学校図書館だより

【エッセイ】人生に必要なことは、すべて虫と図書館と本から学んだ。|福岡伸一さん

人生に必要なことは、すべて虫と図書館と本から学んだ。

福岡伸一

子どもの頃のわたしは昆虫オタクだった。時は昭和のど真ん中。まだオタクという呼び名はなかったが……昆虫少年と聞くと、いつも野外で蝶を追ったり、森にカミキリムシを探したりしているアウトドア派と思われがちだが、実は、昆虫少年の日々の大半はインドア派なのである。部屋にこもって本や図鑑を調べたり、標本を作ったり、幼虫を観察したりしている。あるいは世界地図を見て、見果てぬ虫の生息地を夢想している。つまりわたしはアームチェア採集者なのだった。実際、わたしには人間の友だちはおらず、虫と本が友だちだった。外へ出るにしても、昆虫採集に行くよりも、むしろ図書館に行くことの方が多かった。

練馬にいたときは最寄りの区立図書館が、松戸にいたときは市立中央図書館が、わたしの主たるフィールドだった。大量の書籍がー文字通り、『薔薇の名前』に出てくるような迷宮的な書庫にー収蔵されていることは少年の心をわくわくさせた。書庫は、本が日に焼けないよう、だいたいは暗くなっている。鈍く蛍光灯が灯っているだけだ。そこがまたよかった。さらにわたしを興奮させたのは、本が“マッピング”されているという事実だった。最初は気づかなかったのだが、やがて、どの本の背にもラベルが貼ってあり、そこには番号が記されていることを知った。日本十進分類だ。あらゆる知が整然と分類され、番地が振られている。なんとすばらしいことだろう。マップラバー(地図好き)の花園だ。

わたしが通い詰めたのは、書庫の奥にある400番台の書棚だった。400は自然科学。虫はその中の細目48/6。世界の美麗な蝶を原色・原寸大で並べた北隆館の『世界の蝶』を見つけたときは天にものぼるような気持ちになった。高価な本ゆえだろう、背表紙に<禁帯出>の赤いシールが貼り付けてあった。やった。これで誰にも借りられることはない。そしてここに来ればいつでも会える。書庫の奥深く、こんなところに来る人はほとんどいない。自分の持ち物になったも同然だ。

調べる。探す。考える。試す。うまく行かない。また調べる。人生に必要なことは、すべて虫と図書館と本から学んだ。その感覚は、こうして研究者となってからも、あるいは自分自身が本を書くようになってからも、ずっとわたしの原点として、よく馴染んだ丸い小石のようにわたしの手の中にある。


『せいめいのれきし 改訂版』(岩波書店 刊)
バージニア・リー・バートン 文・絵
いしいももこ 訳/まなべまこと 監修      

〈福岡先生から〉
小学生のときからの愛読書。生命の時間に目を開かせてくれた名著。ユニークなのは進化の歴史が、舞台の上の劇仕立てになっていること。いかに長い時間をかけて生命が連綿と、絶えることなく引き継がれてきたかを描く。そして最後に自分自身の物語に収斂し、未来に開かれていること。デザインもすばらしい。

『ツバメの歌 ロバの旅』(岩波書店 品切重版未定)
ノーラン・クラーク 文
石井桃子 訳、レオ・ポリティ 文・絵

〈福岡先生から〉
これは「岩波子どもの本」の古い一冊です(残念ながら現在は刊行されていません)。少年が、去年の秋、去っていったツバメたちがまた戻ってきて、自分の家の軒下に巣をかけるのをずっと待っています。舞台はスペインかメキシコか、どこか遠い町を思わせる素朴な絵です。私はそんな光景に旅情をそそられました。今、改めて調べてみると、西海岸カリフォルニアが開拓されつつある頃の物語だったと知りました。


『はるにれ』(福音館書店 刊)
姉崎一馬 写真
〈福岡先生から〉
これもロングセラー。私の一番すきな絵本のひとつです。北海道の広々とした原野に、たった一本だけ立つはるにれの木。ここには言葉はひとこともなく、ただ季節をめぐる移ろいが映し出されます。しかしその光景はいかなる言葉よりも雄弁に、生命の循環と輝きのすばらしさを伝えてくれます。

『よるのいけ』(「かがくのとも」2019年9月号)
松岡達英 作
〈福岡先生から〉
少年が、懐中電灯と網をもって夜の池にでかけます。そこに潜んでいる昆虫や魚を調べます。子どもにとってもっともわくわくする探検ですね。大人が付き添ってくれますが、お父さんではないようです。子どもが、センス・オブ・ワンダー(自然の精妙さに驚く気持ち)に触れる時、できれば、親や教師ではなく、ななめの関係の大人(子どもも子ども扱いしないメンター)がいざなってくれるといいのです。

『ダーウィンの「種の起源」 はじめての進化論』(岩波書店 刊)
サビーナ・ラデヴァ 作・絵
福岡伸一 訳
〈福岡先生から〉
生命の「なぜ」を説明した、ダーウィンの『種の起源』。世界を大きく変えたこの本を、美しい絵と文章でわかりやすく語りなおした、子どもから大人まで楽しめる科学絵本。


福岡伸一(ふくおか しんいち)
生物学者。1959年生まれ、京都大学卒。少年時代の虫好きが嵩じて生物学の道に進む。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎、小学館新書)など著書多数。

「2020年度岩波書店・福音館書店 児童図書目録図書館用」より転載

2020.06.23

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