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ちいさな ねこ
こどものとも 1963年5月号

ちいさなねこが、部屋から庭におり、門を出て走っていくと、子どもにつかまえられたり、自動車にひかれそうになったり、外には危険なことがいっぱい。大きないぬに追いかけられて、木の上でないていると、お母さんねこが聞きつけて探しにきました。お母さんねこは大きないぬを追い払い……。こねこの冒険心と、お母さんといっしょにいる安心感が、子どもの心をとらえてはなさない絵本です。(「こどものとも」86号)
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読んであげるなら
5・6才から
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自分で読むなら
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作品についてもっと知る
石井桃子さんと横内襄さんお二人へのインタビューを「こどものとも年中向き」2000年8月号折り込み付録から再録してお届けいたします。
「まあ本当に、横内さんとは何十年ぶりかしら」
石井さんの、そんなご挨拶で、対談は始まりました。
――そもそもどんな経緯で、このお話はできたのですか?
石井「あんまり前のことで、忘れちゃったんですけど(笑)。戦争が終わって5、6年たったある夕方、仕事先から家に帰ってくると、木のかげに新聞の切れ端が飛んでいると思ったら、それが、あっち行ったりこっち行ったりして。よく見たらそれが猫で、首の横を犬か何かに噛みちぎられて、ケガしていたんですね。
私は、もとは猫を嫌いだったこともあって、その猫も家の中には決して入れないようにして、外でごはんをやっていたんです。それが、私が帰ってくるのを待ってるようになってしまって。とうとうある日、家に友だちが来て泊まった時、私の留守にその人が、家の中に入れちゃったんです。命懸けってのは大変なものです、本当に。ゴロゴロゴロゴロ、のどをならしてね、『助けてください』って言うんですよ。
それで私、毎日朝ごはんをやって包帯をして、仕事に出るようになったんです。私は『キズちゃん』と呼んでいたんですが、そのキズちゃんが、キズが治ったら、とっても器量よしの猫になりましてね。お婿さんがたくさんあって。それからは『キズ』のズの点々をとって棒をのばして、『キヌちゃん』と呼ぶようにしました。
大勢のオス猫を引き連れて、オスが、こう円形にキヌちゃんをかこんでね、どれがいいって(笑)。オス同士でケンカするんでしょう。その時の、いばっているキヌちゃんの様子ときたら。
それでキヌちゃんが後から後から子どもを産んで。一匹産むたびに『産んだよ』って、知らせに来るんです」
横内「自慢なんですね」
石井「子猫のそばに行くと親猫は怒るって言うけど、それをしませんでした。私を猫の仲間だと思ってたのかもしれませんが。私を呼ぶ時と他の人を呼ぶ時で声が違うって、よく、人に言われましたからね(笑)。
庭にたくさん木があって、そこへ子猫が上がっちゃって困って、何度も母親がのぼっていっては連れもどしていました。その頃はどの家も、家の裏に炭俵(すみ だわら)なんか積んであってね、その頂上のところで、親猫が威厳をもって、子どもを見守ってるんですよ。子どもを育てている時は、猫自身幸せなんでしょうね。とっても立派に見えました。
でも、ある時、様子が何だかおかしいな、と思って獣医さんを呼んだら、『血圧が下がってます。間もなく死にます』って言うんですね。ダンボール箱に入れてやったんですが、這い出してきてふらふらするんです。それで、箱の中に手をつっこんでると、じーっとしていて。そこで一日静かに。そしてとうとう亡くなりました。
私は、キヌちゃんと子どもたちの様子、その日あったおかしなことなんかを、雑誌社からもらうノートの隅にメモしていたんです。本になるかどうかもわからないで書いてたんですね。それで5、6年かかって、筋を考えたんです。それを松居直さん(註:当時の「こどものとも」編集長)に、『もしこれ、お話になるようでしたら、誰か動物の絵の上手な方に描いていただいてください』とお渡しして、それで横内さんとお会いしたわけなんです」
