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978-4-8340--*

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たなばた

こどものとも 1963年7月号

牛飼いは年取った牛に教えられたとおりに、天の川で水浴びをしていた天女織り姫の着物をかくして、織り姫を妻にしました。二人には子どももうまれ、しあわせに暮らしていましたが、ある日、織り姫は天に連れ戻されます。牛飼いは織り姫を追いかけて、子どもをかごに入れてかつぐと、牛の皮の着物を着て天に昇ります。中国の七夕説話を幻想的な絵で描いた絵本。

  • 読んであげるなら

    5・6才から

  • 自分で読むなら

カテゴリ : 月刊誌
ページ数 : 28ページ
サイズ : 19×26cm
初版年月日 : 1963年07月01日
ISBN : ―
シリーズ こどものとも

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たなばた説話について  君島久子

 夏の夜に、白くまたたく天の川を仰ぎますと、その両岸に向いあった、ふたつの星がみられます。そのひとつを、おりひめ、もうひとつを、うしかいぼしとよんで、美しくも、悲しい物語りをつたえた昔の人の心がわかるような気がします。
 世界中には、天の川についての話が各地にありますが、なかでもこのたなばたの物語りが、もっとも美しいといわれています。この話は、現在では中国、および、わが国のほとんど全土につたえられております。
 けれども、話の内容からみますと、その土地や民族、伝承の方法によっても、かずかずの違いがあります。それらを、大きくわけてみますと、ふたつのながれがあることがわかります。
◆文献によるもの
 そのひとつは、文献としてつたえられたものです。
 「天の川の東に天帝の娘の織女(しょくじょ)が、いつもいつも雲の衣を織っていました。天帝があわれに思って、天の川の西に住む牽牛(けんぎゅう)と結婚させました。すると、織女は、いつかはたを、織ることをやめてしまいました。天帝はおこって川の東へつれもどし年に一度、夫にあうことを許しました」
 この話は、わが国の、万葉集や、風土記の書かれるずっと以前に、中国の楚(そ)の国の年中行事をかきしるした、「荊楚(けいそ)歳時記(さいじき)」という書物にのっているものです。この「荊楚歳時記」のものが、文献として伝えられた、たなばた説話としてまとまったものの中では、古いとされていますが、さらに古いものとして、「古詩(こし)十九首(しゅ)」の中にも出てきますし、「織女(しょくじょ)」や「天漢(てんかん)」(天の川)などの、ことばがあらわれるのは、中国でも最古の文献といわれる、「詩経(しきょう)」(紀元前7世紀前後)までさかのぼることができます。
 その後、時代が下るにつれ、さまざまの要素が附加されて、いくつもの物語りができました。唐の時代には詩人たちによって、美しい歌に読まれ、また、たなばたの行事である乞(き)巧(こう)
奠(でん)(女の子の針しごとがうまくなるように祈る祭り)が、宮中で盛大に行われたりしました。
◆伝承によるもの
 たなばた説話には、こうした文献によって伝えられた系列とはまた別に、人びとの口から口へ伝えられた伝承による話の系列があります。(もっとも文献によるもの、といっても、もとをただせば民間に語り伝えられていたものであることは、いうまでもありませんがー。)
 この絵本のお話は、その伝承によって伝えられたもののひとつです。
 お気ずきのように、話の前半に、羽衣説話のモチーフが入っております。羽衣説話は、わが国にも、美しい話が伝えられておりますが、なかでも風土逸文の「三保松原」や帝王編年紀、養老7年の条にある「伊(い)香(かご)の小江(おうみ)」などが古い記録とされています。ところが中国では、それより、3、4百年前に書かれた「捜(そう)神記(じんき)」という本に、羽衣の話が記されているのです。さらに、話の断片をたどれば、もっと昔にさかのぼることができます。ということは、この話が、それまでにながい間、民間に語り伝えられてきたということです。すくなくとも紀元前、すでに人びとのあいだに話されていたとみることができましょう。
