長谷川摂子と絵本作家

【第9回】長新太さん|(2)漫画のこと絵本のこと

一枚漫画のこと

長谷川 長さんは、一枚漫画というのを目ざして、漫画をかいてらしたと、うかがったことがありますが、『少年倶楽部』に載っていた漫画というのは、コマ漫画でしょう?
長 そうですね。日本の漫画は、今でもほとんどコマ漫画ばかりです。一枚漫画というのは、読者が知的参加をしなきゃいけないところがあるわけ。キャプションは割合短かめで、絵を見て、読者があれこれ考えるということが多い。コマ漫画みたいに、手取り足取り全部見せていくという形じゃないから、日本じゃ、あまり盛んにならない。
長谷川 一枚漫画は、どういうところで、ごらんになったんですか。
 戦後、アメリカの『ニューヨーカー』という雑誌に、割合いい一枚漫画が載っていた時代があって、非常に優れた人たちが出たんですよ。ぼくたち漫画少年は、そういう人たちに憧れてた。スタインバーグとか、ジェームズ・サーバーとか、アンドレ・フランソワとかね。アメリカとかフランスとかイギリスでは、こういう一枚漫画の画集が、他の絵画の画集と並んで一緒に売ってるんですよ。だから、漫画の概念っていうのが、日本とそもそも違うみたいね。日本では、コミックとか劇画みたいなものを、漫画っていうでしょ。
長谷川 日本というのは、西洋文明をどんどん吸収して、追いつき、追いこせみたいなことをやってきているのに、一枚漫画のことでは、そうはならないんですね。
 そう。だから、心ならずも、コミックや劇画の方に行っている人もいる。一枚漫画っていうのは、ものすごく奥が深くて、わかってみると、非常におもしろいものなんですがね。ところが、一枚漫画だと、本屋でパッと立ち読みしたら、おしまいというふうになって売れないとか言われる。(笑)本当は、何回も繰り返し、絵を見て味わうという面が、一枚漫画にはあるんだけどね。
 前に『朝日ジャーナル』で、もう亡くなった文楽とフランキー堺が対談やっててね。文楽に言わせると、寄席から帰ってから、自分の家のトイレへ入って、その落ちがわかってワーッと笑うっていうぐらい、昔の落語の落ちというのはひねってあったんだけど、今の人たちは、全然そういう考え落ちなんてわからないからだめだって。一枚漫画のおもしろさも同じで、知的参加ができないとだめっていうかね。

絵本のこと

長谷川 長さんの初めての絵本というのは、『がんばれさるのさらんくん』でしたね。おとなの一枚漫画から、子どもの絵本を作られるようになったきっかけは?
 ぼくの漫画を見て、堀内誠一さんが、カメラのPR誌だったかな、それにかくようにと会いに来たことがあって、それで、堀内さんとつき合うようになった。あるとき、遊びに行ったら、「こどものとも」の『七わのからす』だかを、堀内さんがかいてたのね。それを見て、ぼくもこういう絵本の仕事をやりたいって言ったら、じゃ、やればなんて言ってね、しばらくたったら、『がんばれさるのさらんくん』の原稿を持ってきてくれたの。それは、堀内さんが絵をかくように頼まれたものだったんだけど、これは長さん向きじゃないかって、ぼくに回してくれた。それが、そもそもの始まり。
長谷川 『がんばれさるのさらんくん』は、線のリリシズムというか、透明感のある画面構成がとても印象的な絵本ですね。それからすぐに「こどものとも」で『おしゃべりなたまごやき』を出され、それも同じような画風だったと思いますが、その後、改訂版として出された『おしゃべりなたまごやき』の方は全然雰囲気が違っていますね。線ではなくて、色彩の本という感じで、とても官能的で……。この2冊の絵本の変化の意味みたいなことを、お聞きしたいんですが。
 ぼくは絵が、4、5回ぐらい変化してるんですけどね。意識的に変えたんじゃなくて、ひとりでに変わっていっちゃうんですよね。意識的に変えていくというのは、どこかうそっぽいっていうか、知らないうちに、だんだんに変わっていくのでいいんじゃないかと、自分では思ってるんですけどね。ただ、変わっていくときの谷間というか、脱皮する途中でブラブラしている感じが好きじゃないですね。振り返ってみると、そういうときの作品っていうのが、自分ではあんまり好きじゃない。

ドギマギしてしまう絵本

長谷川 『おしゃべりなたまごやき』の改訂版の方ですが、保母になって絵本を見るようになってから、まだ1年もたたなかったころ、あの本を手にしたときは正直いって、最初、どう受けとめていいのか、ともかく色彩がすごく強烈だなって驚いたのを、よく覚えています。赤と緑と茶色がすごくて、ドギマギしてしまうような感じで……。だけど、何回か、子どもたちと読んでいるうちに、王様のキャラクターと、らっぱの〝タララッタ トロロット プルルップ タタター〟っていう音が絵と非常に合っているという気がしてきたんですね。子どもたちは、この本が好きで、何回も何回も読んだんです。そのうち、だんだん、最初のドギマギの感じが自分の中で薄くなっていって、ああ、これだ、これでいいんだという気持ちになっていったんです。それからは非常にいい気分で、あの本とつき合えるようになって、とっても好きな本になってしまいました。
長 かく側としては、お話に対して、どういう基調色が合うかということを当然考えるんですよね。
長谷川 今の若い保育者の人たちは、かわいい、やさしい絵本を好きな人が多いらしいんですが、確かに、そういう絵本というのは誰でも抵抗がありませんよね。でも、最初に抵抗を感じても、繰り返し子どもと見ていくうちに、徐々にわかってくるものがあるし、自分の感覚の幅が広がってくるんですね。
長 ぼくだって抒情的なものを否定してるわけじゃなくて、その質が高ければ、かわいい絵だって、もちろんいいと思う。だけど、かわいいとか、叙情的なものというのは、質が悪くても、みんなに好かれやすい面があるので、非常に危険だと思うのね。

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2017.04.09

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