あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|梨木香歩さん『ヤービの深い秋』

今回ご紹介するのは、秋の読書にぴったりの新刊『ヤービの深い秋』。自然豊かな湖沼地帯にひっそりと住む小さな生きものヤービと、そのなかまたちの暮らしを描いたファンタジー童話『岸辺のヤービ』の続編です。エッセイでは梨木さんが、作品が描く「大切なもの」、「価値あるもの」についてのご自身の思いを語りつつ、新作の見どころをご紹介くださいました。

大きい人にとって、小さい人とはどういうものか、という話

梨木香歩


『岸辺のヤービ』を上梓してから、四年の歳月が経ってしまいました。今回刊行される『ヤービの深い秋』はその続編です。実は本作品の原稿ができたのは一年ほど前になります(この間、小沢さかえさんが、一生懸命表紙や挿絵を描いてくださっていたのです。素晴らしかった前回にも増して、味わい深い……それはおそらく見てくださった皆さんがそう感じられると思います。それもたっぷり、です。どうか楽しみにしていらしてください)。早く本にして、読者の方々にお届けしたい、と、小沢さんや担当の編集者氏ともども、顔を合わせるとその話になり、どういうわけかそういうとき、皆、うっとりとした表情になるものでした。自分たちの愛するヤービとその冒険を、読者の皆さんと共有できるときが楽しみでならないのです。

さて、今回の冒険ですが、ヤービたちはある必要から、ややこし森に行かなくてはならなくなります。ある必要、というのは、友人のトリカのおかあさんの「必要」なのです。ややこし森はもともと、ヤービたちにとって、不気味でちょっと怖い場所でした。出かけるためには勇気がいります。

でも、大切なもの、価値のあるものは、そうそう簡単には得られないものです。私は心や精神という場では、得るものと手放すものが、そのひとのなかで等価になる、と思っています。これは私が勝手に考えている「個人内界等価交換の法則」なので、まるですでに万人に真理と認められているように書くのは控えますが――だから、「仮定」としますね――この仮定された法則では、骨折り損のくたびれもうけ、というようなことは起こりません(そう決めておけば、いろいろと心穏やかでいられます)。

そもそも、価値のあるものとはなんでしょう。それはもちろん、金銭的に高額である、ということではありません。それがたまたま高額である場合もあるでしょうけれど、「価値」は、人それぞれによって、そしてその人の抱えている状況によって、違うものです。ヤービたちが命懸けで得るであろう「あるもの」は、トリカのお母さんにとっては、そのものの本質に加え、トリカやヤービたちが「自分のために」必死で採ってきてくれた、という付加価値がついて、かけがえのない大切なものとなることでしょう。ヤービたちは、友情や、経験や、それを得るために身につけた新たな技能や、そういうことをひっくるめた「価値」を得るようになるでしょう。トリカ自身にとっても、母のために払う努力で得られるものは、彼女にとってかけがえのない魂の糧となるでしょう。それは、すべて、心の深いところで行われるものです。

今回は、前作でヤービの友人になった大きい人、ウタドリさんの勤務する、サニークリフ・フリースクールでも、子どもたちにいろいろなことが起こります。そしてこの子どもたちのなかにも、どうしてもややこし森――彼らの言い方では、テーブル森林渓谷――へ行く必要がある子どもが出てきます。大きい人たちと小さい人たちが、同じようにそれぞれ大切なもののために、同じ日に、同じ場所へ向かったのです。

これ以上はもう申せませんが、大きい人、つまり人間の心の深いところで、その魂を賦活化させるために、小さい人たちがどういう働きをするか、これは、そういう物語でもあります。

お読みいただけるときを、楽しみにしています。



梨木香歩(なしき・かほ)
1959年生まれ。作家。小説に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『家守綺譚』『沼地のある森を抜けて』『冬虫夏草』『村田エフェンディ滞土録』『雪と珊瑚と』『海うそ』『僕は、そして僕たちはどう生きるか』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』、エッセイに『春になったら莓を摘みに』『渡りの足跡』『鳥と雲と薬草袋』『水辺にて』『やがて満ちてくる光の』などがある。

2019.09.04

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