ごろごろ にゃーん

こどものとも|1976年1月号

ごろごろ鳴るお魚型の飛行機に、にゃーんにゃーんと鳴くネコたちがゴムボートから乗りこんで、ごろごろにゃーん、ごろごろにゃーんと、飛行機は飛んでいきます。魚を釣り、マッコウクジラのジャンプする海を飛びこえ、UFOに出会い、ビルの上を、鉄橋の下を、ネコを乗せた飛行機は、どこまでもどこまでも飛んでいきます。長新太の真骨頂を見せる、斬新で愉快な絵本です。

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講演〈ニワトリみたいに悲鳴を上げて〉 長新太(漫画家)
 
 えー、ただいまご紹介いただきました長です。(拍手)フー、つかれた。たったいま北海道の小樽の先にある積丹(しゃこたん)半島から駆け足でやって来たものですから、息が切れて、ちょっとお水をちょうだいいたします。(笑)えーと、今日は〈絵本について〉はなしをしようと思うのですけれど、わたしはマンガも描いておりますので、わたしの描く絵本はマンガ的なものばかりです。ふつう、この種の絵本は〈ナンセンス絵本〉などといわれております。たとえば、かの有名な、これはわたしの描いたものですけど(笑)『おしゃべりなたまごやき』(福音館書店)や谷川俊太郎さんと瀬川康男さんの『ことばあそびうた』(福音館書店)などがそうですけれど、絵を見たり、文を読んだりしているうちに、とてもおかしくて「ホホホ」とか「プッ」とか「ハ、ハ、ハ」「ヒ、ヒ、ヒ」とかですね、おもわず笑いたくなってしまうような種類の絵本です。今日、おみえになっていらっしゃる方は、ぜんぶお母さんのようにお見受けいたしますが、どうもお母さんの中には、絵本というものは、いわゆる詩的で、少女歌劇か何かを見ているようなウットリするくらい甘美なのがほんとうよ、と確信していらっしゃる方が多いような気がわたしはするのです。これはわたしの偏見かもしれません。いま、前から五番目のお母さんの顔色がトマト色に変色しましたので、たぶんお怒りになったのだとおもって、わたしは大急ぎで「わたしの偏見かも……」といったのですけれど、どうも一般的に申し上げますと、お母さんたちは大変まじめでいらっしゃる。大至急またここで追加いたしますと、まじめだから悪い、とわたしはいっておるのではありましぇん。「まじめな世界」とか「わたしたちの住んでいる日常世界のことである」と『現代の児童文学』(中央公論社)の著者である上野瞭さんもおっしゃっております。しかし、上野さんも指摘しているように、わたしたちの内にある〈まじめ主義〉は、子どもらしくとかおとならしくとか、そういった〈らしさ〉を尊重する考え方なのであります。したがいまして、わたしはどうもお母さん方には絵本らしくといったある種の考えが、まるでお母さん方のおしりのようにデーンとですね――ちょっとたとえが悪いですけれど、あるようにおもえるのです。これは、ちょっとくらい押しても引いてもびくともしないようにわたしにはおもえます。極端にいえば、まず第一にお母さんたちはマンガを否定しております。したがって〈マンガ的絵本〉なんて、これはもう頭から信用しないわけです。絵本を見て、あるいは読んで,笑ったりするのはどうもへんだとおもってしまう。絵本はページをめくるたびに〈ああキレイねえ。まあ美しい〉と感じなければ絵本ではない、とおもっているようにわたしにはおもえます。むろん、若いお母さんの中には、マンガで成人した方もいらっしゃるでしょう。これは煎じ詰めれば〈日本人の笑い〉をいうことからはなしをしなくてはなりませんけれど、いつかどこかの本で飯沢匡さんと、井上ひさしさんの対談を読んだとき、こんなふうな個所があったのを記憶しています。「ちかごろはずいぶんと笑う人が多くなったけれど、そんなにおかしくないのに大笑いをしたりして、なんとも情無いし、少しへんですなあ」「いや、まったく。まだ、笑いに対して初心(うぶ)なのではないかしら」――といったふうなやりとりだったのですが、わたしも〈お母さんたちは初心なんだなあ〉とおもいます。いま、前から三番目のお母さんがニコニコしてくれましたけれど。(笑)さて、絵本というものは,お母さん経由で子どもに到着するのがふつうです。絵本を見る子どもがお金を持って、勝手に本屋さんに行って絵本を選択して買って来る、ということはまずありません。お母さんが本屋さんで絵本を手にしてパラパラと中味を見て買うのがふつうであります。したがって、お母さんはどういう絵本がよいのか、つねに新聞の読書欄などで研究したりします。新聞でほめてあればその本を買うでしょう。専門家が選択したものであれば、そう的をはずれたものはないでしょうからそれでよいのですが、それではあまりにも自主性がありません。
しかし、メチャクチャに子どもに買い与えるよりはいいでしょう。わたしは新聞などで専門家が選んだものを、五冊なら五冊、ぜんぶ子どもに見せて,その中の一冊を子どもに選ばせて買うようにしたらよいのではないかしらん、とおもいます。子どもは五冊の中から自分のいちばん好きなものを選ぶでしょう。
お母さんも子どもの選んだものを家に帰ってから読んでみると、どういったものを子どもが好きなのかわかるでしょう。そうして、こうしたことを繰り返しているうちに,お母さんも子どもも次第に優れたものとは何か、ということがわかってくるとおもいます。
え-、少しはなしが〈まじめ主義〉的になってしまいましたから、また、ナンセンスなものへ戻しましょう。フ-、まだつかれがとれないなあ、またちょっとお水をいただきます。(笑)

