うそこの時 筒井頼子
「うそこに、おかあさんがいないことね」
「うん、死んじゃったことね」
子どもたちの空想遊びは、大抵いつもこんな会話のやりとりで始まります。おかあさんは、いともあっさり殺されてしまうのです。そんな時、もし私と目線が合うようなことがあれば、少しばつの悪い顔で、
「うそこだよね」
「うん、ウソコ」
とても力を入れて繰り返したりします。
子どもたちが空想の翼を拡げて、冒険の旅へはばたく時、親はとても邪魔な存在なのです。
私だってそうでした。“親のない子”に、どんなに憧れたことでしょう。
『母を尋ねて三千里』『小公女』『秘密の花園』それに『ハイジ』『赤毛のアン』……私をときめかせた主人公たちは、誰も皆、親不在の状況の中で、劇的に生きる子どもたちでした。
暖かい湯気のたつ食卓と、寝につく時の子守歌の、甘美なぬくもりが確保された世界の中で、私はもらわれっ子であったり、ひろわれっ子であったりすることを、いくぶんかは罪の意識を感じながら、こっそり想像しては涙を流して楽しむ癖のある罰(ばち)当りな子どもでした。
でも、罰当りな子どもというのも、いつの時代にも案外多いのではないでしょうか。子どもたちの空想遊びの、「うそこに親が死んだ」状況は、子どもたちの隠れた心を現わしているように思えるのです。
私の絵本に親不在の場面が多いのは、そんなところに原因があるのです。
***
『いもうとのにゅういん』の原稿を書きあげて間もなく、私たち一家は夫の転勤で、結婚以来初めての引っ越しをし、その先で、思いがけなく私が発病、入院となってしまいました。三世代家族の中にいた三人の娘たちには、まさに降ってわいた劇的な物語の始まりだったに違いありません。
天地がひっくり返っても、活字を眺めている限り気がつきそうもなかった長女も、てきぱきと(かどうかは怪しいにしても)買物をし、洗濯物を干し、ごくカンタンな料理は作ったようですし、次女はその資質を遺憾なく発揮し、姉を叱咤し妹を指揮し、家内をまとめたようですし、甘えることしか知らなかった三女も「もう六才だからガマンする」ことを覚えたようですし、そして問題児の長男も…(長男はいないのでありました)。
「大きな損には小さな得がつきもの」だったのか、小さな損に大きな得がついたのか――。
子どもや夫の変わりようを見るにつけ、そう感じたものでしたが、あれはやはり私たち家族の“うそこの時”だったようなのです。
いったん退院し、私に体力が付いてくるにしたがって、フィルムを逆に回すようにもとの状況にもどっているのですから。いくらかは“うそこの時”の痕跡を残しながら。
幸せというのは、そんなものなのかもしれません。
「うそこにおかあさんが死んじゃったことね」
私が病院のベッドに縛りつけられていた間は、絶対にしなかったらしい空想遊びを、子どもたちはまたくったくなく始めるようになりました。
でも、子どもたちは知らないのです。
「うそこに子どもがいないことね」
「うん、生まれていないことね」
ひとりお喋りを囁きながら、空想遊びをする大人もいるのだということを……。