あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|中村至男さん『はかせのふしぎなプール』

今回ご紹介するのは、絵本『どっとこ どうぶつえん』の作者で、グラフィック・デザイナーの中村至男さんによる新刊『はかせのふしぎなプール』。絵本では、プールに沈んだものの正体を、その一部分だけをみて想像できるかが試されます。デザイナーならではの視点と発想による視覚表現が魅力の、想像力が多いに刺激される一冊です。あのねエッセイでは、作者の中村さんが、幼い頃に川の中に見てしまった”ヘドロ人”の思い出、そして、「”見えている”以上のことをイメージする力」について、語ってくださいました。

見えないものを見るちから

中村至男


見えてしまった怪物

こどもの頃、川崎市にある僕の生まれた街は、昔の用水路のなごりか、 街中にドブ川がはり巡らされていた。合流したり地下にもぐったり、その迷路のようなつくりや濁った水、メタンガスの臭いなど、得体のしれないスリルとあいまって、こどもたちの格好の遊び場となっていた。落ちやしないかと、ずいぶん親たちを心配させたものだった。

ある日の放課後、僕はいつものように橋の上から、ザリガニでもいないかなあと、汚水の流れに目を落とした。瞬間、とんでもない光景が飛び込んできた。

川底に大きな手がぐにゃぐにゃとうごめいていたのだ。

ヘドロ人が這いずり出てくる! と、恐怖に縮みあがった。が、すぐに川底にひっかかったゴム手袋が流れにゆれているだけと気づく。ほんの2、3秒の間だっただろうか。それは単に手の形から妄想した頭の中の出来事であり、とんだ勘違いであった。しかし、あのとき僕ははっきりと、ヘドロの中に怪物の姿を見たのだった。

あれからずいぶん経ち、現在、川は蓋をされ遊歩道になってしまった。けれど、大人になってからもそこを歩くと、ときおり足元にあの怪物を感じることがある。うっかり見てしまったあの世界は、いまだに僕の頭の中に存在しているのだ。

見るとは?

僕の小さい頃とくらべて現代は、ネットなど様々なメディアで、格段にたくさんの情報を入手できるようになった。もちろん僕もそんな便利さを享受しているひとりである。

しかし、そんな便利で情報にあふれた生活で、ふと自分の振る舞いに違和感を感じたことがあった。毎日、面白い情報やわかりやすい映像を見ているのに、次の日にはすっかり忘れたり、二度と思い出さないことも多い……。なんだろう? この身に染み込まなさは。情報麻痺なのか? 歳なのか? これはデザイナーとしても死活問題だ……(笑)と、あわてて自分をかえりみた。

テレビやネットで映像を見て、わぁと感激しても、次の日にはその〝わぁ〟は、すっかりしぼんでしまう。まるで読み切った雑誌のように興味を失い、新しい次の刺激を待つ自分がいた。便利な世界で、いつしか僕の脳は、受け身でものを見ることに慣れきってしまっていた。情報を咀嚼せず、消費して、何かを見た気になり、そして忘れる。

この『はかせのふしぎなプール』は、見えない部分を能動的に見ようと試みた本です。見ることに怠惰になっていた自分に向けて作ったものでもあります。こどもの頃〝見てしまった〟あのヘドロ人のように、興味や好奇心をもって情報に向かうことで、どんな手がかりからでも、見えてい る以上のことを豊かにイメージ出来るようになりたいと切に思います。かつての自分に負けないように。



中村至男(なかむら・のりお)
グラフィック・デザイナー。神奈川県生まれ。日本大学藝術学部卒業。主な仕事に21_21 DESIGN SIGHT「単位展」、アートユニット「明和電機」のグラフィックデザイン、雑誌「広告批評」のエディトリアルデザイン、『勝手に広告』(佐藤雅彦との共著/マガジンハウス)など。受賞に、第20回亀倉雄策賞、第64回毎日デザイン賞ほか。絵本に『どっとこ どうぶつえん』(2014年ボローニャ・ラガッツィ賞優秀賞)『たなのうえひこうじょう』(「こどものとも年中向き」2017年7月号)『サンタのコ』(MUJIBOOKS)『7:14』(Creative Language)などがある。

2020.07.01

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