私の絵本づくり 赤羽末吉(画家)
花園に育つ子どもは、花を意識しない。しかし、岩山に育つ子どもとは、おのずから違うだろう。だから私は、常に子どもの座右にある絵本の役割の大きさを感じるのである。
赤羽末吉(画家)
あかりをともす絵本
「絵本は、子どもの心の奥深くに、小さなあかりをともし、長い年月ののち、そのあかりは、なにかの機会に大きくもえあがる」
かつてこの欄に、こんな意味のことを松居さんがかかれたと思うが、私は、大変このことばが好きだ。私も青年時代に、心の奥深くに眠っていた小さなあかりが、初山滋先生の絵によって、大きくもえあがった経験がある。
私は、ゆえあって青年のころ、満州の大連に渡って住みついた。東京育ちの私には、娯楽の少ない、夜のともしびの暗いこの町は息のつまるように寂しく、毎晩喫茶店へ行って、レコード・ボーイとあだ名されるほど、レコードでせつない気持をまぎらせていた。
そんなある日、古本屋の店先で、「コドモノクニ」の一冊を発見した。その表紙は、初山滋先生のもので、エンジの美しいバックに、エンゼルのような裸の女の子が、青い目を正面にむけ、チョコンと足をのばし、その下に青っぽい縫いぐるみの象がユウユウと鼻とシッポとをのばしている美しくかわいい絵であった。この絵をみたとき、あき家のような私の心にポッとあかりがともされたような暖かさを感じた。どこかでみたことのある先生の絵だと思った。
元来、私の家は「コドモノクニ」を買うタイプの家柄ではなかったので、なにかの機会に「コドモノクニ」のページをめくったことがあったのだろう。チラリと見た先生の絵が、私の心の奥深くに、知らないうちに、やきついていたのだ。それが十何年目かの再会で音をたててもえだしたのだ。
私はこの表紙を額に入れようと思ったが、本をひきさくのに耐えられず、ずいぶん厚ぼったい一冊を足の長いびょうで、ペンキ塗りのさむざむとした壁に苦労して、そのままとめたことをハッキリと覚えている。
これをあきずにながめて豊かな気持になり、久しぶりに絵筆を持って、雑貨屋の白い壁にひなたぼっこをする満州人の子どもをかき、これも額に入れて飾った。
それからは、何年か断っていた絵を再び気を入れてかくようになり、展覧会作品も開拓地の日本の子ども、満州人の子ども、蒙古人の子どもと、子どものモチーフが多くなった。
終戦間ぎわになって、満州でも子どものものが出版されるようになり、「満州の伝説」などを手がけた。帰国してからもそのまま、子どもの世界をかき、今日にいたった。
その意味で、初山滋先生は、私の心にあかりをともしてくれた恩師のようなもので、先生にそのことを語りたかった。その後、機をえて先生と一ぱいやりながらその話をしたが、先生はその表紙の絵は記憶されていなかった。
こういう場合のお礼のことばというのは、どういってよいのかわからなかったので、“おかげさまで”という気持で語っただけだったが、思いをはたして心が晴れ晴れした。
「かさじぞう」の試み
私の絵本づくりは、思いかえしてみると、意識的に子どもの心にあかりをともそうとしていたようだ。私の絵本づくりには、一冊一冊動機のようなものがある。自分がすばらしいと思ったもの、感動したもの、ぜひ子どもにみせたい、みてもらいたい、知ってもらいたい――そういった願いみたいなものが動機になり、こうした動機が、作品のなかで結実したとき、私の絵本も、子どもの心にあかりをともしうるだろう。
かつて乾燥した満州から帰国してきたとき、日本の風土の美しさは、湿度からくるものだと思った。そして、この美しさを表現したいと思った。それで私は、この湿度を表現するのにもっとも適すると思われる墨絵の道にはいった。
そのころ、私のはじめての絵本「かさじぞう」の出版が企画された。だが、このときには、墨絵で絵本をかくということは、いったいどういうことなのか、全く見当もつかず自信もなかった。出版されてから、相当数を各方面の先輩や識者に贈って批判をこうた。力をつけてくださる向きも多かったが、なお子どもの本に、色彩のとぼしい墨絵をつかうということに疑問や抵抗を感じている方も少なくなかった。
このことに関して私は、こういう考えで描いていた。この話は、寒い国のそぼくな話である。その主題を生かすために、寒さやそぼくさを表現するために、あえて色を少なくした。あるところは墨一色にした。私は日本の子どもに、色の少ない簡素な美しさを知ってほしいと思う。日本は印刷コストが安い。そのためか絵本はやたらに極彩色にし、全ページが色でうずめられていないと絵本でないように思われている。
