作者のことば

作者のことば 大塚美加さん『すいぞくかんの おいしゃさん』

水族館では、大きな水槽で悠々と泳ぐ魚から、イルカやアザラシなど海の哺乳類、さらに深海の生き物まで、たくさんの生き物と出会うことができます。
『すいぞくかんのおいしゃさん』は、そんな水族館で、様々な生き物の健康管理や治療のために奮闘する獣医さんの物語です。文章をかいたのは、鹿児島市にある「いおワールドかごしま水族館」の現役獣医師さん、大塚美加さん。このたびのハードカバー化を記念して、月刊誌刊行時の「作者のことば」をお届けいたします。

生きものと人をつなぐ

大塚美加


水族館のお医者さんとして働き始めて23年目になりました。これまでの人生の半分を水族館の生きものとともにすごしたことになります。朝5時、静かな明け方の水族館で、生まれて2日目のゴマフアザラシの赤ちゃんの人工哺育をしながらこの文章を書いています。

獣医師はさまざまな生きものを診ます。かごしま水族館には約500種類の生きものがいますが、体重わずか2gのタツノオトシゴから1tを超えるジンベエザメまで、体のつくりもかかる病気もさまざまです。この絵本の中では、水族館のお医者さんはそんな生きものを相手に淡々と治療をしていきます。深い愛情を持ちながらも、心がむやみに大きく動かされることなく、的確に病気を治していくお医者さん。これが私の理想像ですが、現実ではなかなかそうはいきません。いのちには終わりがあります。「生きている時幸せだったのかな」「他にしてあげられることはなかったのかな」と悔やむこともありました。別れを悲しむ間もなく解剖検査に向かい、ようやくすべてが終わったときにどっと感情があふれて苦しくなる、それが獣医師の仕事なのかもしれません。

この絵本はほぼ実話ですが、ひとつだけ事実と違うところがあります。マダラエイに注射をする場面です。絵本では、マダラエイの毒針で危うく刺されそうになりながらも、間一髪逃れました。しかし、現実で私は、左胸を刺され救急搬送されました。注射を終えた瞬間、マダラエイは向きを変えて毒針で刺してきたのです。毒針は驚くほどあっという間に肋骨の間を入り、横隔膜に穴を開けました。2回の手術をしましたが、今も横隔膜は破けたままです。

ステージでイルカの採尿トレーニングをしている最中に、驚いたイルカが後頭部にぶつかり頸椎がずれたこともありました。アザラシに噛まれて手が腫れあがり病院にかけこんだこともありました。体に残る数々の傷は、彼らとすごした日々の思い出です。生きものにとって、嫌なことをしてくるように思える獣医師は、嫌われてしまう存在なのかもしれません。それでも私はやはり彼らが好きでたまりません。

水族館では日々さまざまなできごとがあります。いのちが生まれる喜び、死という別れの悲しみ、元気になったときの嬉しさ。そんな人間の気持ちをよそに、どんな時も彼らはただひたすら一生懸命に生きています。そんな生きものたちをもっと多くの方に知ってもらいたい、生きものと人をつなぐ存在でいたい、彼らが元気に楽しくくらすことができるように少しでもお手伝いしたい、それが実現できていたらこんなに嬉しいことはありません。

(「かがくのとも」2018年8月号 折り込みふろくより)
イルカの診療風景①

イルカの採便をしているところ。イルカの便は水に溶ける便が正常なので、便をプールから拾って検査をすることはできません。そのため、チューブを肛門から30㎝くらい入れて便を採取します。

イルカの診療風景②

イルカの卵巣をエコーで診察。排卵前に卵胞が少しずつ大きくなってくるので、毎日測定して排卵時期を推定します。

【写真提供:いおワールドかごしま水族館】

大塚美加

いおワールドかごしま水族館獣医師。学芸員。1996年より獣医師として生きものたちの健康管理にたずさわるとともに、イルカやアザラシなどの海棲哺乳類やさまざまな魚類の飼育展示、企画営業などの仕事に携わる。

2023.04.26

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