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母の友800号試し読み 大日向雅美さん

なぜ「母」ばかりが責められるのか?

そんなに「母」が悪いのか?

私が「母性愛神話」を研究することになったきっかけは1970年代に日本各地でおきた「コインロッカーベビー事件」でした。当時、生まれたばかりの赤ちゃんの死体が駅構内のコインロッカーに捨てられる事件が相次ぎました。むごい事件です。あってはならないことです。

しかし、私は当時の報道に接して、疑問に思いました。責められるのが子を捨てた母親ばかりなのです。一緒に子を育てる、共同養育者であるはずの父親は一切出てこない。なぜ母ひとりが責任を追求されるのだろうと。

「母」を攻撃する背景にあるもの

コインロッカーベビー事件が起きた1970年代は、専業主婦家庭が一般化した時代です。80年代以降、減少に転じますが、なぜ70年代に増えたのでしょうか。先立つ1960年代、日本は「働き方」の巨大な変化を迎えていました。1950年代は働く日本人の4割が農業など第一次産業に携わっていました。自営業も多く、勤め人はそれほど多くはなかった。ほとんどの人が家の近くで働いていて、女性も家業=仕事を手伝っていたはずです。「共稼ぎ」は別に現代的なことではなくて昔から日本人が行ってきたことなのですね。また、男性も職場と家が近いわけですから、子どもとかかわる時間もそれなりにあったのではないかと推測できます。

ところが高度経済成長を迎え、会社などに勤める人が激増します。さらに核家族化が進み、男性=父は会社で夜遅くまで働き、女性=母は家で家事と育児を一手に担う状況が生まれます。日本の経済発展のため、必要な状況だと判断され、国も専業主婦家庭を支援する政策をとります。そんな社会の状況下で、「女性には母性本能がある。だから子育ては女性がすべきだ」といったイデオロギーが政策的に展開され、人々の心の中にもいつしか「思い込み」として浸透していったと私は考えています。

続きは、「母の友」800号でお楽しみください。

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