はじめてのおつかい
こどものとも|1976年3月号
みいちゃんはお母さんに、初めておつかいを頼まれました。百円玉を二つしっかり握りしめて家を出ると、友だちに出会ったり、坂道でころんだりしながら、お店につきました。なかなか声をかけられませんでしたが、思い切って大きな声を出し、無事牛乳を買うことができました。はじめておつかいをする子どもの、緊張感や達成感などの心の動きを、さわやかに描いています。
- 読んであげるなら
5・6才から - 自分で読むなら
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※上記価格は当該号刊行当時の価格です。
こどものとも|1976年3月号
みいちゃんはお母さんに、初めておつかいを頼まれました。百円玉を二つしっかり握りしめて家を出ると、友だちに出会ったり、坂道でころんだりしながら、お店につきました。なかなか声をかけられませんでしたが、思い切って大きな声を出し、無事牛乳を買うことができました。はじめておつかいをする子どもの、緊張感や達成感などの心の動きを、さわやかに描いています。
※上記価格は当該号刊行当時の価格です。
子どもの経験をもとに 筒井頼子
私の幼い頃、一家は東北の寒村にいたのだが、父は電話関係のエンジニアで、一年のほとんどが出張生活であった。だから、父の帰館は、わが家にとってばかりでなく、村のホット・ニュースであり、帰ってきたその日のうちに、村中に知れわたることとなった。
父は帰ってくるたびに、大きなリュックを背負い、手荷物を二つも三つも下げていた。私たち兄妹は、父にとびつき、荷物をぐるりと取り囲む。
そのリュックや手提(てさ)げ鞄(かばん)は、まるで魔法の袋で、見たこともない町のクッキーや、キャンデー、なにやら得体の知れないおもちゃ、出張先の珍味などが、あとからあとから出てくるのであった。
その一つ一つに子どもたちは目を見張り、歓声をあげた。そして、最後に、その荷物からは、かならず、子ども向けの本が、四、五冊出てきた。子どもたちは、年令によって本をそれぞれに分け、まずどのクッキーから先に手をつけようかと相談にかかる。
そうこうしているあいだに、親戚の何人かが、
「父さんが帰っだって、ほんとうがや」と顔をのぞかせる。
それが皮切りで、知人、縁者がぞくぞくと詰め寄せ、あがりこんで、狭いわが家は、すぐに人ではちきれんばかりになるのだった。
すると私たち子どもたちは、食事もそこそこに、土産(みやげ)の中から本と、なにがしかの菓子を持たされて、そそくさと寝室に追いやられ、ふとんの中でその菓子をほおばりながら、早くも隣室で始まっている酒盛りの声をバック・ミュージックに、兄妹ともども飽かず本を眺め、眺めながら寝入るのが常であった。
一夜明けてみると、無残なことに、心おどらせた珍味などはあとかたもなく、クッキーやキャンデーさえも、押しかけてきた人々への土産物になり、きれいさっぱりなにもない。私たちに残されたものは、ゆうべ寝入るまで眺めていた本ばかりとう次第なのだった。そのため、手許(てもと)に残った本はいっそう大切なものとなり、特別な意味がこめられてくるのだった。
私がもらう本は、まだ字の読めない時期であったから(なにしろ今の子どもとは違い、私は小学校に入る寸前になって、ようやく、自分の名前が読めるようになったのだ)、いろんな国の人形を紹介した絵本や、車の絵本、童話に絵をつけた歌の絵本といったものだった。
私はそれらの絵本もむろんうれしかったが、それより兄の「おもしろブック」がうらやましく、それは月毎とり寄せてもいたのだが、父の土産となるとまた格別だったのだろう。兄の背中ごしにそっとのぞきこんで、絵の展開から物語が知れるとゾクゾク興奮し、兄にせがんではよく読んでもらった。
***
私がストーリーのある絵本に出会ったのは、関東に越してからで、病気で寝ている時に、母が買ってくれた「人魚姫」が最初で最後だった。
病床で何度も本を操っていると、目をつぶっても、ひとつひとつの場面がくっきり浮かぶようになった。ことに、人魚姫が海の泡となって消えてゆくさまは、あまりにも鮮明で、胸苦しいほどだった。
本をとれば、避けて通りすぎようと決心しているはずの、そのページに知らず知らず吸い寄せられ、そこだけは半ば閉じ、半ば開けながら、最初は薄目で、しかし、次第に大きく目が見開かれてしまうのを、どうすることもできなかった。
