こどものとも800号記念・絵本誕生のひみつ

いそがしいよるが生まれた日/さとうわきこさんインタビュー

月刊絵本「こどものとも」は、2022年11月号で800号を迎えます。これを記念して、今年度、本誌の折り込み付録では、過去の記事から、数々のロングセラー絵本の「誕生のひみつ」について、作者の方たちが語ったインタビュー記事を再録してお届けしています。

ふくふく本棚でも、毎月、「こどものとも800号記念・絵本誕生のひみつ」と題して、折り込み付録掲載のインタビュー記事を公開してまいります。第4回は、「いそがしいよるが生まれた日」。さとうわきこさんのインタビューを「こどものとも年中向き」2000年12月号折り込み付録から再録してお届けいたします。

「子どもの頃から、よくお月見をしていたんです」

――どんな発想からこの絵本ができたのか、という質問へのお答えです。

「父も月と星が好きで。おだんごやすすき、花を用意して、家族でお月見。それがすてきな記憶として残っている。

それと25歳くらいの時に、月が山から昇るのを見たのが印象的で。宮沢賢治の研究家の先生が、書簡集を作るというので、私を入れて女の子3人でくっついて岩手県内を歩いてたんです。陸中松川というところに賢治の晩年を知ってる人がいて、賢治の手紙を写させてもらいました。コピーもない時で、手書きで朝から写して。賢治は私のひとつの憧れだったので、手紙に触れることができてよかったんですけど、夜遅くなっちゃって。終わって外に出たらまっ暗なんです。

そこから帰る時に坂を下りながら歩いていたら、むこうの山のてっぺんが明るくなるんですよ。『何だろう何だろう』って言ってたらね、お月様がうす皮のようにキュッと出てくるの。みんなでアッと言って。そしたらものすごいスピードで上がってくる。大きな黄色いかたまりが昇るんですよ。うれしくなっちゃってね。みんなで手をつないで童謡を歌いながら帰ってきました(笑)。

『いそがしいよる』ってのは、子ども時代の、屋根とか廊下から見てる月の印象と、賢治のふるさとで見たお月様と、ふたつが重なってできてるんだと思うんですね。私のほとんどの作品は、そういう昔のちょっとしたキズ、がよみがえってできてるところがある。この作品も、最初は「母の友」の童話だったんですね。水口さんという編集の人に童話を持っていくと、最初はケチョンケチョンにけなされて。『あなたらしい言葉で文章を書け』と、よく言われました。例えば私、中川李枝子さんの『いやいやえん』が好きだったんですけど、それを読んだ後で文章を書くと『いやいやえん』っぽくなっちゃうのよね。そういうのはもう、すぐ見抜かれちゃってね。『こんなんじゃだめだ。あなたらしい文章が絶対あるはずだ。ぼくにはわかる』って言うの。

賢治の本を読むと、賢治らしい言葉ってたくさんあるんですよね。『鬱金(うこん)しゃっぽのカンカラカンのカアン』なんて言葉があって、何かとってもすてきな感じしちゃう。ひとつの文章読んだだけで、賢治らしいな、と思う。そういう文章を私も持ちたい、と思ったの。それで私自身も自分の文章を探したし、水口さんも探してくれた」

――ばばばあちゃんの口調は?

「関東弁です。でも気持ちの中では東北弁が混ざってるんですよね(笑)、賢治が好きだから。調子は江戸弁で、パンパンと機関銃みたい。私は実生活でもそう言われます。『ケンカしてるみたいだ』と(笑)。

賢治の童話は、子どもの時に父が読んでくれていました。私は体がすごく弱かったんです。結核なので、長生きしない、とかわいそうに思ったらしいんですね、親が。で、けっこう童話を読んでくれて。『やまなし』という作品の『クラムボン』って、なんか泡のような、軽いものの気がした。カニが親子で話してるなんていいな、と思った。家の近所に小さな水の湧いているところがたくさんあって、そこにカニもいっぱいいたんですよ、沢ガニが。それで『あ、あそこじゃないか』って思うのよね。それで『クラムボンはわらったよ』というのを、よくそこに見にいったの」

「内容よりも、変わった言葉を覚えてる。子どもってみんなそうかもしれない。ふつうの言葉じゃなくて、唱え言葉や歌のようなものをよく覚えてる。

父はそういう人で、一方で母はとてもたくましい人で。私が子どもの頃は、たらいで洗濯してました。『せんたくかあちゃん』(福音館書店刊)は、今思うと私の母親像なんですね。描いている時には気がつかないんだけど、下地になっているのは母のたくましさなんだなあって、最近になって思います」

――『いそがしいよる』の中にも、たらいが描かれていますね。

「ここに描いてあるのは、ほとんど自分の家にあったものを描いているんですね。てっとりばやいから(笑)。ゆり椅子は、近所のだんなさんがゴミ置き場から拾ってきて使っていたものだし。それからこの踏み台。父が作った踏み台で、くぎだらけなんです。打っても打っても気に入らないのね。1箇所に10本ぐらい、重なってくぎが入ってました(笑)。

まめだけど不器用な人で。当時はお父さんてあんなものかと思ってたけど、よそのお父さんとはちがってましたね。多趣味の人で、そういう変なところを私が引き継いだというか。油絵の道具一式も持っていて、私、それもらったの。

子どもの頃から絵は好きで、小中学校でも入賞してました。高校の時も美術部だったし。美術室の主、という感じ。でも、病気になっちゃうんです、私。体弱いから、とにかく高校まで生きたのがふしぎ、というぐらいで。高校3年の時、また結核になるんです。腎臓もひとつとっちゃって。だから本当、小学校の時から挫折だらけの人生です(笑)」

――家の物をみんな出して、ばばばあちゃんはこの後どうするんでしょう?

「しばらくここで暮らすんじゃない? 私ならそうする。今日はこっちで寝よう、明日はこっちで……、というふうにして、ちょっとずつもどすとか(笑)。

私、年中寝床を持って歩くんです。あっちで寝たりこっちで寝たり。この前も、ピーちゃんてインコが具合悪い時に、その横で寝たの。机と机の間で、ふとんがこう(V字型)なっちゃってるの(笑)。よく夜中にふとんを持って歩き回って、変なところで寝ます。柱と柱の間にはさまってたり。亭主も慣れちゃって、『朝起きたら、ちがうところでガァーって寝てたぞ』って言うんだけど。

狭いところが好きですね。足を壁に押し付けて座ると気持ちいい。このぐらいの狭いところに座ってさ、こうやってよっかかってるの(と、コピー機の間に座ってくださいました)。すごい充足感があるんですよ(笑)。子どもの時、玄関で寝てたこともあります。寝てたらお客さん来ちゃってね、玄関開けたらいる、ってやつ(笑)。

家のベッドの上の屋根が開いて、星が見えたらいいなあ。子どもの時から、そういうとこで寝たいな、と思っていたの。『いそがしいよる』は、そういう気持ちの再現なんですね」

*次回は「かばくんが生まれた日/岸田衿子さんインタビュー」。
 7月10日頃公開予定です。どうぞお楽しみに。

2022.06.10

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