外国では印刷費が高いので、墨一色の絵本がいくらもある。
「百まんびきのねこ」のような名作もでて、単色の絵本の美しさを知る機会と、それを抵抗なくみる習慣とが身についている。
そのとき、熊谷元一さんに「かさじぞう」の反響を、受持の一年生のクラスで調べてもらったら、極彩色のおとぎ話の絵本にくらべて「かさじぞう」が三分の二の支持をうけ、その意外な結果に熊谷さん自身も驚かれたと、報告してきた。
このことだけで結論をだすことはできないまでも、墨絵ということは、おとなの思っているほど、物語の観賞のさまたげにはならないことだけはわかって、おおいに力づけられた。墨絵という概念のない子どもには黒い絵ということなのだろう。ただ、敏感な子どもは、ペンがきの黒とちがうことを感じとるだろう。
私は岡山の「こどものとも」の読者のおとうさんから、自分の子どもが、「『大工と鬼六』の絵が、お寺のふすまなどにかいてある日本の昔の絵のようだ」ということで、それ以来、大変、私の絵の愛好者になっているという手紙をもらった。
日本の子どもだからはだで感じるのだろうか。お寺の古画と私の絵とを結びつけた幼い目が、筆勢を読みとっているということではないだろうか。
「スーホのしろいうま」
「スーホのしろいうま」では、壮大な天地の蒙古を見せたいのが、動機だった。
満州でジンギスカン廟の壁画の一部を依頼された私は、風俗研究のために遠く内蒙古にはいった。草原にたってグルリと見回すと、一方は暗雲、一方は晴天、一方はスコールというように天候の変化が一望に見わたせるような――地球の半分がいっぺんにみられるような――雄大なスケールの蒙古に感激した。はるかかなたに黒い犬が一ぴきあるいている。同行の人たちとあの犬は向こうへゆくのか、こっちへくるのかが問題になった。黒い犬はユラユラとかげろうのようにゆらぐだけだ。しばらくやり合ったが結局わからなかった。大きな天地だ。
私はいつかは、蒙古を舞台にした大作をかきたいと思い、少しおおげさにいえば命がけで、禁じられていたスケッチや写真資料をひそかにもちかえった。
後年、絵本をかくようになって、日本の子どもに蒙古をみせたい、私の感激をわかちたいという気になった。あらゆることにすぐれている日本人にたった一つ欠けたものは、スケールだと思うが、こんな天地のあることを日本の子どもに知ってほしかった。私は福音館の松居さんに相談した。松居さんはすぐのってくれた。しかし、なかなか話のよいのがえられなかった。何度か検討するうちに、ついに大塚勇三さんの蒙古民話「馬頭(ばとう)
琴(きん)物語(ものがたり)」の原稿が生まれた。私は感激しながら、しかし、出版の都合で短時間でかきあげたのが、こどものとも67号「スーホのしろいうま」だ。検討がはじまってから、二年かかった。今みるとはずかいしくらいのものだが、あの地平線は印象的だったとよく聞かされてうれしかった。
熊谷元一さんのところへ、これも送って、信州の山の中の子どもたちにみてもらった。海もみたこともない山の子どもたちには、どうしてもわからなかったようだ。わからなくても地球のどこかに、そんな大きな天地があることを知ってもらうだけでじゅうぶんだと思った。
そしてふたたび、畢生(ひっせい)
の作にしようと全身をうちこんで、二年越しで完成させたのが、大型版「スーホの白い馬」である。
横に流れる紙の演劇
日本では、物語絵本が盛んになったのは、最近のことだが、一枚絵と物語絵本とは問題がかなり違う。一冊の物語絵本となると画家は、脚色から演出、舞台美術から役者までしなければならない。物語絵本はまさしく、横に流れる紙の演劇だ。私は「大工と鬼六」では、ハッキリ演劇的手法をとり入れて構成していった。最初は何事か起こりそうな事件を暗示させるはげしい濁流を狂奔させ、子どもの気持を誘い、次は人物の動きで事件を進展させ、中間で視覚に訴えるはなやかな山場をもち、あとは最後を爆発的にもりあげるためにおさえたり、足踏みさせたりして、ドタン場で文章にない逆転をやり、強烈な動きの中に主題を強調する試みをやってみた。
