日々の絵本と読みもの

『立体で見る 星の本』刊行40周年特別インタビュー

今から40年前の1986年6月30日、一冊の独創的な絵本が誕生しました。ページを開きメガネを覗くと、平坦なはずの紙面に星々が浮かび上がる——。『立体で見る 星の本』は、当時の子どもたちに宇宙の広大さを鮮烈に印象付け、今なお多くの人々を魅了してやみません。
今回、刊行40周年を機に、当時の担当編集者で作家の山田和さんに、デジタル技術が十分に発達していない時代に、いかにしてこの緻密な世界が作り上げられたのか、作者である杉浦康平さんとの思い出と共に語っていただきました。

『立体で見る 星の本』刊行40周年 山田和さんインタビュー


ー『立体で見る 星の本』の制作のきっかけは

作者である杉浦康平さんが、当時、福音館書店社長だった松居さん (編注:松居直、初代「こどものとも」編集長) と親しくなられて、松居さんに「こういう作品はどうだろう」と持ちかけられたのです。それを受けて松居さんが、その企画を僕のところに持っていらしたんです。
僕は小学生のころから熱心な天文少年で、30代に入ってもアマチュアとして活動していたので、喜んでお引き受けしました。おそらく当時、このようにユニークかつ困難な作業が想像される企画を引き受ける出版社は福音館書店をおいて外にはなかったかもしれません。それと杉浦さんといえばグラフィック・デザイン界の巨人で、決して妥協をせずとことん追求する人だということはよく知られていました。ですからそれを承知の上でお引き受けしようとしたわけです。

ーなんといっても、あの「メガネ」が特徴的です

あのメガネについては、福音館書店は児童書の出版社ですから、企画をお引き受けする前にこのようなメガネは子どもの目に悪影響がないか、眼科の第一人者である先生に相談しました。そして問題がないことを確認できた時点で杉浦さんの事務所にお伺いしました。杉浦さんにお目にかかると、互いにインドにぞっこんということがわかり、話が合って、その日のうちに企画が正式に決定しました。

ところがそのころはいわゆるバブルの時代で、杉浦さんのデザイン事務所は締め切りのある仕事で手一杯でしたから、こちらの仕事はなかなか手をつけてもらえません。最初の4~5年は、毎日夕方になると進行状況を確かめるべく事務所にお邪魔しました。でもいつ行ってもほとんど進んでいない(笑)。しかし仕事にとりかかっていただくためには日参するしかないので、夕方には事務所に伺い、終電で帰宅する毎日が続きました。
この企画の実現は緻密かつ厖大な作業量が前提です。日が過ぎていくだけで、今のままでは実現しないのではないかという気持は僕だけでなく、杉浦さんにもおありだったようで、ある日、北天と南天を分けて2冊の本にし、とりあえず北天を出すのはどうかというご相談をいただきました。作業量が半分になるわけです。しかしこの本は立体で見せることの面白さがメインで、天文マニアを対象にするわけではないので、2冊にして2冊とも売れる保証はありません。それで僕は「杉浦さん、宇宙は1つです。2つには分けられません。ぜひ1冊でやりましょう」と申し上げて、杉浦さんにご納得いただきました。

ー無数の赤と青の点を配していく作業はどのようにされていったのですか

これはまず天文学者である北村正利さんに、1つずつ星の距離を計算してもらい、データを出していただいたんです。そしてそれをもとにそれぞれの赤と青の点の位置、点の大きさ、2つの点をどれだけ近づけたり離したりしたらいいかを決めていきました。
そのあとの、座標に従って点を打っていく作業は単純作業です。ただ当時は今のようなコンピュータの時代ではなくその黎明期で、この本の作業は手作業、つまり「マンピュータ」だったので、杉浦さんはこの単純作業のためにアルバイターを2人雇われました。そこから2~3年ぐらいでできたと思います。作品の構想から数えると10年以上、企画を決定したとき20代後半だった僕は完成時には40歳になっていました。

