小風さち 絵本の小路から

あけてびっくり玉手箱|『こどものとも復刻版』

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第10回は『こどものとも復刻版』です。

あけてびっくり玉手箱

『こどものとも復刻版』


 8年前の冬、私は玉手箱の蓋を開けた。臙脂色の布張り。頑丈そうな箱だった。中をのぞくと、創刊号から50号までの「こどものとも」が入っていた。当時の姿のままで。
 "あけてびっくり玉手箱"とはまさにそのこと。あの時、最初に偶然指が引き出したのは、『ふうせんのおしらせ』だった。心臓がドキッとした。どこに仕舞っておいたのかもわからない記憶が、ぐるぐると勝手によみがえってきた。私は一瞬、自分の記憶の回路がおかしくなってしまったと感じた。
 その『こどものとも復刻版』は、2005年に月刊絵本「こどものとも」の50周年を記念して、限定出版されたものだった。私が開けた臙脂色の箱はその第一集で、「こどものとも」の創刊号から50号までが収められていた。だが、そんなこと知る由もない。私にとり、それは生まれて初めて開けた本物の玉手箱に違いなかった。 
 箱はある日、実家の食卓の上にあった。ただ置いてあったのだ。私は傍らを一人すたすたと歩き過ぎ、臙脂色が好きなのと、そもそも箱が好きで集める癖があるので、そういえば良さそうな箱だったなと思い戻ってきた。カラなら貰ってしまおう。
 表には「こどものとも」とか"復刻版"と印刷されていた。突くと動かないから、カラ箱ではない。だがさて中に何が入っており、開けたらどうなるかなど考えもしなかった。人の気配のない間にモソモソと蓋を開けた。
 一冊引っ張り出すと、それからはもう次々だった。"時"がすっ飛んで、頭がぐるんとするようだった。どうして私は『ふうせんのおしらせ』を手に持っているのか。どうして『ねずみのおいしゃさま』が出てきたのか。なぜこの箱から『てんぐのこま』やら『きつねとねずみ』が出てくるのか……。
 ちょうど物心つく頃だ。周りにはいつも大勢の大人達がいた。家は福音館の寮になっていた。夜、会社のお兄さんやお姉さん達が帰ってくる。中に一人『きつねとねずみ』を読むのが上手い人がいた。夕飯がすむとひょいと私を膝にのせ、読んでくれた。声を低め、こうだ。─きつねの だんなが、やってきた。じろ。じろ。じろ。なにか いいこと な
いかなあ。

 
 その玉手箱を開けた日から間もなく、第二集が出来たようだった。こちらは藍色で、51号から100号までが復刻され、収められていた。もう不意打ちは喰らわなかったが、私は即座に一冊の絵本を探しはじめた。焦る気持ちで指が震えた。震えているから見つからない。思い違いだったのだろうか。もう一度、落ち着いて一冊一冊抜いてゆく。すると、あった!「こどものとも」56号、『ゆきちゃんのせかいりょこう』だ。思わず本を抱きしめた。
 これは鄙(ひな)人形のゆきちゃんが、人形祭りに出席するため船や列車を乗り継いで、ルーマニアまで旅をするお話だ。思えばたいそうなスケールだが、一番好きだったのは地図のページで、なんと楽しそうな旅程だこと。初めて見る世界。指で辿る国々。そして、世界中の人形達が集まるお祭り。
 絵本というものは消耗品だ。愛されれば愛されるほど傷みが激しくなり、ついには天に召されるのが大方の運命だが、そこで刻まれた記憶は例えどこに仕舞われていようとも、決して失われることはない。子どもだった時代はもはや遠いが、玉手箱の中の『きつねのよめいり』が、『ちいさなねこ』が、『ゆきちゃんのせかいりょこう』が、私が毎朝目を開き、呼吸をし、小さくとも心を持ち、確かに存在していたことの証しとなってくれていた。大丈夫、あなたは私達と一緒にちゃんといたよと、そっと教えてくれるのである。
 昨年、福音館書店が創立60周年を迎えた。これを機に、玉手箱がまた一つ増えたらしい。今度の色は、海老茶色。101号から150号までが収められている。



小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2017.11.11

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