これは、私だけの方法かもしれないが、丸と線で高低を表わしたグラフのような設計図をつくって、全体の流れに高低をつけながらドラマを計算してゆく。色の強弱によるドラマ、構図および図柄の大小によるドラマ、それを主題を生かすために細かく計算し、配分してゆく。主役とわき役との動かし方、背景の一木一草にいたるまで、主題を生かすために切ったりはったりをくりかえす。
各ページをむやみに極彩色にすると、かえって色が相殺され、効果としては色のないのと同じになる。重要な場面をもりあげるには、その前の何ページかは色をおさえ、長い真暗なトンネルをでて一瞬、青空のもとのはなやかな風景をみるような効果を計算せねばならない。こういうむずかしさが、絵本づくりのおもしろさだろう。
私はどうも絵かきの観念が強くて、最近まで絵本をみても、一枚一枚の絵の巧拙だけをみているきらいがあった。しかし絵本は、いかに絵としてうまくかいてあっても問題は別で主題をいかにもりあげているかが、いちばん大切であると思うようになった。一つの主題を両側から、作家と画家が息を合わせてもりあげもりあげしてできた調和の美しさが物語絵本のほんとうの美しさだと思う。その美しさを、ゼリーナ・ヘンツとアロワ・カリジェの「アルプスの兄弟」の中にでてくる鈴とりの話にみる。この息をつかせないもりあがりは、全くすばらしく、子どもをグイグイとひっぱってゆくだろう。
「星の王子さま」の文と絵の調和の美しさはどうであろう。中川さんと山脇さんの「ぐりとぐらのおきゃくさま」のかわいさ、みずみずしさはどうであろう。だが、私の目標は、やはりホフマンの「ねむりひめ」で、さし絵としてもよく主題を物語り、なお一枚一枚をはなしてみても、格調たかい立派な美術品であることだ。
ビタミンABC…XYZ
私は先日、丸善の国際絵本展をのぞいたが、最初に手にしたアメリカの絵本のバックが、なんとどのページも無意味にどろどろと調子をつけ、主題がどこにあるのやら、全くおとなの遊びごとであった。むせるように胸につかえて、あわてて手ばなすと一冊も買わずにかえった。買わなかった理由のもう一つは、語学に弱い私には、どの程度、文と絵が主題をもりあげているかわからないからである。私は日本語のついた絵本で勉強しようと思う。
絵本の理想からいうとひとりの人が、絵の場面を頭に描きながら、ストーリーをつくることだ。映画監督が脚本をかくように――。
問題が少し前後するが、自分はできるだけ絵本は単純明快に、描こうと思っている。説明の多い絵は、見る子どもには想像の余地を少なくする。健康な子どもは、自分で判断したり考えたりして、自分の努力で答えを出すことに、喜びを感じるはずだ。盲学校の子どもたちは、野球放送を大変喜ぶが、ラジオ放送はきらいで、テレビ放送にしがみつくという。かれらは、自由に想像の輪をひろげられるのが、無上にたのしいのだろう。健康な話だ。このことは、どこまで絵を単純化し、どこまで空白をもたせて、考えさせるかは、われわれ画家は相当研究せねばならぬ問題だ。
最近、物語絵本が盛んになって、子どものものは甘いものに限る、というような通年のわくがいささかひろげられ、自由奔放な画風の絵がふえてきたのはうれしいことだ。甘いお菓子ばかりでなく、ゴマのいっぱいついた塩せんべいのような絵もあるべきだと思う。子どもの栄養になるものであれば、ビタミンABCばかりでなく、XYZまであってよく、たくさんある中から自由に栄養を摂取して、豊かになってゆくことが、望ましいのだ。
子どもに近づく唯一の道
すぐれた一冊の絵本の役割は伝統につながる。よい伝統というものは、本人が意識するとしないとにかかわらず、たえずひそかに美しいあかりをともすのだ。
戦争中、空爆のひびきで窓ガラスの破れるのを防ぐため、ガラスに紙を張ることはどこの国でもやったことだが、フランスの主婦たちのガラスに張った切紙模様はいろいろ工夫され、大変美しかったという話をなにかでみた。私は路傍でよくみかけるが、日本婦人のきものと、すその裏の中間色の配合は全くうまいのには感心する。美術におよそ縁の遠そうな庶民の主婦が、だれに教わるでもなくピタリとやってのける。これは日本のよい伝統の火が、無意識のうちにともされ、うけつがれているからだと思う。花園に育つ子どもは、花を意識しない。しかし、岩山に育つ子どもとは、おのずから違うだろう。
常に、子どもの座右にある絵本の役割の大きさを感じるのである。
今の私が絵本づくりに得た結論は、私の場合、できるだけすなおな気持になって懸命にかくことが、子どもに近づく唯一の道だ、ということである。