さて、みなさんは「朝雨は女の腕まくり」ということわざをご存知でしょうか。これは、女が腕まくりをしていばったところで、たいしたことはない、という意味と、朝の雨はすぐやむから、女は腕まくりをして洗濯をしても大丈夫、という二種類の解釈が成り立つらしいのであります。前者は男側の、後者は女側の解釈ととれますが、わたしは女の腕まくりは実は大変おそろしくて、朝の雨は午後から大豪雨に発展するでしょう、と解釈したくなるのです。近代社会では、というとちょっとおおげさですが、どうも「女の腕まくりはたいしたことはない」とは、いちがいにいえない情況にあります。いまここでちょっと見回しても、わたしの腕よりみなさんのほうが二倍くらい太いですものね。(笑)これはかなわない、とおもうわけです。
そこでお母さんたちが、一日も早く子どもたちと共に〈優れた絵本とは何か〉ということを感受して、専門家、これはわたしのような絵を描く側もふくめて、そういった連中をやっつけるために〈腕まくり〉をすることをわたしは期待したいのであります。(拍手)
むろん、わたしはニワトリのように悲鳴を上げたくなりますが、そうすることによって優れた絵本の分野が開拓されて行けば、こんなよいことはありません。先ほどから〈ニワトリが悲鳴をあげているわ〉といった目つきでわたしのことを見ているお母さんもいるでしょう。あるいは〈どうも長という人は被害妄想的ねえ〉と診断をくだしていらっしゃる方もいるでしょう。わたしは、そんなことはどうでもいいとおもっています。たとえニワトリの白色レグホンに見られようとも、あるいは名古屋コーチン、はたまた、白チャボ、黒チャボに見られようともヘイチャラです。 
わたしは日ごろから、どうにかして痛快なナンセンス絵本が出来ないものかとおもい、タマゴを生み落とすように仕事はしているのですが、まだ未熟なせいか〈これは〉というものが生まれて来ません。したがって悲鳴ばかり上げているのが実状です。今回の『ごろごろにゃーん』も、ネコたちがサカナとおもえるヒコーキに乗って、ただ、やみくもに突っ走るはなしなのですが、この絵本を見る子どもたちがどのくらいネコたちに接近して冒険してくれるか、と少し心配なのであります。まあ、それはともかくとして、やはり、目の前にお母さんたちが腕まくりをして、仁王さまのように立ってくれたら、わたしたちはふるえ上がって、より仕事に精が出るのではないだろうか。
〈はてね?〉といったふうにいちばん前にいらっしゃるお母さんが頭をかしげましたが、絵本をつくる側としては、強烈なお母さん方の力がなによりもほしいわけです。今日はナンセンスそのものについても、もう少し突っ込んだはなしをしようとおもったのですが、時間がありませんので、ナンセンス的な絵本について、ほんの少しはなしをした次第であります。どうも午前中のニワトリみたいに悲鳴ばかり上げたきらいがありますが、ご静聴ありがとうございました。(拍手)

基本情報

カテゴリ
月刊誌
ページ数
32ページ
サイズ
19×26cm
初版年月日
1976年01月01日
シリーズ
こどものとも
ISBN
テーマ

みんなの感想(1件)

同じ文章が繰り返されて面白い。

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