作者のことば
夜という不思議な世界
くらささら
子どもの頃。なぜだか、秋のある時期になると決まって、夜、布団に横になっても眠れずに起きている時間が訪れるようになった。
それは決して不眠の苦しみというようなものではなく、むしろ豊かな時間だった。夜というのは、交感神経と副交感神経が切り替わるからか、感覚が独特になる。
夜の中に、それまで目立っていたものが沈み込み、代わりに、息を潜めていたものが現れて呼吸をし始めるのが分かる。 目を凝らすと、天井の木目が天狗の目に見えてくる。怖いので目をそらすと、今度はすぐ横の床の間の獅子の置物と目が合う。
これも怖いので目をそらすと、雨戸を閉めていない窓の外から、動く光がまっすぐ入ってくる。車のヘッドライトだ。
こんな夜中に、誰が、どこに行くんだろう? それとも、帰ってきたのかな……。目を閉じると、ポタポタッという音。台所の水道の蛇口から水が滴った音だ。間もなく、今度は上からトコトコッと音。天井裏に、ネズミ? ふっと、何かの匂いがしてくる。蚊取り線香だ。
全身をセンサーにしていると、更に自分の知覚の解像度が高まって、それまでスルーしていたものを、五感が感受し始める。
リーン、リリーン、きれいな鳴き声。庭の鈴虫。リン、リリンリリン……。これは、どこかの軒下の、風鈴? 急に、鋭い赤ちゃんの泣き声。この間産まれた、お向かいのみこちゃんの弟? どこか遠くから、キーン、キーン、と金属を叩く音。工事の音? かすかにゴーッと、何かが高速で走り抜ける音。夜行列車? 昼間なら逃す様々な気配を、私はキャッチし続ける。
そうして全細胞を覚醒させていると、万能感でった全身はピーンと張り詰める。しかしある瞬間、その緊張に耐えきれずにプチっと糸が切れる。私は宙から切り離された操り人形のように、布団の中でぐだっと眠る。
ジリジリジリッ!! という目覚まし時計の音で目覚めると、それはいつも通りの朝。さっぱりしていて清潔で、まるで何事もなかったかのような、朝。
私は不思議な気分で支度をして、いつも通りに小学校に行くのだった。
太陽の光でくっきりと形と色の見える世界の通学路の上で、私は昨夜のことを考える。
あの夜は、一体どこに行ったのだろうと。そして、今日も夜が来るとしたら、その夜は、きのうと同じ夜なのだろうかと。
そう考えていると、きのうの夜がもう二度と来ない一回だけの夜だったような気がして、私は、昨夜出会ったわずかな光や音や匂いや気配が、俄然愛おしくなり、悲しいくらい懐かしくなるのだった。
基本情報
- カテゴリ
- 月刊誌
- ページ数
- 28ページ
- サイズ
- 25×23cm
- 初版年月日
- 2025年11月01日
- シリーズ
- かがくのとも
- ISBN
- ー
- テーマ
- ー
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