長谷川摂子と絵本作家

【第6回】スズキコージさん|(3)ぼくは”エクスタシー屋”

ばかになること

長谷川 スズキさんの文章の面白さは誰もまねできない感じなんですけど、ご自分ではどんなものをお読みになるのかしら。
スズキ 大人のもの、子どものもの関係なくいろいろ読みますが、山下清の文章なんか好きだね。疲れた時に、あれ、一番いいですね。思ったことをそのまま書いてあるでしょ。あれしちゃいけないこれしちゃいけないというのを、ぜんぶ取り払ったらあの人みたいになるだろうなって、よくわかる。
戦時中もね、リュックから茶碗出して、よそのうちをトントンとたたいて、「ごごご飯をください」っていって歩く。「若いもんはみんな戦いに行ってるっていうのに、あんたはいい体しちゃって何事かあ」と怒られて、また別の家で「ごごご飯ください」ってやる。何軒めかにご飯をもらえると、ついでにもう一つのお碗を出して「おかずもください」とやると「冗談じゃないよ」と怒られる。こんどは考えて、ご飯を置いといて、おかず用のお碗を出す。そうやって食べつないで戦時中にちゃんと伊香保温泉まで行くんだよね。だから、反戦運動した人とか、いろいろ治安維持法でつかまった人とかいたけども、山下清の行動っていうのは、抜きん出ていたというかね。まあ、知恵が遅れてたっていう行動だけども……。もし戦時中の日本の人たちが、みんな知恵が遅れていて、敵と味方の区別がつかないで武器持って、味方をどんどん撃っちゃったりしたらね、武器は危険だから持たせないように、とかなったかもしれない。
長谷川 滋賀県で一麦寮という精神薄弱児の施設の寮長をやっている田村一二という人が、戦時中、知恵遅れの人たちと暮らして、骨身を削って食糧を獲得してね、「みんながおまえたちと同じように暮らせば戦争なんか起こらないのに」と言ってるの。そういう人たちがちゃんと生きていけるということ自体が反戦なのね、その時代に。
スズキ 山下清の文章の面白さっていうのはね、例えばこれ(灰皿)に近づくアリみたいなのね。前方に銀色の塀みたいな物があって匂いがするから這い上がろうと思って近づくと急にあたりは暗くなって下から登ろうとするとツルツルする。何回登ってもだめで、またこっちの方からやっと登るとなんか見えた、みたいなさ。人間も大人になるとほら、そこまでていねいに歩かないっていうか、目で歩かないっていうかね……。だけど、何が面白いかって考えていくとね、チベットの聖地巡礼みたいにやっぱり地面這いずりながら進むっていうのが、一番、本当はね、面白いだろうね。ま、そこまでばかになれるっていうかさ。
長谷川 子どもはみんなそんなふうに生きてるとこがある。大人とは、時間も空間も違うような……。
スズキ だから人間って、大人になって、何でばかになれるか発見する、それでどっか解放されるってこと、あるでしょう? その人のやり方で。
 

“エクスタシー屋”

長谷川 スズキさんの絵見てると、こういうところに迷いこんだらいいなあ、という気が遠くなるような幸せな感じがするのね。一種のエクスタシーが。
スズキ エクスタシーにひたる時間っていうのかな、そういうのは誰にでもあるんじゃないかな。ボブ・ディランの歌にね、こんなのがある。サラリーマンでもね、会社に行く一生のうち、一日ぐらい、ものすごくすてきな気分になる日がある。その日には、ネクタイもゆるめて、カバンを振りながら、スキップして街を歩く。そんな日にはね、きっとビルの屋上でも、たぶん天使がラッパを吹いているのでしょう、というの。
 ぼくの場合、そういうエクスタシーを撒き散らすっていうのをやってんのかなあ、というのもあるけど。八百屋とか床屋とかの“屋”って付けるとエクスタシー屋みたいなさ。(笑)エクスタシーって、伝染していくと思うんだよ。みんな喜びが満ち溢れるというかな。(笑)だから「花咲爺」の話好きなんですよ。死にそうな枯木に花が咲く……言い当ててるなというか、いい世界だな、と思う。

