あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|赤羽茂乃さん『絵本画家 赤羽末吉―スーホの草原にかける虹―』

今回ご紹介するのは、今年で生誕から110年を迎える絵本画家・赤羽末吉さんの仕事と生涯を振り返る新刊『絵本画家 赤羽末吉―スーホの草原にかける虹―』。末吉さんの三男・研三さんの妻で、赤羽末吉研究の第一人者でもある赤羽茂乃さんが、戦前・戦中・戦後を力強く生き抜いた末吉さんの人生を、豊富な資料、そして家族ならではのエピソードを織り交ぜながら綴った一冊です。
あのねエッセイでは、茂乃さんが、末吉さんの「好物の味」を振り返りながら、末吉さんの歩んだ道、そして、初めてあったときの思い出を語ってくださいました。

思い出は、濃いカルピスと大福? の味

赤羽茂乃


義父、赤羽末吉は渡り蟹が大好物だった。まっ赤に茹であがった蟹を、「この磯の香りがいいねえ」と言いながら、さもおいしそうにしゃぶっていた。義母の話によれば、ワタリガニは旧満州(現中国東北部)大連の味だそうだ。

渡り蟹だけでなく、義父の好物は人生と何らかの関わりを持っているように思われる。カツカレー、あんみつ、人形焼き、干し山査子、小籠包、水餃子、天津甘栗、グレープフルーツ等々。それらは義父が歩んできた人生の折々に出会い、喜びや楽しさと共に義父の記憶に強く刻まれる味だったのではないだろうか。

赤羽末吉は1910年、神田に生まれた。それ以来、江戸の風情を残す東京、下町で青年期までを過ごすのだが、その時期にわくわくしながら味わったのが洋食、カツカレーであり、貧乏暮らしの中でしみじみおいしいと感じたのが、夕飯代わりの人形焼きやたい焼きだったのだろう。

養子に出され、東京での暮らしは義父にとって辛いことも多かった。だが、22歳で旧満州に渡ってからは、職を得、家族を持ち、日本画家として、また郷土研究家として認められ、友人にも恵まれた華の時代を迎える。そうした義父の日常にあったのが、天津甘栗や真っ赤な果実を串刺しにした山査子飴、小籠包や水餃子などで、それらはこよなく愛する大陸の味なのだ。

敗戦後、やっと東京に戻った義父は、引き揚げの疲れが祟り、病に倒れた三人の子どもを失う。この時、平和であることの大切さを身に染みて感じたという。そのどん底から這い上がり、アメリカ大使館勤めを始めるのだが、同僚だった画家で絵本作家の小野かおるさんと、共に語らいながら、大使館のティールームで食べたグレープフルーツは、新しい時代を象徴するような爽やかな味だった。

絵本へと続く遥かな道を歩み続けてきた義父、赤羽末吉が「こどものとも」1961年1月号『かさじぞう』で絵本界へデビューしたのは50歳の時だった。以降、80歳で他界するまで、渾身の絵本を子どもたちに贈りつづけた。

1980年、義父、赤羽末吉は、日本初の国際アンデルセン賞画家賞を受賞した。赤羽末吉とその作品について全く知らなかった私が、義父に出会ったのは1979年、その前年のことである。

初めて顔を合わせた婚約者の父、赤羽末吉は、畏まって挨拶しようとする私を押しとどめ、前に座らせると、今度は勢い込んで、「学校では人類学を学んだそうだが、柳田や折口は詳しいの?」と聞いてきた。「いえ、そういう勉強はあまり……」と答えた私に対し、明らかに全く、期待外れ、全く、ガッカリという表情を見せて黙り込んでしまった。そのあとはお互いに、カルピスの入ったコップをマドラーでカチャカチャかき回しながら、間の持たない時間を過ごした。

私にとって、氷で薄まったカルピスは、初対面の義父との思い出の味なのだが、存命中11年間を傍らで暮らし、他界後、原画や資料の整理に携わって早30年。義父の豊かな人生と奥深い作品を知れば知るほど、そのカルピスの味わいは深く濃くなっていく。

さて、天上の義父にとって、私との思い出の味はどんなものなのだろうか。結婚して間もない頃、土産に大福を5個だけ持って行くと、義父は知人に「お茂はうまいんだよ。大福を人数分だけ買ってきて、おいしいから食べよ、なんて出されるとコロッとまいる」と言ってくれたそうだから、さしずめ私との思い出の味は、コロっと丸い大福というところか‥‥‥。



赤羽茂乃(あかば・しげの)
1952年、東京に生まれる。1979年、絵本画家・赤羽末吉の三男、研三と結婚。住まいを近くし頻繁に行き来しながら、義父である赤羽末吉の日々の暮らしに触れる。1990年、赤羽末吉他界後は、夫の研三とともに遺された原画やフィルム、スケッチなどの整理に携わりながら、絵本画家が辿った軌跡とその作品について調査を重ねる。現在、赤羽末吉研究の第一人者として、その生涯と作品の魅力を多くの人々に伝えるため、各地で精力的に講演活動をおこなっている。横浜市在住。

2020.03.30

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