石井「横内さんは、その以前から、松居さんとお知り合いだったんでしょう?」
横内「それが違うんです。この本が、僕がこういう世界に入るきっかけになった本で。当時まだ、僕は電話もありませんで、松居さんから電報を頂戴したんです。『ライシャサレタシ』と。それで『何のことやら』と(笑)。
僕は小さい頃から動物が大好きで、猫でも犬でもバッタでもヤモリでもヘビでも、スケッチしていたんです。ちょうどその頃、僕の家にも猫が迷いこんできまして。弟がかわいがって、家に居着いたんですね。僕は、その猫をこの本とは関係なく、スケッチしていました。それを松居さんが見て、『まあ、いいんじゃないか』と、そういうことだったと思います。
その猫が、この本が出来上がる頃に、いなくなってしまったんです」
石井「ふしぎですね」
横内「安心しきって家にいたんですけどね。事故かもしれない。いたりいなくなったりして、だんだん、というのでなしに、忽然(こつ ぜん)と、でしたから」
石井「でも、この本の中には残ったんですね」
――おふたりのところを訪れた別々の猫から、この絵本はできたのですね。
石井「本当に。2匹のまよい猫から。横内さんは、あの頃、お勤めしていらしたでしょう。それで夜、徹夜同然に描いてくださって。家にもよく、夜いらしたでしょう。私がまた、いろいろ言うので、直していただいて。横内さんとしたら、絵のわからない者の注文だとお思いになったでしょうが」
横内「いいえ。まだ絵本というものがわからなくて、石井先生のお話を伺って、『これでいいのかな、これでいいのかな』と思いながら描いたような」
石井「こういう筋のある本に、小さい子どもたちがいつから入っていくのか、とても興味があるんです。前のページと次のページの、つながりができるということ。ページをめくって場面が移り変わる時に、子どもの心に起こる変化って、人間の一生にとって、本当に大事なものじゃないかと思うんです。テレビやなんかは、その場でパッパッと消えていくだけでしょ。本には記憶のつながりがある。そのつながりを追って、やさしい本の終わりまでついていくと、それが注意の集中という、そして『論理を追っていく』という、頭の中の大事な働きを果たしていくことになるわけなんですね。妙に教育的なことばかり考えることもないけれど、3歳から6歳という年齢は、おもしろさにつられて大事なことを勉強できる、とても大切な時期だと思います」
――当時の、そして今も続く真剣な思いを語ってくださった、石井さんと横内さん。最後は、石井さんの犬を泳がせるため、奥多摩までドライブに出かけ、帰りにセリを摘んですき焼きをした思い出話に、花が咲きました。
*
「まあ本当に、横内さんとは何十年ぶりかしら」
石井さんの、そんなご挨拶で、対談は始まりました。
――そもそもどんな経緯で、このお話はできたのですか?
石井「あんまり前のことで、忘れちゃったんですけど(笑)。戦争が終わって5、6年たったある夕方、仕事先から家に帰ってくると、木のかげに新聞の切れ端が飛んでいると思ったら、それが、あっち行ったりこっち行ったりして。よく見たらそれが猫で、首の横を犬か何かに噛みちぎられて、ケガしていたんですね。
私は、もとは猫を嫌いだったこともあって、その猫も家の中には決して入れないようにして、外でごはんをやっていたんです。それが、私が帰ってくるのを待ってるようになってしまって。とうとうある日、家に友だちが来て泊まった時、私の留守にその人が、家の中に入れちゃったんです。命懸けってのは大変なものです、本当に。ゴロゴロゴロゴロ、のどをならしてね、『助けてください』って言うんですよ。
それで私、毎日朝ごはんをやって包帯をして、仕事に出るようになったんです。私は『キズちゃん』と呼んでいたんですが、そのキズちゃんが、キズが治ったら、とっても器量よしの猫になりましてね。お婿さんがたくさんあって。それからは『キズ』のズの点々をとって棒をのばして、『キヌちゃん』と呼ぶようにしました。
大勢のオス猫を引き連れて、オスが、こう円形にキヌちゃんをかこんでね、どれがいいって(笑)。オス同士でケンカするんでしょう。その時の、いばっているキヌちゃんの様子ときたら。
それでキヌちゃんが後から後から子どもを産んで。一匹産むたびに『産んだよ』って、知らせに来るんです」
