イベントレポート

『家をせおって歩く かんぜん版』刊行記念対談 「やっぱり本はすごい。」@紀伊國屋書店新宿本店(前編)

福音館の社員が参加したイベントのご報告をするこちらのコーナー。今回は、4月10日に行われた、絵本『家をせおって歩く かんぜん版』の刊行記念対談の様子をお届します! 作者の村上慧さんは、印刷から製本、物流から書店まで、この絵本が読者に届くまでの様子を取材している真っ最中。当日は、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんをお迎えして、「本」についてのお話が盛り上がりました。

『家をせおって歩く かんぜん版』刊行記念対談 「やっぱり本はすごい。」

村上慧さん×内沼晋太郎さんトークイベント

内沼:僕がなぜここにいるかと言うと、『家をせおって歩く』の月刊誌版ができたときに、担当編集の方がB & B に営業に来て下さったんですが、実際に絵本を見たらすごく面白くて、ラジオで紹介したのがきっかけなんです。今回完全版が出るにあたって、本ができあがるまでの取材をされたということですが……。

村上:月刊誌ができたときに、「本」というもののパワーをすごく感じたんですよね。ぼくは発泡スチロールの家をつくって、それを自分の家にして移動生活しているんですが、巣鴨の福音館書店の前を通った時に、社員の方がそれを見て連絡をくれたんです。それから2年の歳月を経て本になったときに、「これでいいじゃん」って思ったんですよ。ぼくは、家を背負って歩いて、絵をかいたり、展覧会をしたりしてるんですけど、この絵本があったらそれだけで伝わるじゃないですか。フォーマットが決まってるから全国に流通できるし。それで、「本」ができるまでを見てみたいという話を編集者にしたら、じゃあ見に行きましょうということで、原画のスキャンから印刷工場行って、製本工場行って、取次会社に行って。その様子をまとめた連載を、福音館書店のホームページでやっています

村上:本って、商品として優れ過ぎていて、背後にある質的なものが見えてこないくらいクオリティが高いんですよね。今回取材したようなことはもうご存知だと思うんですけど、内沼さんは工場とかも行くんですか。

内沼:行きますね。でもぼくも、一昨年くらいに自分で出版レーベルみたいなのを始めてからですね。その前はほとんど行ったことなかったです。やっぱり見ると感動しますね。一冊一冊の本が、一人一人の人の手によって作られている。言葉にすると当たり前っていう感じなんですけど、やっぱりそれを目の前にすると感動します。

村上:この絵本について、ぼくは実際的な作業は何もやってないんですよ。でも「村上慧の本」みたいに出回ってるのって、これっていいんですかね? 本当に申し訳ないと思って。名前も出てないじゃないですか、プリンティングディレクターはこの人で、色を作ったのはこの人で……。

内沼:そういう考えもあって、最近だと『本を贈る』(三輪舎)という本が出てますね。それは印刷会社とか製本所とか、本作りに関わってる人が、最後の所にエンドロールみたいな感じで書いてあるんですよ。でもまぁ、そういうことは稀ですよね。

移動生活は、「Do」ではなく「be」


内沼:『家をせおって歩いた』(夕書房)は、村上さんが家を背負って生活している日記なんですけど、この中でも、道行く人に「なにしてるんですか?」って聞かれるじゃないですか。そのときって、どう説明してるんですか。

村上:何をしてるのかというと、「生活をしてる」んです。家が発泡スチロールで、住所がない、敷地がない状態で住むという「生活」をしているだけですね。

内沼:そういう風に説明するとだいたいなんて言われるんですか

村上:「どうしてですか」って(笑)。内沼さんはどう思いましたか。

内沼:ぼくは Twitter に「ウェルビーイングの本だ」って書いたんです。「ウェルビーイング」っていうのは、言葉の通り「よく生きる」ということ。心身ともに、自分の充実度みたいなものとして調子がいい状態がいいよねっていう考えです。この絵本は、小学3、4年生が読むわけじゃないですか。その子どもたちがこれを読んだ時に、「これでもいいんだ」って思うんじゃないかな、と。

村上:そもそも子どもは、「なんでやってるんですか」って聞かないんですよ。それ聞いてくるの、大人だけです。子どもは「これでもいいんだ」ってポンと行くんですけど、大人はなかなか行かない。

