小風さち 絵本の小路から

朝の音読|『きこえる?』 はいじま のぶひこ 作

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第7回は、はいじま のぶひこさんの『きこえる?』です。

朝の音読

『きこえる?』 はいじま のぶひこ 作


 子どもが起き出すまでの時間を執筆にあてているうち、すっかり朝型になってしまった。今はもうそんなに早く起きる必要はなくなったが、今度は歳のせいか早く目が覚める。まだ薄暗いうちにカーテンを開け、夜が明けるのを眺めて過ごす時間が長くなった。
 ある朝、ふと思いついて絵本を一冊読んでみた。読んであげる者がいないので、一人で音読をした。これが思いのほか心地良かったので、朝の音読は今もなんとなく続いている。
 はじめて読んだのはユリー・シュルヴィッツの『よあけ』だった。夜明けだから『よあけ』という単純な選択だった。絵を味わい言葉を味わいながら、好きなだけ立ち止まって読んだ。シュルヴィッツの絵と現実の夜明けが、一ページごと呼応するようだった。瀬田貞二先生の綴られた言葉と、朝一番の挨拶をするようだった。言葉という、目には見えないその姿かたちの在るものを、日中の自分はあんがい雑に読み過ごしていたのではあるまいか…そう思えた。今朝は絵本ではなく詩にしようということもある。随筆にすることもある。岸田衿子さんの『草色の切符を買って』を音読していたころは、毎朝起きるのが楽しみだった。
 『きこえる?』の音読は一回では済まなかった。かねてから気になっていたその絵本を、ある朝読んだ。言葉の少ない絵本なので、ことのほか味わって読みたいと思っていた。だがその朝は、珍しく予定があり時間がおしていた。それでも『きこえる?』というのだから、なにかしら聞こえるのだろうと思って読んだ。はて、なにも聞こえない。
 翌朝、どうも気になるので、もう一度読んでみた。ゆっくりゆっくり、言葉をたどった。絵をながめ、目を閉じた。すると、うん、聞こえる。星のまたたき、葉のざわめき、花が開く時の微かに軋む音。小さな鼓動、密かな呼吸、それから、「きみの なまえを よぶ こえ」。実は私は耳の聞こえが少々悪く、ほとんど何も聞こえなかった時もある。たいがいの音が聞こえるようになると、本当に耳をすますということがなくなった。人は本当に耳をすますと、目を閉じるものだ。


 ところで、絵本は、そこが大人を読者に持つ本との一番大きな違いだと私には思えるのだが、音と共存する運命にある。絵本の文章は、読み手の声を通して、音となり、子どの耳から入って、心へと向かおうとする。
 だが島伸彦氏の『きこえる?』は、少し違うルートをたどる。1970年生まれのこの作者は、文章という音符を奏でることを最小限にとどめる。彼は文字すら表現の一部にして、ひたすら音をつま弾く。聞こえてほしい音があるので。
 表紙には兎のシルエットが一つ。『きこえる?』というタイトル文字も、本文中の文字と同じ。見返しには漆黒の闇夜にまたたく星。扉とよばれる本の造りの決まり事はない。いざ絵本を読もうと手に取れば、必ず"おや?"と感じることだろう。だが、音はもう弾かれている。
 画家は「きこえる?」と問うては、次のページに読者を誘う。そこに文章はない。目をひく要素を削いだ、一見簡潔な造形の世界が広がっている。そこで弾かれた音を聞こうとすれば、読み手は自ら耳を澄まさなければならない。目を閉じなければならない。島伸彦氏の『きこえる?』は、そうしてはじめて成就する。命の鼓動から星のまたたきまで、静かに弾いて余韻まで残す。
 この本には、絵本に対する通常の概念の変換をせまられるかもしれない。それによって、書棚のいかような位置にも振り分けられるかもしれない。だがそれは、新しい造形につきもののいわば運命であって、変換してみる価値はあると、私は思う。昨今は音の出る絵本なる物が騒々しいが、これこそ究極の音の出る絵本かもしれない、と。


*『よあけ』 ユリー・シュルヴィッツ 作・画/瀬田貞二 訳
*『草色の切符を買って』 岸田衿子 著/古矢一穂 絵 青土社


小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2017.10.02

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