横内「自慢なんですね」
石井「子猫のそばに行くと親猫は怒るって言うけど、それをしませんでした。私を猫の仲間だと思ってたのかもしれませんが。私を呼ぶ時と他の人を呼ぶ時で声が違うって、よく、人に言われましたからね(笑)。
庭にたくさん木があって、そこへ子猫が上がっちゃって困って、何度も母親がのぼっていっては連れもどしていました。その頃はどの家も、家の裏に炭俵(すみ だわら)なんか積んであってね、その頂上のところで、親猫が威厳をもって、子どもを見守ってるんですよ。子どもを育てている時は、猫自身幸せなんでしょうね。とっても立派に見えました。
でも、ある時、様子が何だかおかしいな、と思って獣医さんを呼んだら、『血圧が下がってます。間もなく死にます』って言うんですね。ダンボール箱に入れてやったんですが、這い出してきてふらふらするんです。それで、箱の中に手をつっこんでると、じーっとしていて。そこで一日静かに。そしてとうとう亡くなりました。
私は、キヌちゃんと子どもたちの様子、その日あったおかしなことなんかを、雑誌社からもらうノートの隅にメモしていたんです。本になるかどうかもわからないで書いてたんですね。それで5、6年かかって、筋を考えたんです。それを松居直さん(註:当時の「こどものとも」編集長)に、『もしこれ、お話になるようでしたら、誰か動物の絵の上手な方に描いていただいてください』とお渡しして、それで横内さんとお会いしたわけなんです」
石井「横内さんは、その以前から、松居さんとお知り合いだったんでしょう?」
横内「それが違うんです。この本が、僕がこういう世界に入るきっかけになった本で。当時まだ、僕は電話もありませんで、松居さんから電報を頂戴したんです。『ライシャサレタシ』と。それで『何のことやら』と(笑)。
僕は小さい頃から動物が大好きで、猫でも犬でもバッタでもヤモリでもヘビでも、スケッチしていたんです。ちょうどその頃、僕の家にも猫が迷いこんできまして。弟がかわいがって、家に居着いたんですね。僕は、その猫をこの本とは関係なく、スケッチしていました。それを松居さんが見て、『まあ、いいんじゃないか』と、そういうことだったと思います。
その猫が、この本が出来上がる頃に、いなくなってしまったんです」
石井「ふしぎですね」
横内「安心しきって家にいたんですけどね。事故かもしれない。いたりいなくなったりして、だんだん、というのでなしに、忽然(こつ ぜん)と、でしたから」
石井「でも、この本の中には残ったんですね」
――おふたりのところを訪れた別々の猫から、この絵本はできたのですね。
石井「本当に。2匹のまよい猫から。横内さんは、あの頃、お勤めしていらしたでしょう。それで夜、徹夜同然に描いてくださって。家にもよく、夜いらしたでしょう。私がまた、いろいろ言うので、直していただいて。横内さんとしたら、絵のわからない者の注文だとお思いになったでしょうが」
横内「いいえ。まだ絵本というものがわからなくて、石井先生のお話を伺って、『これでいいのかな、これでいいのかな』と思いながら描いたような」
石井「こういう筋のある本に、小さい子どもたちがいつから入っていくのか、とても興味があるんです。前のページと次のページの、つながりができるということ。ページをめくって場面が移り変わる時に、子どもの心に起こる変化って、人間の一生にとって、本当に大事なものじゃないかと思うんです。テレビやなんかは、その場でパッパッと消えていくだけでしょ。本には記憶のつながりがある。そのつながりを追って、やさしい本の終わりまでついていくと、それが注意の集中という、そして『論理を追っていく』という、頭の中の大事な働きを果たしていくことになるわけなんですね。妙に教育的なことばかり考えることもないけれど、3歳から6歳という年齢は、おもしろさにつられて大事なことを勉強できる、とても大切な時期だと思います」
――当時の、そして今も続く真剣な思いを語ってくださった、石井さんと横内さん。最後は、石井さんの犬を泳がせるため、奥多摩までドライブに出かけ、帰りにセリを摘んですき焼きをした思い出話に、花が咲きました。
とじる
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