内沼:多分大人って、自分が縛られていると思いこんでること、たとえば「この会社で働かなきゃいけない」とか「この家買っちゃったから、ここに住まなきゃいけない」とかがあるんだけど、ちょっとだけ踏み出せば、自分の暮らしや住み方はもっと自由でいいし、そもそも縛られてると思い込んでることも、実は大したロープじゃない。そのことに、この本を読むと気づくことができるんじゃないかなって思ったんです。

村上:その「ウェルビーイング」っていう言葉、ちょっと使うのが気恥ずかしいんですけど(笑)、面白いなと思うんです。つまり「being」って言ってるんですよね、「do」じゃなくて。ぼくも「住み方」の話をしてるので、何か「してる」というより「いる」話をしてる。こういうあり方をしてるっていうだけであって、それに対して、何を「してる」んですかっていう質問は、ちょっとずれてるなというか。当然、家を背負ったり、歩いたりするわけですから、何かを「してる」わけですけど、総体としては「いる」だけです。この状態を作っているだけ。

内沼:恥ずかしい言い方をするかもしれないですけど、「do」をしてるんじゃなくて「be」しているっていうことですかね。よく小学生ぐらいの男の子に「何してるの?」って聞くと、「息してる」みたいなこと言うじゃないですか(笑)。それに似てますよね。

村上:そう、そう! 名言ですね。

内沼:聞かれてるのは「do」だっていうことはわかってるんだけど、「be」 を答えてるんですよね。村上さんも、「be」の話してるのに「do」聞くなよというのがあるってことですね。

村上:今思うと、そうなのかな。心臓の鼓動って、自分で止められないじゃないですか。「なんで心臓動いてるの?」って聞かれるのと近いような感じがして。

今この瞬間の「Being」に目を向けるために

村上:この住み方を始めた動機みたいなのはあるんですけど。ざっくり話すと、大学の時に建築を勉強していて、森の中に二軒目の家を、その土地の木を伐採して建てよう、というような課題が出た時に、縁側で空間が仕切られた、ほとんど野外みたいな別荘を設計して提出したんです。そうしたら「すごく面白いけど、きみには頼みたくないな」って言われた(笑)。建築家って、クライアントがいないと成り立たない、言ってみれば客商売なんですよね。ぼくはもうちょっと根っこのことを考えがちなので、それだったら「アーティスト」ということにして、自分でいろいろやってみようと思って、その第一弾が発泡スチロールの家で移動生活をすることだったんです。当時の自分や友人たちの生活が、住所はここにあるけどあちこち行ってて、というような感じだったこともあって、住所が一個あってそこに住んでるっていう仕組み自体にちょっと無理があるなと思ったんですよね。あと、ぼくは震災があった年に卒業したんですけど、被災地に住んでる人たちが、住所は流されてしまったところに置いたまま、仮設住宅に住んでいるという話を聞いて、社会の仕組みのようなものと人々の「being」にズレがあるなと思って、そのあたりを掘り起こすためには、今と違う方法で住んでみないといけないなと感じたんです。そうしないと、今自分がどこにいるか分からない。出かけないと自分の家が分からないっていうのと近いと思うんですけど。

内沼:本の中にもありましたけど、よく村上さんは誤解されてるんですよね。どこかに行こうとしてるって思われたり、この家を背負って日本一周してるという前提で話しかけられたり。始まりと終わりがあるわけじゃなく、こういう住み方をしているだけなのに。ちょっと話が飛ぶんですけど、最近みんな何かの「準備」ばっかりしてるように思えるんですよね。例えば、いつか英語をマスターしたらこういう生活をしたい、というような。でも、「準備」ばかりしてて、いつ「本番」をするのかなって。本当は多分、それを「準備」として捉えるんじゃなくて、今やってることそのものを楽しまないと、いけないと思うんですけど。この本を読んで、そんなことに改めて気づかされました。

村上:今を生きるって難しいですよね。「なんでやってるんですか」「いつからやってるんですか」「どこに行くんですか」「どこから来たんですか」っていうの、全部同じバイアスがかかってるような気がして。自分もそうなんですけど、いつも未来の時間の中に自分を置いて、未来の自分のために今を使っているというか、焦点が全然今この瞬間に向かってない感じ。そこが一番言いたいところです。「何やってるんですか」みたいな質問する自分が、ある特殊な状況から生まれてるかもしれないっていうことを考えてほしくて、そのためにオルタナティブを置いてみようと。

(後編へ)

2019.05.30

  • Twitter
  • Facebook
  • Line

記事の中で紹介した本

関連記事