あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|田中陵二さん『石は元素の案内人』

月刊「たくさんのふしぎ」2022年8月号として刊行されると、すぐに大人気となり、数か月で品切れになってしまっていた『石は元素の案内人』。元素の不思議な世界を、身近な石ころから案内する本作を、単行本として新たに刊行いたします。昨年、新鉱物の「北海道石(ほっかいどうせき)」をチームで発見して大きな話題にもなった作者の田中陵二さんに、刊行に寄せてエッセイを綴っていただきました。

石っ子、石を追いかけて

田中陵二


わが家の8歳の娘は、野外に落ちているものを拾ってポケットに放りこむ。ドングリであったり、あるいは小石であったり。もっとひどい石拾いの習性があるのは父親の私で、野外調査帰りの泥汚れの悲惨さは娘の比ではない。そして、ポケットの中にはいつも拾った水晶などが残っている。じつは、妻との出逢いの時も、これを差し上げて彼女の気をひいたのだった。

私の父は建具屋であったが、休日は常に山に登っていた。趣味の山登りといった生やさしいものではなく、ヒマラヤの八千メートル峰の未踏ルートを登山隊で初登攀(はつとうはん)するような極め人だった。そんな父だが、しばしば小さな私を連れて野山に出かけた。それは山菜採りであることもあれば、石拾いであることもあった。そんな幼少期を過ごしたので、一人で野山を彷徨い楽しむようになるのは時間の問題だった。

小学校5年生の時、だれにも告げず、自転車に乗って独りで隣県の古い鉱山跡まで行き、石を拾って帰ってきた。総行程150キロ。子供にとっては大きな冒険であった。この計画は内緒にしていたのだが、その晩、自転車のかごに地図が積んだままとなっていたために全部バレてしまった。父は怒ることなく、後日知人の地質学者を私に紹介してくれた。石拾いはエスカレートし、中学生になると、九州山地を一人歩きしながら鉱物採集した。石好きの“石っ子”が行き着くところまで行った感もある。

そのころ思い至ったのは、石、すなわち鉱物を構成しているのは物質であって、化学の法則が物質世界を支配しているということだった。高校の進路を選ぶ際、それもあって高専の応用化学科を選び、化学の道に進んだ。もう少し勉強すると、化学の黎明はふたつの源流があることがわかった。ひとつは鉱物学や地下資源利用から展開した無機化学であり、もうひとつは人間の「色」に対するあくなき欲求が産んだ有機化学である。キラキラと光る色とりどりの石や、美しい花への憧憬が、現在の化学や科学技術の原動力である。子どもが石を拾うくせは、科学の原点とも言えよう。

子どもの頃からなじんだ石ころ拾いの本質は、実験化学者として研究に従事している今でも役に立っている。合成化学では、実験室のフラスコの中で物質を反応させ、新しい物質を作り出す。それの美しい結晶が育てば、分析により物質の分子構造をはっきりと捉えることができるのだが、良結晶の選別には、小学生の頃から鍛えた目がいまだに有効である。

石っ子の無上の念願は、自分で新しい石「新鉱物」を見出して学名を付け、世に送り出すことであろう。最近、私にもそんな機会が巡ってきた。北海道のヒグマの棲む森で、紫外線を当てると光る不思議な新鉱物「北海道石(ほっかいどうせき)」を見つけ、学名「hokkaidoite」(ホッカイドウアイト)として登録記載することができた。北海道石を含むオパールは学会発表後、まず実家に持っていき、亡くなった父親の仏前に供え、遺影に大いに自慢してみせたのだった。

田中陵二(たなかりょうじ)
1973年、群馬県生まれ。東海大学理学部化学科客員教授。公益財団法人相模中央化学研究所主任研究員。群馬大学大学院工学研究科博士後期課程修了。科学技術振興機構研究員などを経て現職。専門は有機・無機ケイ素化学、結晶学および鉱物学。マクロ科学写真の撮影もおこなう。共著に『よくわかる元素図鑑』(PHP研究所)、『超拡大で虫と植物と鉱物を撮る』(文一総合出版)、監修に『GEMS  美しき宝石と鉱物の世界』(東京書籍株式会社)などがある。2013年より月刊誌『現代化学』(東京化学同人)にて「結晶美術館」を連載中。本作で、子どもにむけた本をはじめて書いた。「たくさんのふしぎ」には、本作のほかに文・写真を担当した『いろいろ色のはじまり』(2023年10月号)がある。2023年、チームで発見した光る新鉱物「北海道石」が世界的な機関に新鉱物として認められ、この石の筆頭記載者、命名者となった。

2024.01.10

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