長い髪の思い出 たかどの ほうこ
小さいころ、私は、可憐で清楚な少女の姿に、たいへんあこがれていた。そしてその像に近づくためには、まず、髪を長くしなければならないと考えた。まるっとした刈りあげおかっぱでは、どうも具合が悪いと思えたのだ。ところが、子どもの髪の毛を、優雅に櫛削る趣味も暇もない母親は、「短い方がモダンだよ!」という巧みな言い方でもって、伸ばすことに反対した。だから、長い髪をしばったり編んだりダンゴにしたり、いろいろしてもらってる子どもが、とてもうらやましかったのだ。だが、そのころの私は「いいなあ、○○ちゃん」と言えるような素直さを、持ち合わせていなかった。かといって「短い方がモダンだよ」とは、思っていないから言いたくない。そこで私は、「こんどあたしが、どれくらいのばすかしってる? すごくのばすんだよ!」
とうそぶき、相手をハッとさせて喜んでいた。でも、ちょっとやそっとの長さでは、鼻でフフンと言われるだけだ。ここはひとつ、思いきってぐんとがんばって、ダメ押しをすることだ。私は、「どうだ!」というほどの長さを、えいっと示して安心した。考えてみれば、可憐で清楚な少女の像と、髪の毛で魚をつったり牛をひっつかまえたりするような行為は、どうも結びつかないのだ。でも、それはそれ、これはこれというものだ。
そのころのことを思い出し、この絵本を作ってみた。友だちとのやり取りの中で答えに窮しては、その度に何かいいことを思いついて切りぬける。そのうちに、思いつくという行為自体をひとつの遊びとして、楽しんだものだ。
さて、その髪だが、五歳の終わりごろ、ついに母を説得して、伸ばし始めた。今なら、たちまち伸びるのに、何故かそのころは、さっぱり伸びないのだった。待てども待てども、理想の少女のようにはならない。そのかわり、だんだん金太郎に似てくるのだ。がっかりして、切ってしまった。