降矢ななさんインタビュー|絵本デビュー作から現在まで【全2回】

降矢ななさんインタビュー【前編】無我夢中で描いたデビュー作

1985年刊行の『めっきらもっきら どおんどん』(長谷川摂子 作)の絵で、絵本作家デビューした降矢ななさん。現在、スロバキアにお住まいですが、2022年、一時帰国されました。この機会に、デビュー作から現在のことまで、これまでのお仕事のことをたっぷりお聞きしました。全2回に分けて、お届けします。(インタビューまとめ=大和田佳世)

『めっきらもっきら どおんどん』が100刷を超えて

――デビュー作『めっきらもっきら どおんどん』(長谷川摂子 作/降矢なな 絵)が2022年に100刷を超えましたね。

90刷を過ぎた頃から、スロバキアの自宅に増刷のお知らせが届くと「もしかして『めっきらもっきら どおんどん』かしら」とドキドキしながら開けるようになりました。「あっ、今回は『ちょろりんととっけー』だった」とか(笑)。まさかと思っていたのが、どんどん100刷が近づき、とうとう本当に100刷を超えて感慨深いです。毎年のように増刷があって、今も皆さんに読んでいただいているんだなと嬉しく思っています。

――絵本を描くきっかけは?

母(画家・作家、降矢洋子)も私が小学生頃から絵本を描いていたことと、叔母が福音館書店の編集者だったので、「こどものとも」などの月刊絵本が家にたくさんあり、絵も絵本もずっと身近でした。『だるまちゃんとてんぐちゃん』(加古里子 作・絵)の描き込まれた細部が、次のページへのヒントにつながることを発見して興奮したり、『へそもち』(渡辺茂男 作/赤羽末吉 絵)の縦開きの面白さ、『たろうのおでかけ』(村山桂子 作/堀内誠一 絵)の「とっとこ とっとこ」という言葉や、アイスクリームが溶けないように急いで友だちの家へ歩いていく絵も大好きでした。


母は自宅で子どもの絵画教室を開いていて、20歳頃からそれを手伝っていたのですが、小さい頃から私が描くのをずっと見ていた叔母から、絵を出版社に持ち込んでみるようにすすめられたのが絵本の世界に入るきっかけです。叔母は「かがくのとも」の担当でしたが、私の絵は物語絵本に向いていると「こどものとも」の編集長さんを紹介してくれました。

初めての持ち込みは、まだ福音館書店が水道橋駅から神保町駅へ歩いていく途中の古いビルにあった頃でした。モーリス・センダックの絵が当時好きだったこともあってペン画に水彩絵具で着彩したものを持参しました。1年ほど経って「面白い話があるので、描いてみませんか」と声をかけていただきました。

1.5倍の大きさでダイナミックに描く

――それが『めっきらもっきら どおんどん(こどものとも1985年8月号)』だったのですね。初めての絵本作りはいかがでしたか。

何もかも初めてですごく悩みながら描きました。とにかくチャンスをいただいたのだから、できることは何でも出し惜しみしないで工夫しようと。お話に合うお化けの姿を作り出そうと、浮世絵、屏風絵、絵巻などの古い日本画を図書館でたくさん見ました。ラフを提出するときは、イメージと違うと言われたらどうしようと不安も大きかったです。でも長谷川さんがお化けの絵をとても喜んでくださったんですよ。手足が長い縄跳びをするお化けは元々〈ぎっことんこ〉という名前で、私が白狐のお面にほっかむりをしたお化けを描いたら、「子どもはお面の下に顔が隠れているのを怖がるから、狐そのものにしたらいいわよ」とアドバイスしてくれました。そして、「狐のお化け、おもしろいわぁ。私、それに合わせてお化けの名前を変えるわ」って。それが〈もんもんびゃっこ〉です。ベテラン作家が新人の私の絵に合わせてテキストを変えることにびっくりしました。はじめての絵本作りで絵本をつくるってこういうことなんだと、すごく良い経験をさせてもらいました。


――躍動感溢れる3人のお化け、〈かんた〉と遊ぶ様子が魅力的です。

このお話はペンより絵筆の方が日本の雰囲気が出ていいだろうと、筆で描くことに挑戦しました。〈かんた〉とお化けが元気いっぱい遊ぶ場面を勢いよく描くには原寸じゃ足りないと思ったので、あえて1.5倍のサイズで描いて印刷のときに縮小してもらいました。ラフは1984年秋の9・10月、原画は年明けの1985年1・2月頃に約3か月かけて描いたと記憶しています。

ところが描き終わったと思ったら表紙を描き忘れていて(笑)。慌てて作りました。担当編集者のFさんに「タイトル文字も自分で描きますか」と聞かれ、よくわからないまま筆で描いたものは使い物にならなくてボツになりました。無我夢中で描いた23歳のデビュー作でした。

初めて物語づくりにも取り組んだ『ちょろりんのすてきなセーター』と、コラージュ技法で描いた『きょだいなきょだいな』

――2作目は『ちょろりんのすてきなセーター』(降矢なな 作・絵)ですね。

『ちょろりんのすてきなセーター(こどものとも1986年12月号)』は文・絵ともに初めて手がけた作品として特別な思い入れがあります。小さい頃は庭にちょろちょろと出てくるトカゲをよくつかまえて遊んでいました。冷たくすべっとした感触や、輝く青いしっぽにうっとりしたものです。私につかまった不運なトカゲはミニカーに入れられてドライブしたり、砂場のトンネルを走らされたり……。そんな風に遊んだ幼い日々が絵本作りの原動力になっています。そうそう、『ちょろりんのすてきなセーター』のおじいちゃんは、父方の祖父のイメージなんですよ。ランプ屋さんではなく、果物を育てるお百姓さんでしたが、無愛想な感じがそっくり。優しいおじいちゃんというより、ちょっととっつきにくいようなおじいちゃんです。前作のタイトル文字がボツになったので、こちらは表紙の描き文字は工夫して丁寧に描きました。ペン画だけど作品世界は大正時代の日本を参考にしました。火鉢や大八車があったり……。


 

――『きょだいな きょだいな』(長谷川摂子 作/降矢なな 絵)もロングセラーです。

『きょだいな きょだいな(こどものとも1988年5月号)』ではコラージュの技法にチャレンジしてみました。野原にある巨大なものの迫力は筆で描いただけでは表現できないと思ったからです。画用紙に勢いよく色を塗って、大胆に切って糊で貼っていくのですが、紙が厚くてうまく貼れないし、できあがった原画は分厚くなってしまいました。周りに切った紙を広げるので床に座って作業していたら腰を痛めたという思い出深い作品です。今思うとエリック・カールさん(『はらぺこあおむし』作者)のように薄い紙で貼り絵をしたらよかったのにと反省もしますが、新しい方法を七転八倒しながら絵本を作るのは面白かったですね。


実は長谷川さんとは母が先に『こねこをだいたことある?(かがくのとも1985年1月号)』で仕事をしています。母娘で描かせてもらうことになり、不思議でありがたい縁ですね。

スロバキアに留学することを決めたときは長谷川さんから「おせんべつね」と『おっきょちゃんとかっぱ(1994年9月号)』の原稿をいただきました。「向こうで時間があるときに描いてくれたら」って。スロバキアで仕事部屋として借りた小さな家に年末年始ひとりで籠って絵を描きました。ラジオから流れるウィーン交響楽団の演奏を聴きながら。ですから、とても和風な話ですが『おっきょちゃんとかっぱ』の絵が生まれたのはスロバキアなんですよ。

後編】「まゆ」シリーズのこと、スロバキアのこと▶

2022.11.21

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