あのねエッセイ

特別エッセイ|深緑野分さん「くまさん」の絵本シリーズ

『ゆうびんやのくまさん』や『パンやのくまさん』など、愛らしい姿と、実直な働きぶり、日々のくらしをていねいに営む様子が人気の「くまさん」シリーズ。今回、新たに『ボートやのくまさん』と『しょうぼうしのくまさん』の2冊が加わったのを記念して、子どもの頃からシリーズのファンだという小説家の深緑野分さんに、エッセイを寄せていただきました。子ども時代のエピソードや、ご自身の作品への影響、大人になって思い返して感じたことなど、シリーズの奥深い魅力が伝わってくる素敵なエッセイです。ぜひご覧ください。

遠いのにすぐそばにあった憧れの世界

深緑野分

 イングリッシュ・マフィンをはじめて知ったのは『パンやのくまさん』を読んだ時のことだった。くまさんは朝早く起きてパンを焼き、販売車に積んで出発、街角でがらんがらんと鐘を鳴らせば、お客さんがずらりとやってくる。移動販売が終わったらお店でも売って、夜には閉め、さあ晩ご飯となった時に、マフィンを焼くのだ。でも私の知ってるマフィンじゃなかった。当時私が知ってたマフィンは、近所のコープで売っていた、ふんわり膨らんだ甘いカップケーキのこと。でもくまさんのパンは、なんか、丸くて平べったい。それを暖炉に置いて焼いてる。
 なんだこれは? 
 私は母にこれは何かと聞いた。すると次の日、母はコープで白くて平べったいパンを買ってきて、横にフォークを突き刺してふたつに割ると、トーストした。うっすらきつね色に焼けた、表面がちょっとぎざぎざしたそのパンに、バターを載せて食べた。ああ、なんておいしいんだろう。母は「これがイギリスのマフィンだよ」と教えてくれた。イギリス。外国。私の心は外の世界への憧れと親しみでいっぱいになった。
 それからページを戻ってみれば、かわいらしい絵はすみずみまで書き込まれていて、たくさんの知らないものが並んでいるのがわかった。色とりどりのゼリー、脚の高い皿の上のケーキ。
 その前に『ゆうびんやのくまさん』を買ってもらっていた私はそちらも開いて、たくさんの「うちと違うところ」を探しては、夢を膨らませた。ポストの形が違う。家の雰囲気が違う。ここに描かれていたのはイギリスという国にとっての、当たり前でささやかな〝いつも〟の風景なのだけれど、だからこそひとつひとつを見るたび、心がわくわくと弾んだ。かわいいもの。不思議なもの。でも、同じところもたくさんある。
 今の私は、イングリッシュ・マフィンを自分でも焼いて食べている。パンやのくまさんを忘れることは絶対にないし、小説家になってから自分の作品でも日常生活を細かく書くのは、くまさんシリーズのせいである。
 絵本のくまさんはよく働く。パンやのくまさんはもちろん、ゆうびんやのくまさんは雨の日も雪の日も自転車をこいで手紙を届ける。せきたんやのくまさんも重い石炭を背中の鋲に乗せて一生懸命運ぶし、うえきやのくまさんは、おうちの人の希望どおり木の枝を刈り込んで、いろんな形にする。
 そしてそんなくまさんに、人は優しい。くまさんは人間ではないけど、みんなそんなこと気にしない。私も気にしない。おとなになって思い返してみると、絵本の中に広がっている優しい世界に涙が出てきそうだ。くまさんの絵本シリーズの世界は、正しいことをすると相手が喜んでくれ、お礼を返してくれさえする。
 そして今になって思う。もしくまさんがなまけものであったとしても、人に優しくされる世界であるといいなと。絵本は、世界は優しくて輝きに満ちていると教える。時には遠い国を近くに感じさせてくれる。そしてそれは決して間違っていないのだ。
 

深緑野分(ふかみどり のわき) 
1983年神奈川県生まれ。2010年、第7回ミステリーズ!新人賞にて短篇「オーブランの少女」が佳作入選、2013年に短篇集『オーブランの少女』(東京創元社)が刊行されデビュー。その他の著作に、『戦場のコックたち』(東京創元社)、『分かれ道ノストラダムス』(双葉社)、『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)がある。

2020.09.11

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