長谷川摂子と絵本作家

【第2回】堀内誠一さん|(3)触ることに匹敵する絵本の味わいを

女性の画家たちの魅力

長谷川 絵本の画家では、どんな人たちがお好きですか?
堀内 ぼくが好きなのは、エッツだったり、トーベ・ヤンソンだったり、ベッティーナだったり、山脇百合子さんだったり、たいてい女性ですね。その点我ながらおもしろいと思うんです。
長谷川 ベッティーナの絵の筆さばきや暖かさは、堀内さんの絵と通うところがありますね…。こういう人たちのどういうところにひかれていらっしゃるのか。
堀内 女の人の持っている、なんか、ジプシーのお母さんみたいななりふりかまわない野性味っていうの、あると思うんですね。エッツなんか、絵本以外の仕事でもヴォルテージの高い社会活動家だったらしいけれど、高い知性と同時に本能的で直截な、小さなものへの愛情みたいなものをその絵に感じます。
 絵本をたくさん見てると、そういうライオンのお母さんの本能的な勇気をいつも感じるんです。ぼくはほんとにそれだけの自信もないし。男にはできない商売だなっていうような……。オタオタしてますよね、男は。ウォルター・クレーンにしても何にしても。わりとオタオタしていないのは、『かしこいビル』(ペンギン社)なんかを描いたウィリアム・ニコルソン。あの人なんかは超男性というか、自信ある父親というか、すごいですよね。しっかりしてる。
長谷川 決断力で前進していくような絵で、堀内さん好みのテンポのはやさがあって。
堀内 世紀末以来の文明のダイナミズムが、人間にとっていいものだった時代を感じますね。伯母から招待状がきて、伯母を訪ねるメアリという女の子が、おもちゃの兵隊のビルを置き忘れる。決然と後を追うビルの姿と汽車の力強い進行、物語が終ると同時に汽車も目的地に到着する。シューッと減速して止まるようす。ドラマのすべてが肉体的感情的リズムに並行した運動に終始している。ああじゃなくちゃいけない。天才的ですよね。
長谷川 クレーンがオタオタしているっていうの、わかるような気がします。あれもこれもと配慮が多すぎて、結局自分の美意識にふりまわされてる。そういう意味ではアーサー・ラッカムなんかにも腺病質なところを感じますね。
堀内 なんかせわしなくて貧乏ですね。
長谷川 しっかり自分を支える底力みたいなものが感じられない。
堀内 ラッカムには功名心というのがありますよ。スノッブというのかな。

