山脇百合子さん子育てインタビュー

山脇百合子さん 子育ての日々をふりかえる〈前編〉

『はじまりは愛着から』の挿絵を手がけ、『ぐりとぐら』や『そらいろのたね』など数多くの絵本の生みの親として、またフランス語翻訳者として知られる山脇百合子さん。山脇さんご自身も3人の子育てを終えたお母さんでもあります。
そんな山脇さんから子育て中の親に向けたメッセージをいただきました。前編ではご自身の子育てについてお話をうかがいました。

子育てと仕事、日々の生活の思い出


―やさしかったり、トンチンカンにおっかなかったり……―

20代前半で結婚してから、子どもは3人育てましたよ。3歳ずつ離れて女・男・女です。今は皆しっかりした大人になりました。

姉(作家・中川李枝子さん)に言わせると「百合子ちゃんがちょうどいい反面教師なのよ。」だって。
「お母さんを助けなきゃ」って子どもたちが頑張ったから、みんなしっかりしていい子になったって言うのよね。

今思うと私自身はやさしかったり、トンチンカンにおっかなかったりなお母さんだったんじゃないかしら。
でも、子どもたちに怒って手をあげたりということはなかったわ。

長女が小学校1年生の時に、学校に来ていないっていう電話があって、大慌てで探しに行ったこともあったの。草ぼうぼうの野っ原で、お友だちとヒメジオンの花を摘んでいてね、そんな時も「あらまあ」と思っただけだった。


―みんなが寝るのを待ちわびて、仕事をしました―

夫と義母と子ども3人の6人家族だったから、ご飯作りも結構大変だったのよね。だから、絵の仕事は夜だけ。みんなが寝るのを待ちわびて、夜の8時くらいになったら毎日びしばし意地悪を言って、子どもたちを寝かしつけて……ひどいわよね。そこから絵を描いてました。

私は「子どもは8時になったら寝るものだ」と思い込んでいて、仕事がなくても夜毎日8時には寝かせて……。おかげでみんな寝起きはよくて、起こすのに苦労したことはなかったわね。

私は夏なんかはつい遅くまで絵を描いていて、昼間、庭にプールを出して子どもたちが3人で遊びだすと、眠たいのに目が離せなかったのよね。おでこに目がもうひとつあったらいいのに、と思っていたくらい!


―家族だからって、言わなくてもわかるなんていうのは、いけないわね―

夫は仕事が忙しくて、子どもをお風呂にいれたこともなかったような感じだったわね。でも義母がいたからよかったのよ。当時はそういうご家庭が多かったんじゃないかしら。

義母はなんでもよくやってくれたわ。長い間、会社員生活を送っていたので、メモなんかも的確でとても助かったのよ。
出かける用事があって「○時にミルクをあげてください」なんてお願いすると、「○時○分、ミルク○CC飲みました」って、全部記録してあって、すごく安心だったのよ。

言わなくても分かる、伝わるなんていうのはいけないんだなぁって思うわね。


―お料理にはこだわっていたというよりも、必要だったということ―

当時はスーパーマーケットなんかもあまりなくて、ごはんもおやつも作っていました。
ビスケットなんかは子どもたちも一緒に型を抜いたり。子どもは広げた生地の真ん中からいきなり「ぽんっ」て抜いちゃうから「あーあ」なんて言いながら作ってました。

プリンとかホットケーキ、ドーナツもよく作ったわ。
子どもたちは「1日目のドーナツもいいけど3~4日たって、かちかちになったドーナツもおいしい!」なんてよろこんで食べたわね。

お食事には、たとえば、ひき肉と玉ねぎを炒めて、じゃがいもをつぶして混ぜたものを作り置きしておいて、コロッケにしたり、オムレツにしたり、離乳食にしたりして重宝してたのよ。

手作りにこだわっていたというよりも、必要だったってことよね。
時代は変わるのよね。手作りでないことに引け目を感じることなんてないわよ。
 

(後編へ続きます。)


東京に生まれる。上智大学卒業。絵本の絵の仕事に、「ぐりとぐら」シリーズ、『そらいろのたね』(以上、福音館書店)『木いちごの王さま』(集英社)など。童話の挿絵に、『いやいやえん』(福音館書店)など。ほかに、自作のお話に絵をつけた『そらをとんだけいこのあやとり』などがある。また翻訳の仕事として絵本『ペトロニーユと120ぴきのこどもたち』、単行本『ユーリーとソーニャ』(以上、福音館書店)などがある。東京都在住。

2017.12.18

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