夢の実現

長谷川 この頃、自分たちの子ども時代がいったいどこに行っちゃったのかという思いがありますね。近代化が徹底してきて、子ども時代がはるかに遠のいて手が届かないというか。それが案外と、例えば東南アジアの村の写真なんかみると、懐かしさがこみあげてきたりするの。そういう意味ではどっか通じたいという思いが今の日本とは違うところにあるっていうか。
スズキ そういう時代でもあるよね。この前正月に浜松に帰った時もね、自分の小学校へ行く道というのを辿ってみたんだけど、小学生になったつもりで。あそこを曲がったとこは、米屋の精米所の匂いがしてきた、ここは竹やぶで竹の匂いがしたとか辿っていくのが、もう難しくなっちゃってる。かなりひどく。道路も寸断されて……。『指輪物語』(評論社)に“ホビット村にももう悪の手がのびて……”という話もあったけど、かなりひどい。
 だから、そういう状況で自分はどう生きていくかってことを考えると、やっぱり夢の実現であるわけよね。それでまあ、絵だとかやってんだけど、実際に自分で船を作って海に浮かべる夢を持ってヨット作ってる友だちもいるけどね、実際にそういうことをやるのって、すばらしいな、と思うね。ぼくは絵が描けちゃうから、かえって現実にうといところがあるけれど。
 例えばね、ぼくも財力があったらね、超高速度交通営団とかいう地下鉄を経営したいな。自分で電車もデザインして。地下鉄の音楽なんかおもしろい音作って。車内には絵を飾って画廊みたいにしてね。朝の体操も傑作なのを考えて。そういうことが実現できれば、最高よね。こんど地下鉄の設計図をかこうと思ってるんだけど。
 郵便ポストとか、排気ガスのでない電気木造自動車とか、木造デパートとか、デザインして作って、使うとなると、おもしろい。木造デパートはぜんぶ障子張りにして、店の人も着物着たりして、全体のペースは遅くなるかもしれないけど、そういう楽しい世の中をイメージしてると限りなくいくわけで……。
長谷川 絵本もね、そういうふうに考えると、いわゆるタブローと違って、子どもが触って、抱える、大きさと手ざわりがある魔法の箱のような物なんですよね。
スズキ そうね。ぼくは絵本はこれからだと思う。今までは修学の時代で、これからは、文章も書いて、絵もやっていく。今までやったグリム童話の絵本とか、いろんなのを、ぼくなりに積み重ねてね、なんかできそうな時期にいるな、と思うのね。
 

終わり

※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。



スズキコージ(すずきこーじ)1948年〜
1948年、静岡県生まれ。絵本に『エンソくん きしゃにのる』『ガラスめだまときんのつののヤギ』『おとうさんをまって』『かぞえうたのほん』『きゅうりさんあぶないよ』(以上、福音館書店)、『いすがにげた』(ポプラ社)、『ねこのどどいつあいうえお』(のら書店)、『おがわのおとをきいていました』(学習研究所)、『エノカッパくん』(教育画劇)、『イモヅル式ものがたり』(ブッキング)。



インタビューを終えて-長谷川摂子

コージ曼陀羅模様のアロハ、頭には黒い三角帽子、スズキさんを一目見たとたん、あっ、これはスズキさんの絵の世界の住人だと、心の中で叫んでしまいました。
誰しも絵描きは多かれ少なかれ、自分の絵の中に住んでいるのかもしれません。けれどスズキさんほど意識的に大胆にそれを実践している人をわたしは知りません。「エクスタシー屋さあん」と、わたしはスズキさんに窓から声をかけて、握りしめた十円玉でエクスタシーを一コ、買いたくなりました。



◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち

【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん

2017.04.06

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