 いっぽう、たなばた説話の方は、話の生れたのが西漢(紀元前2世紀ごろ)といわれますから、すくなくとも、この2つの物語りは、紀元前より、中国の人びとの間で語られていたことになります。
 ではなぜ、羽衣のモチーフと混合したか、それについては、中国の学者たちのあいだで、次のような説がでています。
 たなばた説話の話された漢の時代、中国はすでに封建社会に入っていました。当時の社会では、恋愛の自由は許されていません。そこで人びとは、天の川をなかにしてむかいあった2つの星に、自分たちの夢をたくして、牽牛を人間の男とし、天女(織女)と人間の恋の成就を考えました。天女が天の川へ水浴びにくることは、人間の男との恋の芽生える機会として、かかせぬモチーフであったのです。
 男は耕し、女は、はたをおり、1男1女を生み、楽しくくらすことが、当時の人びとの、理想でした。ところが、王母(おうぼ)によって2人の仲はさかれます。王母の権力は絶対ですが、その力にひるまず、牛かい父子は、織女を追いかけてゆきます。その、けなげな抵抗に、人びとはかっさいをおくります。けれども、最後には、天の川によってはばまれてしまいますが、そこでも人びとはあきらめきれず、かささぎのかける橋によって、年に1度はあえるという夢をのこしているのです。
 こうしてながい間語りつがれる間に、人びとのねがいや夢がたくされて、当時同じように愛され語られていた羽衣説話が、いつのまにかひとつの話になってしまったものでしょう。
 なお、物語りの中で、うしかいのかっていた牛が、非常にふしぎな働きをしますが、そのことについては、こんな説があります。
 中国では春秋、戦国の世(前4~3世紀)に、鉄器の発明があり、耕作に、鉄の犂(すき)が用いられるようになりました。そのため、犂をひく牛の働きが農耕の革命をもたらしましたので、当時の人びとは、その働きに驚嘆し、人間を助ける生きものとして牛を愛し、また神秘的な力をもつと、信じました。そのため、民間の説話には、しばしば、ふしぎな働きをする牛がでてくるのです。
◆説話の伝来―
 以上、たなばた説話に2つの流れのあることをいいましたが、それでは、わが国へこの説話の伝えられたのはいつごろからでしょうか。公には、遣唐使をつかわし、唐と国交を開いて(607年)、多くの帰化人および漢籍をもたらした奈良時代とみられます。
 たなばた説話が、文献としても、伝承としても入ったらしいことは、万葉集や風土記、懐風藻などの書物に、引用されていることばによって明らかです。
 けれども、それ以前呉(ご)(南朝(なんちょう))との交通(5世紀)がありましたし、また朝鮮半島をへた交流が行われていたことから考えて、このたなばた説話のたぐいも、あるいは、もっと古い時代にもたらされていたかもしれません。
 現在、わが国や琉球をはじめ各地に伝えられているたなばたの話が、多く羽衣説話との混合であるのも、偶然の一致でないことはおわかりのことと思います。
◆たなばたの行事
それでは、たなばたの行事はどうかといいますと、昔から、「天河配(てんがはい)」という、おしばいがかかります。このおしばいが、かかると、「ああ、今夜は、たなばただな」と気づきます。京劇では、有名な女形の梅蘭芳(メイランフアン)が、織女を演じて、天の川で水浴をするシーンなどもあり、本物の牛を舞台にひき出したりして、たいへんな人気をはくしたそうです。つまり、おしばいでは、昔から、この絵本にある系統の、伝承説話の方が演じられているわけです。
 もうひとつは、初めにあげた乞(き)巧(こう)の祭りですが、これは初めは民間で行われていたものですが、宮中にとり入れられ、さらに民間に流行したもので、現在では、ちょうどみなさんのおばあさんにあたる年配の方までは行われていたそうです。わが国でも孝(こう)謙(けん)天皇の時代より宮中でこの祭りを行なったといわれます。
◆「牛郎織女の故事」をもとにー
 この話の再話に当たっては。中国に伝わる伝承資料を集めて、編集長の松居直さんと検討した結果、袁(えん)瑕(か)著「牛郎(ぎゅうろう)織女の故事」をもとに、することにしました。けれども、これは、いくつの伝承をひとつにしたもので、方法的には問題がありますので、さらに、ほかの説話を参考にしました。

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