あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|ぱく きょんみさん『ごはんは おいしい』

今月取り上げる『ごはんは おいしい』の文を手がけたのは、詩人のぱく きょんみさん。1980年のデビュー以来、詩やエッセイがさまざまな媒体に掲載されています。シンプルでありながら力強い言葉が大きな魅力の『ごはんは おいしい』に寄せて、「ごはん」について書こうと思ったきっかけについて、語ってくださいました。

ここに、ごはんのお話がある

ぱく きょんみ


 ごはんの絵本をつくりたい、と強く思ったのは、ある時、のっぴきならない思いに駆られたからでした。それは……東日本大震災の直後のことでした。
 料理をするのが好きなわたしは、もともと「食べる」ことをテーマにした絵本を模索していました。この日本というクニの食卓を囲んで育ってきたじぶんにとって、「それは、ごはん!」とすぐに頭はめぐりました。その次には、ごはんの元になる、お米もたくさん種類があることにわくわくして、思わず名まえを書き出しました。白米、胚芽米、五分搗き米、八分搗き米、玄米、もち米。さらに、最近のわたしたちのごはん生活にすっかり馴染んできた、お米の親戚のような雑穀類をあげれば、黒米、赤米、丸麦、押し麦、ハト麦、ひえ、あわ、きび、アマランサス、と、これまた豊かなつぶつぶワールドではありませんか! でも、いったい、どうしたら、ごはんの絵本をつくることができるのだろう、と、わたしの握る鉛筆はノートの上で止まりがち。わたしにとっての、ごはん、を追いもとめながら、絵本のことばに着地させるノートは何ページも何ページも費やされていきました。ちょうどその頃、鈴木理策さんの写真展があり、桜の花の写真を見て、心密かに(ごはんの湯気を撮影してほしい……)とイメージは膨らみました。その桜の花の写真は、見ている者の記憶をしずかに揺さぶり、太古から桜の花を見た人々の記憶を重ね合わせるような、透徹する目の光を発していましたから。そして……
 2011年3月11日、午後2時46分。
 未曾有の大地震が東北地方や太平洋沖を襲いました。関東地方、とくに首都圏の交通マヒはひどく、交通機関をつかって帰宅できない人々が黙々と道を歩きつづける映像がテレビに流れました。こちらも黙々と映像を追いかけながら、言いようのない不安に胸を締めつけられていくのでした。それは、福島第一原子力発電所の事故というニュースがまさに漏れ出して、不安が不安を煽るような事態の前で愕然とすることに直結しました……わたしは、その日出かける前に地震が起こり、そのまま在宅していましたが、方々に電話したときの声たち、刻々と伝わるニュースの声を耳にためこみながら、夜中になっても眠ることはできなくなりました。
 わたしは、「この まちで」という詩(註)を書き出しました。なぜなら「この町」が「あの村」が失われていくことに胸がつぶれてしまい、反作用が働いたからでした。いま、このとき、津波に呑みこまれていく人々。濁流の泥一色になっていく、人の営みのあった場所。さまざまな現実を知り、なすすべもなくただ震えながらも、ことばで何かを刻みつけなくてはならない、とかみしめたのです。


 翌朝、いつもお米を頼んでいる秋田県の農家に電話をしました。お嫁さんは、宮城県の出身でした。ご実家もお米農家ですが、「被害は少なかったので……」と話を切り出され、「ごはんを届けようと思っています。秋田から岩手や宮城に行く道が大丈夫だという情報があって、ごはんを炊いておにぎりにして届けられるってわかったんです! 必要とされているところに持っていくことにしたんです!」と声がうわずりました。
 ごはん! 目の前がぱーっと開けるような気持ちがしました。重い頭をあげなくちゃ、と気づきました。と同時に目に涙があふれてしょうがなくなりました。ここに、ごはんのお話がありました。ごはんの力を抱いて、歩き出す人がいました。
 涙をぬぐうと、朝の光の中で、遠い日の食卓の光景がよみがえってきました。おばあちゃん、おかあさん、親戚のおねえさん、たくさんの人たちが炊きたてのごはんの湯気の向こうに見えてきました。とくに、おばあちゃんがわたしの顔をみれば「ごはん、食べたか?」と話しかけてきたことが忘れられません。あの温もりのある呼びかけは、辛いことや悲しいことがあったとき、ふっと耳にこだまします。そのおばあちゃんはとうに空のかなたに逝ってしまいましたが、時折、ごはんの湯気とともに現れてきているような気がして……そう、そんなとき、わたしは湯気の向こうに語りかけます。「ごはんの おはなしを また きかせてね」「わたしは ごはんが だいすきだから」と。

(註)『ろうそくの炎がささやく言葉』(管 啓次郎、野崎 歓 編 勁草書房 2011年刊)に所収。



ぱく きょんみ
詩人。1956年東京生まれ。第一詩集『すうぷ』(紫陽社)を1980年に出版して以来、詩やエッセイをさまざまな媒体に掲載。主著に詩集『すうぷ』(ART+EAT BOOKSで復刊)、『そのコ』『ねこがねこ子をくわえてやってくる』『何処何様如何草紙』(以上、書肆山田)、エッセイ集『庭のぬし 思い出す英語のことば』(クインテッセンス出版)、『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)、絵本『れろれろくん』(小学館)『はじまるよ』(福音館書店)。共著にアンソロジー『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)、『女たちの在日』(新幹社)。

2017.11.02

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