子どもと絵本をめぐって

第4回 「ウックン ウックン」の謎

昨秋『ぐりとぐら』の作者、中川李枝子さんが亡くなった。SNS は追悼と感謝のことばで溢(あふ)たという。かつて子どもだった人たちの記憶に残り、今の子どもたちを夢中にさせているこの絵本の魅力とは何だろう?

野ねずみのぐりとぐらは、お料理することと食べることが大好き。森の中で、自分たちよりずっと大きな卵を見つけ、特大のカステラを作る。すると、いい匂いにつられて森じゅうの動物が集まってくる。「けちじゃないよ ぐりと ぐら」の歌のとおり、二匹はみんなにカステラをふるまう。

ふんわりと焼けた黄色いカステラの絵に、子どもたちは、よだれをたらさんばかり。しかし、ここでちょっと問題が発生する。みんなで食べている場面の右下にいる一匹のカニが、カステラを二つ持っているのだ。それに気づいた子は、「欲ばりガニだ!」と憤慨し、ほかの子どもたちもカニをにらみつける。「カステラは、一人一個だよねえ?」と、確認しにくる子もいる。子どもたちはお話と絵の力で絵本の中に引き込まれ、ほんとうに森の中で動物たちと一緒に、カステラを食べているのだ。


また、長い間この絵本を読んできて気になったのは、お話を語る文の調子にうっとりと聞きほれている、子どもたちの表情だった。中には「ウックン ウックン」と無意識にのどを鳴らしている子もいて、まるでミルクを飲んでいる赤ちゃんのようだと思った。子どもたちに読んでいると、『ぐりとぐら』だけでなく、中川さんの作品には、どれも似たような反応があり、それがとても不思議だった。

中川さんとは、いつ頃からか親しくなり、一時期、ある幼稚園の保護者の読書会に、一緒に出かけていた。年に一度の読書会のあとには茶話会があり、その間子どもたちは園庭や教室で遊んでいた。和やかな会のさなか、二人の男の子が部屋に駆け込んできて、お母さんの胸にガバッと飛びつき、そのまま顔をうずめた。驚いたお母さんは「今、先生たちとお話してるから、あっちで遊んでいてね」と言うが、子どもたちは抱きついたままだ。ほかのお母さんたちが「どこか痛いの?」「ケンカでもしたの?」と心配する中で、中川さんがひと言「充電中!」とおっしゃった。みんなが「あっ!」と思ったとき、男の子たちはお母さんの胸から飛び出して、笑いながら走り去っていった。「これであの子たちはまた元気に遊べるんだ。子どもが時々、お母さんに抱きつきにくるのは、エネルギー補給のためだったのね。さすが中川さんはよくご存じ!」と、私は感服した。

中川さんは、長年保育者として、子どもたちの心と身体をまるごと受けとめ、その脈拍や呼吸も知り尽くされてきた。そのような作家から生まれた作品は、文体も含めてミルクのように栄養たっぷりで、子どもの深いところに働きかけているに違いない。私は子どもがうっとりとのどを鳴らすあの「ウックン ウックン」の謎がとけたような気がした。

紹介した本 
『ぐりとぐら』中川李枝子 さく 大村百合子 え(福音館書店)

山口雅子(やまぐち まさこ)
1946年神奈川県生まれ。上智大学外国語学部卒業。松岡享子主宰の家庭文庫で子どもの本にかかわる。東京子ども図書館設立と同時に、職員として参加。退職後は、子どもと本の橋渡し役として、絵本や語りの講座で講師を務める。著書に『絵本の記憶、子どもの気持ち』(福音館書店)がある。

2025.05.30

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