小風さち 絵本の小路から

コアラの縫いぐるみ|『まきばののうふ アメリカ民謡』イルセ・プルーム 絵 わたなべてつた 訳

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第3回は、わたなべてつたさんが訳を手がけた『まきばののうふ アメリカ民謡』です。

コアラの縫いぐるみ

『まきばののうふ アメリカ民謡』 イルセ・プルーム 絵 わたなべてつた 訳


 この春(※)に、「今作っている絵本です」と某編集者が校正刷りを見せてくださった。『まきばののうふ アメリカ民謡』とあった。画家はイルセ・プルーム。コールデコット・オナー賞を受賞した画家だとはその時に知った。手刺繍を思わせる丹念な絵が、小ぶりな本の造りと相まって、子どもの手にもしっくり収まりそうだ。訳者は、わたなべてつた氏。いそいそと表紙を開いた。
 見返しにはアメリカ民謡の楽譜が、鳥や花などの美しいモチーフ画で縁取られていた。ページを繰ると、農夫にお嫁さんが来て、赤ちゃんが生まれ、それから、それからと、歌の言葉に合わせて牧場の四季折々が描かれてゆく。歌うのも良し、見るのも良しだ。こういう絵本に子育ての真っ最中に出会うと、"ビンゴ"である。

 私の仕事は、子どものためのお話を書くことだ。絵本については、絵も描けないし編集をしたこともない。だが、私は子育てをした。だから初めて『まきばののうふ』を手にした時、ピンッときた。私が子どもを育てていた頃、その"ビンゴ"の絵本は間違いなく、チェコのヘレナ・ズマトリーコバーの『かあさんねずみがおかゆをつくった』だった。『りんごのき』や『マルチンとナイフ』などを描いた画家の、わらべうたの絵本だ。
 国は様々でも、民族に伝承されたわらべ言葉に基づく絵本を、親子でくり返し楽しんだ時間は、記憶の底に生涯棲みつくものである。そしてそれは、一生物の宝を互いに共有することになるのを、私は密かに知っている。
 編集者から、訳の渡辺鉄太氏はギター片手に大変苦心されたとうかがった。ある朝思いついて、静かに音読をしてみると、とても心地がよい。これは素敵だ。ふと、コアラの縫いぐるみを握りしめた男の子の姿がよぎった。


 鉄太氏と初めて会ったのは小学生の時で、炉端焼きの店だった。私は三人兄弟だが、その日はなぜか私だけが車に乗せられた。店は高尾山の近くで、到着すると石井桃子先生と渡辺茂男先生ご夫妻、それに半ズボンの少し年下の男の子が立っていた。鉄太君といった。
 炉端焼きなど見たことも聞いたこともない。何を食べるのかもわからない。母はカエルを食べるのよと言い、父は雀だと言った。店の広い敷地には、八畳ほどの鄙びた囲炉裏小屋が何軒も建っていた。食事の前に皆で散策をした。私はカエルや雀を食べるくらいなら、ずっと外で遊んでいたいと思った。なのに、一緒に遊んでくれそうなもう一人の子ども、つまり鉄太君は、細い足で脇目もふらず歩いている。こちらになどまるで無関心な、隙のない歩きっぷり。だが、おや? 手に何か持っている。小さな縫いぐるみだ。「それ、なに?」と聞いてみた。すると、「コアラ」と短い返事が返ってきた。え? そんな動物の名前は知らない。「モグラ?」「コアラ!」「…」「ク・マ!」ちょっと待て。熊のわけがあるものか。熊なら私も持っているんだから、よくわかる。「ちがうでしょ。鼻がへんだもん」「コアラは、クマなの!」それっきり、二人の子どもの会話は途絶えた。
 鉄太君はその時、おそらく父君の心のこもったお土産であろうコアラをして、オーストラリアにはコアラというクマがいて、木の上で葉っぱを食べて暮らしているんだぞと、どれほど私に言ってやりたかったことだろう。その日の写真には囲炉裏を囲む大人達と、コアラを手に俯き加減の鉄太君と、その彼を横目で見ている私が写っているのだが、さて時が流れてみると、彼はいつのまにかオーストラリア在住の言語学博士にして翻訳家になっておられた。

 先日、福音館のホームページで『まきばののうふ』を見た。すると、コアラの国でギターを手に"ハーイホー ダ デリオー"と訳書を歌うご本人の動画があった。私は思わず身を乗り出し、今こそはと一緒に歌った。「ハーイホー ダ デリオー コアラはクマ」

※2012年春

小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2017.07.03

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