子どもの官能性

長谷川 今、母性という話が出ましたけど、エッツなんか絵描きとしてうまいというより子どもを見る目になまなましさがあるんですね。『わたしとあそんで』の表紙の絵を堀内さんが絵本の「ジョコンダ」(モナ・リザ)だと書かれていましたが、ほんとにあの子どもの顔は生気があって見あきないんです。いつもは少女漫画風の顔を「かわいい」なんていっている娘が、「この顔、生き生きしてるねえ」って感にたえないようにいったことがあって感動しました。
堀内 表情ですね。
長谷川 表情といえば、堀内さんの『きかんぼのちいさいいもうと』(品切れ / 現在は酒井駒子さんの挿絵で刊行)のあのやんちゃな女の子も思い出されますね。泣いたり、笑ったり、すねたり、子どもはあの子の表情がとても好きなんです。
堀内 一種官能的でしょ。子どもっていうのは官能性ってありますからね。そこんとこをなんとかやりたいですね。
ベッティーナなんかはそういうの、感じさせられますよ。
長谷川 女性作家の官能性といえば、文学の方ではファージョンなんか思い出しますね。彼女の表現は、虚構の世界でもう一つ純化され、昇華されている感じですが。
堀内 そうそう、あの人は官能的なことの社会活動家みたいなとこがあるくらいですね。
長谷川 でもやっぱり絵で表現される官能性の息吹きのようなものは、あっというまにこちらを包んでしまうような直接的なインパクトがあるから、ベッティーナやエッツの官能性は子どもにもちゃんとわかると思うんです。『フランチェスコとフランチェスカ』(品切れ)なんか子どもの息がふっと首すじにかかるような、そういう感じの絵なんですね。
堀内 官能性っていうのは、何か多くのものを味わうってことですよね。瀬田貞二さんも、ぼくなんかびっくりするくらいどこか官能的な人でしたね。
長谷川 わかるような気がします。
堀内 ちっちゃい子は、官能そのものですからね。全体が性感帯みたいなね。だから、いろんなものに出会える…。
 生きてる喜ばしさっていうのは、目とかの五感や言葉とかで触るっていうことでしょう?女の人なんかが魅力的な服装をするっていうのは、目で触ってもらってるという喜びがあるわけだから。結局人間は、触る、触られるということを、いろんな現実に形を変えてやっている。赤ちゃんは、直接に外界と関わる場合、絵本もいらないぐらいの感応性をもってるわけですよ。だけど子どもは、将来そういうんじゃない世界っていうのに旅立たなければならない。だからいろんなイメージの発散しているものの味わい方、触るということと匹敵する味わい方、というのを持って旅へ出ていかないと、ということで絵本とかがあるんじゃないですかね。
長谷川 子ども時代っていうのは、大人がノスタルジーで「よかった」と思うのとぜんぜん別の世界ですね。
堀内 SFで、逆まわりに人生を送る世界を描いてあるのがあるでしょ?短剣が突きささって死んだ人は、アイタタタ!とかいって生まれてくるのね。(笑) 年とるに従ってだんだん心身爽快になってきて、でもその場合、最後に子ども時代という一番つらいところを通過しなくちゃいけないってことは、大変な感じがする。
長谷川 大人になるっていうのは平衡を保つ機能みたいのがだんだんできてきて、つまんなくなる部分もあるんでしょうけど、ある意味では楽になるところもありますね。
堀内 楽でしょうね。ほんとに子どもっていうのは、大きい人たち助けてください、っていうとこがあるんでしょうね。それがまったく絶望的だという時、反抗どころか自殺するのかもしれない。なんてったって、子どもは大人を尊敬してますよ。大人にどこかで感心してない子どもなんていないですよ。
長谷川 子どもがつまんないことで泣いたりしてて、「なにそんなことで泣いて。そんなことじゃ人生渡れないわよ」というと、子どもが「いいなあ。お母さんは。人生渡れて」って。(笑)
堀内 大人の鈍さっていうのにも、憧れる時あるのね。ぼくなんか今だに。ひなたぼっこしてる老人の鈍さに憧れたりしてるけど。
 

終わり

※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。



堀内誠一(ほりうちせいいち)1932〜1987年
東京に生まれる。グラフィックデザイナーとして、カメラ雑誌、ファッション雑誌など編集美術を多く手がけ、イラストレーターとして絵本その他の児童書に活躍。『ぐるんぱのようちえん』『くろうまブランキー』『こすずめのぼうけん』など多彩な表現の絵本を数多くの残した。



インタビューを終えて-長谷川摂子

堀内さんの絵本、これは誰だってファンにならないではいられません。が、私は堀内誠一編『100人のイラストレーター』(福音館書店)を手にして舌を巻いてしまいました。この人は、何と大きな芸術の享楽家であることか。秋の夜長、一人、グラスを片手に絵を眺めては堀内さんの文を読み、その無上の楽しさに私は酔い痴れてしまいました。こんな人と自由に話が交わせたらどんなに幸せなことか、私は期待と自分に対する不安とでドキドキでした。けれど、うれしいことに(あたりまえのことに)堀内さんは堀内さんだったのです。ほら、堀内さんの珠玉の言葉に耳を傾けてください。



◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち

【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん

2017.04.02

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