ー校正の作業も大変だったと聞いています

この本には全天88の星座と2600個の恒星が載っていますが、それぞれの星の位置とか、大きさや深度、赤経赤緯度線、星座と星の名前と各星座の境界線、星雲に星団、そして星座絵など、チェックの要素はものすごい数ありました。校正箇所は全部で3万箇所くらい、画面は重複していますからあるいはそれ以上はあったかもしれません。しかもこの作品は途中でデザインの変更がやりやすいように文字や絵や線などすべての版を独立させて作っていて、修正やデザインの変更のたびに組み合わせを直すのです。実際にどんどんデザインは変わっていきました。そしてその都度、校正が必要でした。これは編集側にとっても印刷会社の精興社にとっても、とても大変な作業でした。

ーすべて山田さんがお一人で校正されたのですか

そうです。普通は複数人でチェックをするのが校正の基本ですが、天文学の知識があってわかっている人間でないとこの作品の校正は難しいので、僕一人で複数回行いました。作業は3~4か月の間、毎日睡眠時間を削って行っていました。往復の通勤時間すら惜しくてほとんど自宅でやっていたりして、出社が遅くなることが多かったのですが、天文が好きでしたし、杉浦さんの熱意もあってやりきれました。

ー『立体で見る 星の本』は、あの紫の色合いも印象的です

何回も試行錯誤した末にあの独特な色に決まったんです。星々の赤と青の点の色がそれぞれ同じ明度になるように、そしてメガネで覗いたときに背景の色が誰が見てもよい感じに馴染むようにということで、杉浦さんは大変こだわられました。杉浦さんにとっても、このような本は2度と作れないわけですから当然でしょう。
当時、多分本番と同じ大きな印刷機を使う「本機校正」だったと思うのですが、何度も何度もやり直して、使ったフィルムはものすごい量になりました。その点では精興社の方々に大変お世話になりました。精興社もこの仕事から何かを学ぼうという意欲がありました。
また印刷の色管理ですが、刷り上がったばかりの色と、製本するために一定時間置いて乾いたインクの色は若干変わります。これをドライダウンと言いますが、ドライダウンしたあとの色が杉浦さんが求める色なので、工場での刷り色のチェックはドライダウンを前読みした形で行いました。これは杉浦さんが直接精興社の工場に出向かれて極めて慎重に行われました。



ーたくさんのご苦労を経て生まれた作品だったのですね

じつは精興社の製版担当だった方とは、40年経った今も年賀状の交換をしています。たぶん90代におなりでしょう。杉浦さんとも変わらずお付き合いがあります。なぜそのような永い付き合いになったかというと、関係者全員にとってこの仕事が極上の思い出になったからだと思います。大変な苦労をしたからこそ面白いものができ、いいものができ、納得のできるものができた。そういう達成感があって、それが戦友のような記憶としてそれぞれの方の記憶の中に残ったのだと思います。
僕自身にとっても、この本は苦労と喜びが混じった数少ない思い出の1冊です。杉浦さんも喜んでくださったし、精興社の方々も喜んでくださった。そして読者の皆さんに受け容れられ、40年経った今もなお生命を輝かせ続けていることはまことに喜ばしい限りです。こういう結果になるかどうかは、制作当初はもちろんわかりませんでした。そして星や経緯度線、星座名などの文字版をそれぞれ別版にしておいたことは、その後、外国語版を作るさいに大変役に立ちました。
世紀の天才・杉浦康平さんのお手伝いができたことは幸せでした。

山田和 (やまだかず)
富山県生まれ。福音館書店にて主にかがく絵本の編集者、編集長を経て、のちに作家デビュー。『インド ミニアチュール幻想』(平凡社/文春文庫)で講談社ノンフィクション賞、『知られざる魯山人』(文藝春秋/文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『魯山人の美食』(平凡社新書)、『インドの大道商人』(平凡社/講談社文庫)、『21世紀のインド人』『魯山人の書』(いずれも平凡社)、『瀑流』(文藝春秋)、『夢境 北大路魯山人の作品と軌跡』(淡交社)などがある。

2026.06.29

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