ふだんは厳しかった母が、哀(かな)しいほどに優しく、いつもより大きくどっしり見えた病床の日の思いとともに、この本はいまも懐かしい。そして、どういうわけか、私はこの本を最後に、パタリと絵本から離れてしまった。すでに、絵本を卒業する年令に達していたのかもしれない。
***
娘が生まれて、どうにか言葉をあやつるようになって以来、いろいろな人から絵本をもらうようになった。
私自身、月に一度は本屋に赴(おもむ)き、あれこれ選んでは、一、二冊買い与える。そして驚いたのは、その豊富さである。私の子ども時代にくらべ、数ばかりでなく、内容も実に豊富なのである。
店頭に立って迷っているうちに、ついつい時間がたち、自分自身、けっこう、童心に帰って、絵本を楽しんでいることに気づく。
おもしろいことに、おとながこれはと思って与えた本、かならずしも子どもが興味を示すとは限らないが、子どもが興味を示し、喜ぶ本は、おとなが見ても、ほとんど文句なく楽しい。
私がただ一冊焼きつけられている「人魚姫」のような印象を、はたして娘はどの本に対して持つのだろうか。
***
この「はじめてのおつかい」は、娘を寝かしつけながら話してやった、娘の体験的、日記風物語の中から、繰り返しせがまれたものを、組み立て直したものである。
家の中での遊びに傾きがちな四才の娘の世界を広げてやりたくて、ある日、思いついておつかいを頼んでみた。内心ビクビクものだったが、娘はただただイソイソと喜び、得意満面で、でていった。
私は五〇メートルとあいだをおかずつけて行き、けれども娘は後も振り向かず、私にはまったく気づかないで店まで辿(たど)りついた。
物陰に隠れて見ていると、最初はモジモジか細い声で、歌でもうたうように、
「牛乳ください」といっているのだが、店には誰もでてこない。
そのうちだんだん声を張りあげ、さらに、だんだん声を落とし、ついには涙をいっぱいためてブツブツ、ブツブツ。そのあいだ、一〇分以上もあっただろうか。
そこで私は思わず飛びだし、忿懣(ふんまん)やるかたなく店主を呼びだして、(この親バカぶりは、後に家族中の笑いの種になった)事情を説明した。
店主がいうには、たしかに声は聞こえていたのだが、店頭の赤電話を小さな子どもがいたずらしていると思ったとかで、何度もあやまった。こうして娘のはじめてのおつかいは、失敗に終わった。しかし、それでも娘は自分がお金を渡し、牛乳とおつりを受け取ったことがうれしくて、帰る時は意気揚々たるものだった。
私は娘の後を歩きながら、自分のおつかいのことを思った。
娘よりずいぶん大きくなってからのおつかいだったが、そのかわり昼食のパンを買いにだされる店への道のりは長く、店頭はいつもこんでいた。おとなたちの声は大きく、動きは早く、力が強かった。私は押され、こづかれ、列をはみだして、店頭の混雑があらかた終わってからでなければ、用が足せなかった。
あの張りつめたドキドキやハラハラを、周囲の情景は違っても、娘がいま味わってきたことが、ほろ苦い心強さだった。
聞いてみると、はじめてのおつかいを頼む年令は、周囲の環境や子どもの性格によって、ずいぶん違うようだが、親は、私ばかりでなく、一様に子どもの後をつけていき、一挙一動をつぶさにじっと見守っているらしい。多くの両親が、その時の様子を同じ口調で話すのがおもしろかった。
この経験が、はたして娘の世界を広げる結果になったかどうかは、よくわからない。しかし、少なくとも娘は、それまでのごっこ遊びに、新しくおつかいごっごを加え、かなり気に入った様子で、ひんぱんに遊んでいる。
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この「はじめてのおつかい」を、困難に打ちかって(困難というにはあまりにもオーバーかもしれないが)、成功するストーリーに仕上げ立てたのは、こうあってほしかったという、親娘の願いがこめられている。
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この本に幼い子どもたちの審判が、どう下るか、ドキドキ、ハラハラしている昨今である。
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