あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ特別編|「フランスの絵本屋さん」『さんびきのおさる』作者・安部賢司さん

 毎年11月末にパリのモントルイユで開かれる児童書のブックフェスティバルの会場は、たくさんの人であふれかえります。会場に立って周りを見回すと半分くらいは子どもたちです。家族連れはもちろん、学校からの遠足の団体もたくさん来ています。有名なボローニャの見本市が出版業者の国際的な商談の場であるのに対し、こちらは直接、現地の読者に向かって開かれたフェスティバルです。2018年の来場者数は6日間でなんと17万9千人だったそうです。


 どうやらフランスの絵本の出版は活況にあるといえそうです。その活況の背景のひとつにはフランスの、90年台半ば頃から上昇し、ここ数年はいくぶん下がりつつも、依然として高い出生率があると考えられそうです。出生率といったようなことには、国の政策はもちろん、いろいろな要因が関係していて、簡単に因果関係を述べられるものではないでしょうが、フランスの人たちの子どものいる風景を眺めていると、それは人々のあいだに、自由に根ざした根本的な、生への大きな肯定があってこそのことであるように、私には思われます。

 日常の風景にも目を向けてみましょう。パリの街中には大きな書店もあることはありますが、専門化した小さな書店がたくさん生き残っていて、子どもの本の専門店もいくつも見つけることができます。さらに専門店ではないものの、お店の半分ほどを児童書にあてている書店、アートやデザインの専門書店が子どもの絵本を大きく扱っているケースも少なくありません。また、大都市パリのみならず、地方の小都市でも、子どもの本の専門店を見かけることはよくあります。

 そうしたフランスの絵本屋さんで、立ち読みをしながらしばらく時間を過ごしていて気づくのは、お客さんと書店員との間で交わされる会話の多さです。フランスらしくお客さんと店員とが対等に相談と提案を交わす場面が、次から次へと目の前で繰りひろげられる様子は、眺めていて気持ちのよいものです。

 また、小さなお店でもよく子どもが座り込んで本を読めるクッションを置いた一画が設けられていたり、定期的な読み聞かせの会や、作家を招いてのサイン会といった催しものが頻繁にプログラムされていたりと、フランスの街中のちいさな絵本屋さんとお客さんの活き活きした関係には、とても印象深いものがあります。

では今日のフランスの絵本のまわりに見られるこうした風景はいったいどのようにして形づくられてきたのでしょうか?
パリ中心部の5区に、とても興味ぶかい図書館があります。L'Heure Joyeuse、直訳すると「幸せな時間」という名前の公共図書館です。設立は1924年。第一次世界大戦で荒廃したフランス社会を立ち直らせるために行われた、アメリカからの民間支援活動の中から生まれた図書館です。


 支援活動が直面した課題にはさしせまったものも山積みでしたが、それでも慈善活動家たちは、子どもの教育の立て直しこそが疲弊しきった社会の復興に、将来おおきな役割を果たすと信じ、ニューヨーク公共図書館の司書を呼び寄せ、バラック兵舎を利用して、子どものための図書館ネットワークを作りあげました。この一連の活動のめざましい成功を受け継いで誕生したのが、それまでフランスには無かった形の、あたらしい図書館「幸せな時間」でした。

 あたらしい図書館といってもそれはつまり、今日の私たちにとってはあたりまえの図書館です。子どもが自由に入れて本棚に直接アクセスできる、あたりまえの図書館です。けれども当時にしてみればそれは前例のない実験、戦争から生まれた平和主義のユートピアと言われるほどの革新的な試みでした。アイデア自体は19世紀からあったものの、伝統に固執したフランスでは実現されなかった子どもに開かれた図書館が、戦争への悔悟と社会の再建への希望の中からあらためて実現され、花開いたことは象徴的なことであるように思えます。

 

 この図書館を中心とした活動と影響は広範囲に及び、出版とも連携して、今日私たちが「絵本」という言葉で思い浮かべるような絵本の姿そのものが、フランスでは、この運動の中から生まれもしました。「幸せな時間」が辿ったその後の発展の経緯や果たした役割には、ほとんど冒険とよべそうな感動的な物語があるのですが、残念ながら、ここではとても述べきれません。

 20世紀の前半、アメリカの絵本の黄金時代と呼ばれる時代に並行して、フランスではフランスの、すこし遅れて日本では日本での、絵本の歴史があって、それぞれの今日のあたりまえの絵本屋さんの風景があります。その、それぞれの風景の中に並んでいる絵本たちは、21世紀の今でもまだまだ、お互いに、お互いを発見しあえる、お互いにとっての未知の沃野同士であると言えるでしょう。

2019.05.14

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