作者のことば

『おいしいおと』の三宮麻由子さん|心の翻訳

炊きたてのごはんに、カリッとした春巻き。思わず手を伸ばしたくなってしまう食べもの絵本『おいしいおと』は、食べるときの「音」を味わえる作品です。それぞれの食べものの食感がよみがえってくるような言葉を生み出したのは、作者の三宮麻由子さん。三宮さんによる、「言葉」の力を感じられるエッセイをお届けします。

心の翻訳

三宮麻由子


初めて韓国のソウルを訪れたとき、ふしぎな体験をしました。短い滞在の間に、言葉の響きから、人びとのしていることがかなりの正解率で判断できるようになったのです。
ハングルの知識は両手の指に納まるくらい。しかも私は目が見えないので、周りの状況を判断するには日本語の説明を聞くほかありません。それなのに、人びとの言葉から光景が手にとるように伝わってきたのです。
ミョンドンの路上で教えを説く宣教師、南大門のはずれで何やら商談をするおじさんたち……。それらがはっきりした光景として聞こえてくるのでした。
この経験は、言葉が人の心の翻訳という機能をもつ、ひとつの音楽だということを端的に物語っている気がします。

そういえば、私の母は、私が4歳で光を失うまで、1年にわたる入院の間、毎日絵本を読み聞かせてくれました。私には絵本の内容はほとんど理解できなかったけれど、母が私を思う心を感じることができました。ソウルの人びとの言葉が、仕事にいそしむ彼らの心を翻訳したものだとすれば、絵本を読む母の声は、私への愛情を翻訳する音楽でした。

子どもに美しい言葉で語りかけるということは、おとなたちの誠意と愛情を翻訳する音楽をかなでることでもあると思います。特に絵本の読み手からひびいてくる言葉は、読み手の純粋な感動を翻訳する音楽といえるのではないでしょうか。子どもは、絵本に書かれた珠玉の言葉を通して、作者の思いだけでなく親やおとなたちの心をも味わっているのです。
真に美しい言葉をつむぎだすためにも、私たちはその原点となる心を磨きたいものです。心を磨く力も、心を翻訳した音楽をかなでたり味わったりする力も、おとな、子どもを問わず、すべての人間に与えられた、すばらしい贈り物だと思うからです。
 

(「ちいさなかがくのとも」2002年6月号 折り込み付録より)


三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)
1966年、東京都生まれ。上智大学大学院博士前期課程修了。外資系通信社勤務。エッセイスト。著書に『鳥が教えてくれた空』(日本放送出版協会/文庫版は集英社)、『空が香る』(文藝春秋)など。絵本に『おでこに ピツッ』『ウグイス ホケキョ』『そうっと そうっと さわってみたの』(いずれも「ちいさなかがくのとも」)『おいしい おと』『でんしゃは うたう』(ともに幼児絵本ふしぎなたねシリーズ)/以上、福音館書店)など多数。

2019.02.18

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