世界一!』(偕成社)『だいじょうぶカバくん』『ちっちゃいさん』(講談社)『日ざかり村に戦争がくる』(福音館書店)他多数。

2017.05.29

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