あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|東直子さん『一緒に生きる 親子の風景』

現在子育て真っ最中という方には、日々はどんな風景として見えているでしょうか? また、子どもが巣立った今、当時を振り返って見えてくるものは? さらには、自分自身の子ども時代の風景は? 今月の新刊『一緒に生きる 親子の風景』は、歌人、作家として活躍する東直子さんが、子育てにまつわる四季折々の「風景」を、自身の経験から掘り起こしたり、社会のあり方に思いをはせたり、味わい深いさまざまな短歌や詩を紹介したりしながら綴ったエッセイ集です。刊行にあたっての思いを寄せていただきました。

この世は一つ。一緒に生きる。

東直子



子どもを育てている人の中に、一点の曇りもなく、晴れ渡る五月の空のようになんの不安もない、という人はどのくらいいるのでしょうか。程度の差はあれ、不安が一つもない人はいないように思います。私は、楽しみ半分、不安半分くらい雲のかかった子育ての空模様でした。そしてその不安や心配の多くの部分が、遠い未来の時間に対してのものだった気がします。
『一緒に生きる 親子の風景』は、「母の友」に六年をかけて書き綴った子育てに関わるエッセイ集です。連載開始時点で子どもがすっかり大人になってしまっていたので、過去のいろいろな出来事を思い出しながら書いていきました。


「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露
東直子『春原さんのリコーダー』


娘の幼稚園で、舞台の幕の下から出ている手で自分の子どもを当てるというちょっとした遊びに参加しました。私は無事に娘の手を握ることができ、帰り道に言われた言葉を取り入れたこの短歌は、その当時の気持ちを引きだす良き手がかりになってくれました。
しかしそのうち思いだせるエピソードも少なくなってきたとき、自分が書くことの意味を改めて考えました。遠い未来のことを心配しすぎていた自分へ、その未来にいる自分から声をかけるとしたら、心配しすぎても仕方がないよ、ということだと思いました。未来を心配するより、今このときを存分に楽しめばいいのだよ、と。
「育てる」と思うと、責任がずしんと重く感じてしまいますが、とにかく一緒に生きていくのだ、と思うと、少し気も楽になるかな、と思います。
子どもは、永遠に子どものままではなく、成長を続けていきます。家庭の数だけ、子どもの数だけ、そこで起きるエピソードは異なります。子どもの数だけ、持って生まれたおもしろさがある、
と思います。おもしろかったなあ、としみじみ思い返すのは、ちょっと時間がたって客観的になれるからで、その真っ最中はなかなか余裕をもって考えるのは難しいと思います。難しいことを承知の上で、でも、おもしろいよ、と耳打ちするように書いたのがこの本なのです。さらに、子どもが今そばにいない人にも、こんなふうに思える時間があるよ、と伝えたいと思いました。
エッセイの中には、私が専門としている短歌をはじめ、詩や俳句やエッセイ等の子どもに関わる文学作品も多数引用しました。どんな時代のどんな人にも子ども時代があります。そして、子どもと関わり、様々な感情が生まれたことを、言葉が伝えてくれます。こんなことがあったんだ、こんなことを考えたんだと、自分ではない人の言葉に耳を傾けることで、見えてくるものもありました。


みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり
俵万智『プーさんの鼻』


赤ん坊と一緒に生きている時間は、すべての命が平等に輝く、ということを柔らかい言葉で伝えてくれる一首です。景色が急に新鮮にまぶしく感じられます。
子どもを育てていた時間、育てている人、そしてかつて育てられた自分。いろいろなことを今、思い出し、想像しています。



東直子 (ひがしなおこ)
●1963年、広島県生まれ。歌人、作家。1996年「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞受賞。2006年『長崎くんの指』(のちに『水銀灯が消えるまで』)で小説家としてデビュー。歌集に『春原さんのリコーダー』、小説に『とりつくしま』(以上ちくま文庫)、『薬屋のタバサ』(新潮文庫)、『らいほうさんの場所』『トマト・ケチャップ・ス』(以上講談社文庫)、『晴れ女の耳』(角川文庫)、エッセイ集に『千年ごはん』『愛のうた』(以上中公文庫)、『いつか来た町』(PHP文芸文庫)、絵本・児童書に『あめ ぽぽぽ』(くもん出版)、『そらのかんちゃん、ちていのコロちゃん』(福音館書店)、『わたしのマントはぼうしつき』(岩崎書店)など多数。2016年『いとの森の家』(ポプラ社)で第31回坪田譲治文学賞受賞。

2022.05.05

  • Twitter
  • Facebook
  • Line

記事の中で紹介した本

関連記事