あのねエッセイ

かこさん、ありがとう! 特別エッセイ②|福岡伸一さん「私の、かこさとし『ベスト3』」

5月2日、加古里子さんが逝去されました。半世紀以上に渡って子どもたちのために絵本を描き続けた加古さんを偲び、全3回の特別エッセイを掲載いたします。加古さんと生前に親交のあった方々、また、日々絵本を子どもたちに届けている方々が寄せてくださった、ありがとうのメッセージをぜひご一読下さい。
今回は、『ちっちゃな科学 好奇心がおおきくなる読書&教育論』(中央公論新社)で加古さんと共同執筆をした経験をもつ、生物学者の福岡伸一さんからのメッセージをお届けいたします。

私の、かこさとし「ベスト3」

福岡伸一


私にとってのかこさとしベスト3は、『かわ』『宇宙』『小さな小さなせかい』である。ここにあるのはそれはマップラバーの気持ちである。マップラバー(map lover)とは文字通り地図が大好きな人のこと。鳥瞰的に世界を捉えたいと願う気持ちのこと。そしてこれはまさに子どもの心の動きでもある。子どもたちは何かに興味を持つと、出発点から終着点まですべてをたどってみたくなる。何かを発見すると網羅的に全部を知りたくなる。魅力的なものを見つけると枚挙してコンプリートしたくなる。これがマップラバー的好奇心。虫オタクとして育ち、昆虫標本を一生懸命集めていた私にはこの気持がよくわかる。かこさんご自身もまた生粋のマップラバーだった。
 『かわ』では、川の源流から河口までの流れとその周囲の光景が正確・公平にトレースされる。ドラマや事件はなにもない。でもこの淡々とした描写がよいのだ。子どもの想像力は勝手に羽ばたくから。
 『宇宙』と『小さな小さなせかい』では、マップラバーの気持ちが垂直方向にどんどん広がり、ノミのジャンプから始まって、ビル、高層タワー、飛行機から宇宙にまで達してしまう一方、逆にミクロの世界へと降下していく。ミジンコ、細胞、分子、原子にまで行き着く。マップラバーの面目躍如である。
 かこさんとは意気投合して本も作った(『ちっちゃな科学』中公新書ラクレ)。そのとき、こんなことがあった。1970年代の有名な米国映画に「パワーズ・オブ・テン」がある。視点が10の何乗スケールで拡大・縮小する実験作品。私がうっかり「ちょっとあれに似ていますよね」と言ったら、かこさんは胸をはってこう言い返してきた。「いや、僕の作品は、原子よりも小さいニュートリノのレベルまでいっています。」勝ち気でおちゃめなかこさんの一面を見た。
 一方で、かこさとしさんは、よい子であろう、親の期待に応えたい、みんなの役に立ちたい、というごく素直な子どもの心が、たやすく時代の影響を受けてしまう危険性にも十分すぎるほどの自戒があった。かこさんは言った。「戦前、僕は筋金入りの軍国少年だったんです。」立派な軍人となってお国のために働きたいと思って一生懸命勉強した。そして戦争が終わるとすべての価値が反転するのを体験した。同級生たちの多くが帰らぬ人となったことを決して忘れることはなかった。かこさんの細やかで優しい絵の後ろ側に、いつもどこか寂しげで、悲しみを含んだ光と風があるのは、このときの原風景が含まれているからだ。
 かこさん、さようなら。ありがとうございました。



福岡伸一(ふくおか・しんいち)
1959年東京都生まれ。生物学者、青山学院大学教授。ロックフェラー大学客員教授。京都大学卒業。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』(講談社)『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著書多数。他に『できそこないの男たち』(光文社)『世界は分けてもわからない』(講談社)『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)『ツチハンミョウのギャンブル』(文藝春秋)など。

2018.07.25

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